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外国語を学ぶときに大切にしているたった1つのこと

自己紹介に書いたように、私はフランス語が好きで、3年ほど語学学校に通っている。
学校の宿題以外にも、テキストやウェブサービスを駆使して学んでいるが、たった1つ心掛けていることがある。

”その言語の漫画や歌を使っての勉強はしない”ことだ。

そんな風に心掛けるようになったきっかけは、留学生のHとの関わりだった。

Hは日本の少年漫画が好きで、それらを読んで日本語を学んだと言っていた。Hには、深い付き合いをしている日本人の友人もいたが、友人の勉強のために、Hと友人はいつもHの母国語で話していた。

すると、どうなったか。

Hは、少年漫画に登場するキャラクターのような話し方をする。
つまり…言っちゃ悪いけれど、とても乱暴なのだ。

”…じゃないだろ”
”ばかみたい”
”まずそう”

誇張抜きで、普段からこんな調子で話す。
いくら外国人だからと言ったって、そんな言葉を日常的に使われたらどうだろうか?

注意したらいいと思う人もいるかもしれないが、Hはとても流暢な日本語を話し、注意するならHが発言するごとに指摘しなければならないような状況だった。
日本人で少し口が悪い人と話しているのと、ほとんど同じような感覚だと思ってもらって構わない。

初めはそれでも我慢していたが、(私が狭量であることは間違いないとして)ある時我慢できなくなって、距離を置くようになった。
だって、聞いていて嫌なものは嫌だし、傷つくものは傷つく。

"外国人なんだからしょうがない"と言う人も周りにいたが、その考え方もひどく傲慢な気がして、馴染めなかった。
外国人だから許して"あげなきゃ"って、すごい上から目線だし、私が外国語で話している時にそんなことを思われていたら、多分嫌だ。
黙って流すくらいなら教えてくれ!と思うだろう。

でも、先に書いたように、もはやHの場合は私が指摘できる範囲を超えている。
だから、距離を置くしかなかった。
ドライだけれど、Hのためにそこまでしてやる義理もないと思った。

どんな言葉遣いをするかによって、その言語で話している時のその人のイメージが規定されてしまう。
だからこそ、何を使って言語を学び、どんな印象を与えるのかには、慎重になりたい。

「その言い方はよくないよ」と教えてくれるネイティブの友人ができれば一番いいけれど、それってすごく労力を使うから、最初からそのつもりで学ぶのも他力本願すぎる。
やっぱり、学ぶツールを選択する時点で篩に掛けるのが一番いい気がする。

というわけで、私は市販のテキストや、ウェブ上で無料公開されているニュースを使って勉強するようにしている。
漫画や歌に使われている言葉は、その言葉が話されている地域でどんな印象を与えるのか、私にはわからない。
テキストやニュースでは堅苦しい印象の言葉遣いになってしまうかもしれないが、失礼な人だと思われるよりはいいだろう。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。