見出し画像

つながる

自己紹介でも書いたように、私は西洋思想に興味がある。中でも、フランス語を学んでいるので、フランス思想が好きだ。
橋爪大三郎の『はじめての構造主義』は講義の予習そっちのけで読んでしまったし、フランス語の講義でレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の原文が出てきた時は大興奮した。

この間、メンタルヘルスに興味がある友人とM.フーコーの『狂気の歴史』を読んで感想を言い合おうと約束した。偶然にも、その後別の友人とドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』を読む約束もした。

フーコーはフランスの「構造主義」という流派に属する思想家で、ドゥルーズ=ガタリは「ポスト構造主義」と呼ばれる、構造主義以降の潮流に属している思想家だ。
どちらも1人で挑むにはとても骨の折れる思想家で、一緒に読む日を楽しみにしている。

せっかくだから構造主義について復習しておこうと、2週間ほど前に就活で移動した際、レヴィ=ストロースに始まるフランス現代思想の概略を示した本を読んだ。
そして、彼がソシュールの言語学から着想を得たこと、ソシュールを読もうと思って時間が無くて放置していたことを思い出した。
とりあえずソシュールから復習しておくか…と読み始め、レヴィ=ストロース入門を読み終わったところだ。

私の分野が実践に近いせいか、思想の話に乗ってくれる人は同じ専攻の中で出会ったことがない。感覚的な話だが、そんな抽象的で飯の種にもならないものは知らん、という人が多い。
思想の話をする時は、いつも他研究科の友人としている。

しかし、昨日、驚いたことに、専門の論文にレヴィ=ストロースが登場したのだ。
論文の中で紹介されていた理論が、レヴィ=ストロースの構造主義をベースに構築されていた。
分野外のためか長めにスペースを取って説明されていたのだが、私は読みながらわくわくが止まらず、なんとか修論に内容を反映させられないものか、必死で考えている。

ここまで前置きしておいてとても簡単な結論なのだが、好きでやっていたことが思わぬ形で別の場所でつながることがある。
そしてそれは、とても嬉しい。
変な例えだが、誰も食べないけど自分ではおいしいと思って育てていた野菜がレストランで使われたような、そんな気分だ。

目標に向かって一直線に進むのはいいけれど、道草がもたらしてくれるものもある。
物事の意味を、その瞬間だけでは判断できなくて、あとになってああそういうことかと納得することがある。
そして、思わぬところで顔を出す西洋思想の奥深さに、改めて魅了された。

好きなものを好きでいることはいいことだ。
これからも好きなものを好きと言って、愛でながら生きていきたい。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。