見出し画像

大器晩成型として生きていきたい、ていうかそう思うしかないのかもしれない

人生100年とか、70歳まで働くとか言われている。
私はそろそろとびきり若いとも言えない年齢になってきたけれど、それでも先は長い。

人生の長さに関することで、1つ忘れられないことがある。
語学教室で知り合ったYさんのことだ。

Yさんは退職されてからフランス語を始められて、恐らく当時の私の3倍ほどの年齢だった。
私はその頃ちょっとした悩みを抱えていて、授業の後、Yさんにコーヒーをごちそうになりながらぽつりぽつりと話したものだった。

ある日のこと、Yさんが”両親の体調が悪くて大変だ”と話していた。
私はそれを聞いて、会ったこともないYさんの親御さんのことを思った。
私の3倍ほどの時間を生きてきたYさんより、更に20歳は年を重ねたひと。

Yさんの年齢になった自分でさえ想像できないのに、なんと人生は長いのだろうか。
自分が抱えていた悩みが晴れたわけではないけれど、ふっと視点が遥か未来に向いて、楽になったのを覚えている。

あの頃から数年が経って、私は今も生きている。
詳細は伏せるけれど、昨日、ここ数年就きたいと願い続けていた職種に、どうやら就けそうにないことがわかった。
奇しくも誕生日前日、おいおい今でなくてもいいだろうと言いたくなるようなタイミングだった。

別に、今その仕事に就けないからと言って、今後ずっと就けないことが確定したわけじゃない。
これから先、キャリアを積む上でより戦略的に思考を巡らせないといけなくなっただけ。
そう、ただ、それ”だけ”のこと。

大器晩成といえば聞こえはいいけれど、要は不器用で時間が掛かるのだ。
次々に自分なりの目標を叶えていく人もいる一方で、私はいつも挑んでは破れている。
そんなつもりはないけれど、自分の身の丈に合った目標を立てれていないのかもしれない。

インスタントに成果が求められるこの時代、大器晩成型(仮)としてはしんどいことも多いけれど、これからもマイペースで。
いっそ”死ぬまでにこれを成し遂げられればいいや”という発想になるのも手かもしれない。

そんな気付きを得た、令和最初の誕生日だった。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。