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コトバを生産する効果

「コトバの生産量がすごいなあ」と友人に言われた。
友人はいつも私の怒涛のお喋りに付き合ってくれ、時には友人からの返信がなくてもLINEを送り付け、私の「誰か聞いてよ!」と受け止めてくれる貴重な友人の1人だ。

私はものすごく喋る方だけども、中学生まではそんなに喋らなかった。
本ばかり読んでいたせいで口が達者で、早い話が生意気な子供だった。
思ったことを言っているだけなのに嫌がられることが多かったから、次第に喋らなくなっていった。

その頃、小説家になることが将来の夢だったから、小説ともエッセイとも詩ともつかないものを書いていた。
口で話さない分をそうやって発散していたのだと思う。

そんな私がお喋りに目覚めたのは、高校生の時だ。
高校に入ってようやく学校に馴染め、気の合う友人ができた。
休み時間や放課後のお喋りの楽しさを知り、あれもこれも、となんでも言葉にするようになった。

少人数を相手にたくさん話し、深い関係を作るという私の人間関係の特徴は、あの頃に形成されたのだと思う。
大学に入ってサークルに入ってからも、全員でわいわい集まるようなことはあまりせず、気の合う数人と関係を深めていった。

そして今、私は日々何かしら話している。
冒頭の友人とはちょっとしたことから社会の様々な現象、お互いの研究のことまで、会えば話題が尽きない。
それだけでは飽き足らず、こうしてnoteにも自分の頭の中をさらしている。

言葉にする意味ってなんだろうか。
ざっくり考えてみて、次の4つがあるように思う。

1.整理できる

頭の中に散らかっていたことを1つ1つ考え直し、言葉に当てはめることで、自分の想いや考えが明らかになる。
言葉に考えが規定されてしまう部分もあるけれど、それは仕方ない。

一度整理すると、他者に伝える時、伝えやすくなる。
表現をブラッシュアップして、よりわかりやすく、説得力のある形にしていける。

ただ、すべてを言葉にすることはできない。
言葉になる以前のもやもやが残っていることは、忘れてはならない。
もやもやについて考え続けていると、時間が経ってからまた言葉にできて、整理して、また残ったもやもやについて考えて…と無限に続く。

2.議論できる

自分から発信すると、他者から新しい(必ずしも反対とは限らない)視点を得ることができる。
互いに異なる視点をもっている時、互いが無意識にもっている前提や、価値観が明らかになることがある。

互いの考えを述べあっていく内に、思いもかけない結論に達することもあって。
その場では到達できなくても、1人になってから会話を思い返して自分の考えを反復するだけでも、十分楽しい。

あとは、相手の表現を聞いて、「ああ、その言い回しはいい」と思った言い回しを自分に取り込むこと。
自分とは違う言語センスをもっている人の言葉のストックを増やしておくと、自分が表現できる幅が増える。

3.正体を明らかにできる

あれこれ迷っている時や、苦しんでいる時に、特にこの効果が大きい。
今どんな状況で、それに対してどのように感じて、あるいは考えているのかを言葉にしていくと、自分にのしかかっているものの正体がつかめる。

正体がつかめれば半分は解決したも同然で、あとはそれにどう対応するかを考えていける。
それを実行していくのがまた大変だったりするのだけど、正体不明の敵と戦っている恐怖感は薄れていく。

切羽詰まっている時に、言葉にする余裕なんかないかもしれないけれど。
落ち着いて正体をつかんだ方が対策を立てやすいし、そういう余裕を失わないように、普段から言葉にしていく習慣を身につけたいと思う。

4.忘れられる

言葉にしておけば、特に残る形にしておけば、忘れてしまっても構わない。
必要な時に取り出せばいいだけだ。

頭の中を言葉にする以前のもやもやが占めていたスペースが空いて、新しいものを考えられるようになる。
脳内にはキャパシティがあるから、考え終わったものからどんどん出して代謝させると、飽きずに考え続けられる。

覚えていたくないようなことを、さっさと言葉にして忘れてしまうのも、1つのセルフケアだと思う。
体から毒素を出していくイメージだ。
言葉にして放出することで、自分が解放される。

今日も明日も明後日も、こうしてコトバを生産していくのだろう。
飽きずに続けていける、貴重な習慣である。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。