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読書ノート①春にして君を離れ

先日、東京への移動の際、いつものようにcakesを読んでいた。
最近のお気に入りは三宅夏帆さんの文学レポートだ。

軽妙な語り口で名作から漫画まで、様々なジャンルの本について書いてあって、ついつい読んでしまう。

最寄駅から空港までの電車の中で、このシリーズの中で紹介されていたある本にとても惹きつけられた。
空港についた途端に書店に急ぎ、買ってしまった(笑)

それがこの本だ。

ポワロやミス・マープルを書いたアガサ・クリスティーが別名義(日本ではアガサ・クリスティー名義で出版されている)で書いた作品だ。
空港から東京に移動して、目的地に着くまでの間に読んでしまった。
小説を読むのは久々だったのだけれど、1つの作品に没頭して読むのはやはり気持ち良かった。
せっかくなので感想を書いておこうと思う。

※ここからネタバレ有で書いていく。

あらすじ


主人公は弁護士の妻、ジョーンだ。
息子が1人と娘が2人いるが、全員家を出ており、普段は弁護士の夫とイギリスの片田舎に暮らしている。
バグダッドで暮らす末娘が体調を崩し、身のまわりの世話をするため、単身バグダッドに渡り、数週間滞在した。
汽車で帰る途中、事故で数日砂漠のど真ん中に滞在することになる。

タブレットもスマホもない時代のこと、ジョーンは持ってきた本を読みつくし、時間を持て余してしまう。
そして次第に過去の思い出に浸り、人生を振り返る。
この振り返りが圧巻なのである。
彼女は母として妻として、家族が「正しさ」を逸れようとした時にいつも止めてきた。
子どもを抱えているのに夫が弁護士を辞めて農業をしたいと言い出した時。
上の娘が町の医者と不倫していた時。
末の娘が出会って間もない男と結婚したいと言い出した時。

しかし、思い出に浸る内、彼女ははたと気付いてしまう。
私は心から正しいと思ってああしたけれど、本当に正しかったのか。
ただ自分の正義を押し付けただけだったのではないか…と。

帰ったらすぐに夫に謝ろう。
そう心に決めて彼女は汽車に乗るのだが、いざ家に着いて日常に戻ってみると、砂漠での気付きこそが間違いだったのではないかという考えが頭をもたげる。
謝るか、普段通りに振舞うか…。
夫と第一声を交わすまでの間、彼女は何度も2つの選択肢の間で迷い、そして普段通りに振舞う方を選ぶ。
恐るべき可能性から目を逸らす方を選んだのだ。

最終章では夫側の視点からのモノローグが綴られている。
夫側の視点からは、ジョーンが砂漠で気付いたことこそ真実だった。
夫は世間一般の正しさの檻から出ようとしないジョーンに対して諦めを感じており、「君はひとりだ。でも、ああ、どうか君が、そのことに一生気付かずに済むように」と願っている。

感想


この本を読んでいると、「思いやりってなんなんだろうなあ…」という気持ちになる。

私の身内には正に私にとってはジョーン的な人がいて、私は窮屈さを感じながら育った。今はなんとか距離を置き、比較的楽に生きれてはいるけれど、完璧に関わりを断てるわけではないから、いつかまたジョーン的な面に付き合わされることがあるかもしれないと思うとうんざりした気分になる。

ジョーンの夫に対して、「夫婦なんだからきちんと向き合うべき」と批判的な見方をする人もいるらしい。しかし、実際にジョーン的な人と暮らした経験から言うと、それは多分、できない。こちらに対する想像力をもたない人を相手にするのは、本当にエネルギーを使うのだ。諦めて適当に合わせるふりをして、相手を大人しくさせるのが一番疲れない。仮に思い切って向き合っても、四六時中話し合いをするわけではないから、ふとした瞬間に価値観の断絶を感じて、相手への伝わってなさに絶望することになる。そんなことを何度か繰り返すと、もういいや、日常を壊すくらいなら演じておこう、という考えに落ち着いてしまう。

そんな風に周囲のジョーン的な人を思い出すと同時に、自分の中のジョーン的な面にも気づいてしまうのだ。
私は普段、あまり周囲の人にあれやこれや言わないようにしている。他人の人生に口出しをしても責任取れないし、と思っているからだ。
けれど、思いやりのつもりで口にした言葉に、ジョーン的な、つまりは相手の本心を慮らないままに決めつけてしまったところはなかったかと振り返ると、ぎくりとする。
あの子に進学について聞かれた時…
あの子の恋愛相談を聞いていた時…
本当に私は相手に寄り添って話をしただろうか?と。

結局、人間は、常に片思いなんだなあ、、と思う。
自分が相手の本心に寄り添って何かをいったつもりでも、それが本当に相手に寄り添えていたのかは、相手にしかわからない。
ひねくれた見方をするけれど、相手がいくら感謝していても、相手が本心でそう言っているかどうかは、相手にしかわからない。
私たちがわかるのは自分の気持ちだけだ。
相手の気持ちなんて、永遠に「わかったつもり」にしかなれないのかもしれない。

だからと言って、他者と分かりあうこと、通じ合うことを諦めようとは思わない。他者の励ましや優しさ、愛情に支えられてきたこともまた事実だ。
私はあなたをわかりたい。あなたに私をわかってほしい。
そんな葛藤の中で、これからも生きていくのだろう。

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最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。