見出し画像

擬態と自然体の間で―はるな檸檬さんインタビューの感想―

私はまだ学生の身分で、比較的自然体なままで暮らせていると思う。
誰かに何かを強要されることも無い。楽しそうじゃない場には行かなくていい。関わりたくない人とはすぐに距離を置ける。
他の大学院は知らないけれど、私が所属している研究科は本当に個人主義で、孤独と隣合わせである反面、自分の好きなように過ごし方をアレンジすることができている。

自覚は無いのだが、私は相当に芯が強い方のようだ。高校の時、一言くらいしか交わしていない英語教師が私のことを「芯が強いね」と評していたらしいし、最近知り合いの知り合いにESを見てもらったら、私に会ったことも無いのに「芯の強そうな人だなあ…」と呟いていたらしい。
どこからそんなオーラが漏れているのかはわからないが、ごまかしようがないくらい、文章に滲み出てしまうくらい、なのだ(だからきっとnoteにも滲み出ている)。

別に周りの人に合わせないとか、頑固なわけではない。場を盛り上げようと一緒にいる人に合わせて話すこともある。無理なく楽しめる範囲で。そしてそれは多分、ずれてはいないはずだ。少なくとも周りに嫌われてはいないと思う。「個人行動が好きだけど、集まりに呼んでも普通に馴染んでる人」というポジションを確立できている(と信じている)。

そんな風に振る舞えているのは、幼い頃、周囲の反応を細かく観察していたからだ。今でもよく覚えている。誰がどんな話が好きか。どんな性格で、どんな時になんて答えれば自分の印象が良くなるか。常に周りに気を遣って、頭をフル回転させていた。

「芯が強い」私にそんな生活が長く続くはずはなくて、次第に自己主張をするようになっていく。細かい過程は省くが、今の振る舞い方は「周囲の空気を読む」スキルを早い段階で身につけ、次第に「自己主張する」ことに軸を移していった結果だろうと思う。

昨日、下の記事を読んだ。

『ダルちゃん』は連載中から追いかけていた。あまり共感はしなかったけど、こんな風に生きている人が、世間にはたくさんいるのだろうなと思っていた。

著者であるはるなさんの言葉には、いくつか共感したものがあった。

「普通」って、存在しない幻のようなもの
自分と全然考え方が違う相手に「あーあ」とは思うけど、ここで戦ってこの人を傷つけても仕方がないし、いっちょ擬態しとくか、という感じ。擬態って、ちょうどいいバランスで使いこなせれば、社会生活を営む上で便利ですから。

私も「『普通』なんて人によって違う」と思っている。自分の当たり前が通用しない人なんて、掃いて捨てるほどいる。自分の「普通」と違っても、問題が無ければ「あ、この人はそうなんだな」と流すことが多い。

「戦ったってしょうがない」という言い回しもよく使っている。私はそういう自分を「めんどくさがりだなあ」と思っていたのだが、社会をうまく泳いでいくために必要なこと、とポジティブに捉え直せるかもしれない。

一方で、うまいことその場を取り繕う「擬態」にも限界はある。どこまでその場に合わせて、どこからは自然体に従えばいいのか。言い換えれば、どこまで自分を抑えて、どこからは自分を貫くのか、ということだ。
はるなさんはOL時代、プライベートな質問をしてくる人に遭遇したら、「雨が降ってきた」と思うことにしていたらしい。

雨が降ってもいちいち傷つかないですよね。それと同じで、「あぁ~、どうなんですかねー!」とか適当に言っておいて流す。心は動かされず、無の状態になるようにします。
どこまで擬態するかは自分で納得してやっていないと、きっと苦しくなってしまいます。
本当に単なる「ツール」でしかありません。当たり前のことですが社会にはいろいろな考えの人がいて、その場でお互い気分よくコミュニケーションを取れればいい、という場面もあると思うんです。どんなに嫌なことを言ってくる人でも、いいところだってあるだろうし。うまく擬態を使いこなしつつ、自分も納得できるいい塩梅を探すというか。

私は普段、「怒るべき時に怒る」、「言うべき時に言う」ことはとても大切だと思っているから、その場を乱してでも自分を貫くことをむしろ意識している。
とはいえ、就職したらそうも言っていられない場面もたくさんあるだろう、と今から戦々恐々としていた。

「雨が降ってきた」という表現はいいな、と思う。私はデリカシーの無い人に遭遇すると割かし素直にいらっとしてしまうのだが、どうでもいい相手ならこう考えればすんなり流せるかもしれない。

そして、「いっちょ擬態しとくか」というスタンスも積極的に取り入れていきたい。
周りに合わせても、それは私が自分の考えを捻じ曲げたわけではない。
その場をうまく流すために「擬態」という技を使っているだけだ。
それを自分でわかっていれば、自分の納得感があるし、我慢できるかもしれない。

どこまで擬態でしのげるのかは、これからバランスを探っていこう。
もし自分が納得いくバランスでうまくやっていけない時が来たら、その時は環境を変えるなり、バランスを見直すなりすればいいか…とひとまず安心している。

最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。