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私をかたちづくってくれた本5選

最近はnoteをコンスタントに書いている。
始めたばかりの頃は何を書いたらいいのやら…と手が止まってしまうことも多かったのだが、驚くことに、「今日はあれを書こうかな」と書きたいことが尽きない。

こんな風に文章を書くことを楽しめるのは、小さい頃、本をたくさん読んだおかげだと思っている。
こちらのnoteでも書いたように、中学生まで私は本ばかり読んでいた。

先日友人と会った際に、自分に影響を与えた本について話題になったので、簡単にまとめておこうと思う。

1.ハリーポッターシリーズ

言わずと知れた名作だ。初めて読んだ頃には3巻まで出ていて、4巻が出るまで繰り返し1~3巻までを読み返した。だから今でも、一番好きな巻を聞かれると3巻と答える。

物語全体が4巻で大きな転換点を迎えるのだが、3巻ではその前哨戦としての戦いが描かれている。ハリー達の友情、ハリーの親世代の友情が重なって、何度読み返しても飽きなかった。バタービールを飲みたくなるのも、これまた定番だろう。

あと、1番好きなシーンはどこかと聞かれたら、5巻で双子がホグワーツを出ていくところ、と答える。こんなとこ出ていくぜ、とあっさり馴染んだ場所を出ていく身軽さが爽快で、このシーンを読むと良く晴れた初夏の風を感じる。作中の季節は忘れたが、双子の爽やかさと、初夏の風の爽やかさが重なるのだ。

日本のすみっこで暮らしていた私は、遠いイギリスの、寮制学校の暮らしはどんなものだろうと、何度も思いを馳せた。現実には魔法は無いけれど、ハリーポッターを通じてなら、私はイギリスで毎日寮から学校に通う学生になれたのだった。

2.図書館戦争シリーズ

これも大好きで、繰り返し読んだシリーズだ。主人公のまっすぐさ、同僚たちの明晰さ、上司たちのかっこよさに惹きつけられた。「全力で働く大人ってかっこいい」と学んだのはこのシリーズのおかげだ。

そう、このシリーズに出てくる大人は、みんな、かっこいいのだ。柴崎みたいな同期がいたら。玄田みたいな上司がいたら。何度想像したか知れない。

表現の自由という堅苦しいテーマを扱っていながら、文体は堅苦しくない。軽やかに前に進んでいく。ついついなんでも受け流して、面倒避けてしまいがちだけれど、守りたいものを守るためにきちんと怒り戦うことは大切なんだな、と改めて思わせてくれる。

そして、登場人物たちが繰り広げるラブコメも好きだった。特に3巻以降は、あぁ~~、と言いたくなるシーンが来るたびににやけてしまうので、読むのにとても時間が掛かる(笑)

全巻好きだけれど、物語を楽しみたいなら3巻、ラブコメを楽しみたいなら別冊Ⅰがおすすめだ。

3.野菊の墓

いきなり渋くなる。何を隠そう、この本をきっかけに日本文学を読むようになったのだ。近所の図書館で、何気なく漫画版野菊の墓を手に取った時に、その後数年の読書傾向が決まってしまった。

日本文学に対する堅苦しく重たいイメージは、この本で払拭された。この本、若者と女中の淡い恋愛小説なのだが、「せ、切ない…」と胸がいっぱいになった。

2人が若いのと、身分の差によるものだろうが、とにかくお互いへの想いの描写が控えめなのだ。互いを花に例えて、その花への想いを言葉にすることで相手への想いを伝えるなんて…なんてじれったい。

漫画版で大体のストーリーを理解した私は、原作もすぐに読んだ。最後のフレーズが美しくて、今でも空で言える。

幽明遥けく隔つとも、僕の心は一日も民子の上を去らぬ―

あの世とこの世は遠く離れているけれども、1日も民子(主人公と相思相愛だった女中)のことを忘れたことはない。私がこの世を離れる時、そんなことを言ってくれる人はいるだろうか。そんな風に言える人が、私にはできるんだろうか、小学生にして、自分の死の間際のことまで考えてしまった。

4.こころ

『野菊の墓』をきっかけに日本文学を読み始めた私は、図書室のすみっこに追いやられている、誰も借りない、埃をかぶった日本文学シリーズを読み始めた。ついでに隣にあった世界文学シリーズにも手を伸ばした。

日本文学なら『二十四の瞳』、『坊ちゃん』、『羅生門』、『人間失格』、『山椒魚』世界文学なら『罪と罰』、『小公女』、『若草物語』、『赤毛のアン』、『嵐が丘』、『若きウェルテルの悩み』なんかを繰り返し読んだ記憶がある。

そんな時期に読んだ小説でダントツに心に残っているのが、『こころ』だ。

序盤から漏れ伝わる、「先生」が抱える孤独。他者に寄り添ってほしいのに、彼の中で何かが引っかかってそうしてくれない。時にずばりと人の本質を突いたようなことを言う先生のもつ秘密を知りたくて、読み進める手が止まらなくなる。

この本で印象に残っているのは、Kが死んでしまった後の「先生」の自責の念の描写である。極めて自罰的な、容赦のない自分のエゴへの批判。こんなにも正確に、そしてこんなにも美しく、自らを淡々と責めることができるなんて…‼と、何度読んでもしびれたものだ。

小説を読んでいると、自分が心の底で思っていて、うまく言語化できていなかった者を言い当てられたような気分になることがある。私にとって『こころ』はそんな作品だった。言葉にできない想いを誰かが代弁してくれた時、それがどんな感情であっても、私は喜びを感じた。私だけじゃなかった、と。自分が生まれてくる何年も前に生きてこの世を去った人に言い当てられて、今を生きる自分と昔の作家が通じ合った気分になるのだった。

5.ソフィーの世界

小説が私の人格の原点だとするなら、この本は私の思考の原点となった本だ。この本は少し変わっていて、地の文と、主人公に離れて暮らす父親から届く手紙とで話が構成されている。小説であるにも関わらず、古代から20世紀初頭までの西洋哲学の基礎を学ぶことができる。

初めて読んだのは11歳の時だった。帯に12歳の読者の感想が書いてあったので、まあ自分でも読めるだろうと思って読み始めたが、最初はほとんど理解できなかった。バロックあたりまではふんふんと呼んでいたものの、ロックやヒュームのあたりで大分怪しくなった。

哲学に限らず、学問は既存の知に対する批判によって進んでいくから、一度わからなくなるとその後の展開に対する理解もぼんやりしてしまいがちである。理解できなかった悔しさと、「この本にはなんだか重要なことが書いてある気がする」という直感に従って、その後5年間、1年に1度読むことを自分に課したのだった。

3年目になると大分わかるようになって、5年目で「もう十分、この本の内容は私の中に入った」と思えたので、中学校卒業と同時に読み返さなくなった。少しずつ大人に近づいてゆくこの時期にこの本に出会えたことは幸運だったと思う。遠い国の偉大な思想家による様々な考え方の枠組みを知り、人類の知の深さや広さに慄き、考えるとはそもそも何かを考える時間をもてたことは、私の世界への眼を開かせてくれた。

私の中の、粘り強く考え抜いたり、常識に捕らわれずに物事に向き合ったりしようとする姿勢の根本に、人類の知への尊敬と謙虚さがある。それらを作ってくれたのはこの本だ。私は大学に入ってから紆余曲折を経て今の専門分野に辿り着いているが、どこからその旅が始まったのかと考えると、やはりこの本に他ならない。

5冊挙げてみると、なかなか歪なラインナップになった。今気づいたけど、シリーズものを入れたら5冊じゃないな。それは許してほしい。どれも全部、自信をもっておすすめできる。


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