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きらきらした希望の奥には

就活の中で、志望動機や志望している業界、自分の就活の軸なんかを繰り返し書いたり語ったりしている。
こんなキャリアを築きたい。こんな仕事をしたい。こんな社会になればいいと思う…。

そんな風にきれいに、きらきらした希望として自分の気持ちを語っているけれど、その希望の源にあるのは全然きれいな感情じゃない。

「研究はね、『あ~ムカつく~!』から始まるんだよ」と言った人がいた。他大学の教授だった。他大学の友人と、友人の指導教官と一緒に院試の勉強をしていて、院での研究テーマについて話していた時に教授が言った言葉だ。
曰く、世の中に対する不満が疑問に変わり、研究テーマになるのだと。

なるほどそういうモチベーションの生まれ方もあるだろう。
研究ではないけれど、私の仕事に対する想いも、怒りから始まっている。
私は「ムカつく」という言葉が好きでないので「怒り」と表現するが、私は執念深い人間で、一度怒ったらずっと怒っている。

理不尽に怒られたこと。
自分が大切にしているものを踏みにじられたこと。
お前なんかにそんなことできないと言われたこと。

ずっとずっと、怒っているのだ。
いくら時間が経っても、こうして鮮やかに思い出せるくらいに。

その怒りを「こんな世の中変えてやる!」とポジティブなエネルギーに転化して、志望動機にぶつけている。
「なんだこの世の中は!」という憤りを真空保存しておいて、「こんな世の中になればいいと思う」ときれいな言葉に言い換えているだけだ。

だけど、気づいた。
怒る以前に、私は傷ついていたのだ。

わけがわからないまま怒られて悔しかった。
大切にしているものを否定されて嫌だった。
自分の可能性を信じてもらえなくて悲しかった。

私は、ずっと、傷ついていたのだ。
あるがままの私を受け止め、励まし、応援してほしかった。
それをしてほしい人たちにそうしてもらえなくて、傷つき続けていたのだ。

心理学的な専門知識をもっていないから、科学的にどうなのかはわからないけれど。
少なくとも私の場合、強い怒りは強い傷つきから生まれている。

それをモチベーションにここまで進んできたけれど。
さっき、面接の帰り道で「怒ってばかりのくせに、何をきれいごとばかり言ってるんだ」という想いが溢れてきた。

怒りをうまいことモチベーションに変えられる人もいるだろう。
でも、こうして見知らぬ土地の電車で周りの目も気にせず泣いているくらいだから、きっと私にはこのやり方は合っていないのだ。

怒りを感じた時、よしよしつらかったね、と、傷ついた自分に気付き、自分で傷口をケアできるようになりたい。
怒りなんて面倒なものに加工しないで、赤チン塗って、そうっと傷口をふさいでいきたい。
そっちの方が、私には合っていそうだ。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。