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だから私は、自分のことをババアなんて言わない、絶対

就活で様々な人と関わることが増えて、驚いたことはいくつもあるのだけど、中でも驚いたのが自分のことを「ババア」と言う女性がいることだ。

大学院にいると、年齢なんてあまり気にしなくなる。仕事を辞めて入ってきた人、働きながら通っている人、キャリアアップの一環で勤め先から命じられてきた人、別の大学に入ってから入り直した人、途中で専攻を変えた人、浪人に留学を重ねた人、理由は様々だが、年齢がばらばらなことが多い(私の周りだけかもしれないが)。

日本と違う教育システムを経て入ってきた留学生もいるし、まして博士課程の院生なんて大抵が年齢不詳だ。博士になるととにかく実績を積まないと院を出られないから、何年もいるのは別に珍しいことじゃない。

誰が何年目でいくつかなんて、どうでもよくなってくる。仮に変わった事情を抱えていても、私の中の相田みつをが「そういうこともあるよね」と言うだけである。

だから、30代後半で「私ババアだから」と言う女性を見て、驚いた。別に悪気があるわけではないようで、本当に何の気なしに「ババア」と言っているのだった。

「ババア」という言葉は、好きではない。
いい言葉でもないと思っている。

2年ほど前、語学教室のメンバーとランチをした時のことを思い出す。私の親と同じ世代の彼女は、自分のことをババアと呼ぶ若い女性に対して、「『何を言っているの』と思いますよ」と言ったのだった。
20代や30代で自分のことをババアなんておこがましい、というニュアンスだったと思う。

20代や30代なんて、平均寿命から考えれば半分も生きていない。大した年数を経験していないのに、ちょっと「若者」の枠から外れ始めたくらいで「ババア」など、なるほどおこがましくも見えるだろう。

そして、疑問だが、自分のことを「ババア」と呼ぶ女性は、自分より年上の女性の前でも言うのだろうか。
もし私が年を重ねて、自分より10も20も年下の人間が自ら「ババア」と言っていたら、いたたまれない気分になるんじゃないかと思う。
あなたでババアなら私はなんなの、と…。

「ババア」という言葉を使う背景には、ちょっと自分のことを下げてフレンドリーさを演出したり、笑いを取るような意図があるのだろう。
そして「ババア」という言葉がそんな機能を果たしうると思われている背景には、「(女性は)若い方がいい」という価値観があるように思えてならない。

私はそんな価値観には染まれそうにない。きちんと年齢を重ねて、様々な経験をしてきた人は、まだまだ小娘の私なんぞには出せない輝きや奥深さがある。なんでもかんでも若い方が評価されるなんて価値観である必要はない。

困難に直面した時に年上の人からもらった言葉で、今でも宝物にしている言葉がいくつもある。その人たち自身の経験から発せられたであろう言葉には力があり、すっと私の中に入って、これまで私を励まし続けてくれた。経験は、人がもつ大きな財産の内の1つだと思う。

「ババア」という言葉を使うと、「若い方がいい」という価値観に迎合することになり、ひいては自分の経験や、自分より経験を積み重ねた他者の軽視につながりそうである。
私はそんなことはしたくない。
いつまでも若い気分でいたいとか、そういうことではなく、ただ自分が重ねてきた年数を思って、受け入れて、堂々としていたいのだ。

だから私は、自分のことをババアなんて言わない、絶対。
重ねた年数を誇りに思えるような経験をし続けたいし、人はいくつになっても成長できると信じて、いつでも「私なんてまだまだ」と思っていたい。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。