アニメあたしンちを見て、ジェンダー観の変化について考えた

最近、AbemaTVにはまっている。
知っている人も多いだろうけれど、一応説明すると、AbemaTVとはライブストリーミング形式で放送しているインターネットテレビのことだ。

先週くらいだろうか、ふとしたきっかけで、AbemaTVであたしンちのアニメが見られることを知った。
それ以来、夜のだらだらタイムはスマホであたしンちをぼーっと見ている。

あたしンちは私が子どもの頃にテレビで放送していて、我が家では毎週見ていた。
一度は見たことのあるものばかりだろうけれど、ストーリーをすっかり忘れてしまったから、毎回新鮮な気持ちで見ている。

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あたしンちは、個性あふれるお母さん、寡黙なお父さん、クールでおちゃめなユズヒコ、マイペースでおっちょこちょいなみかんの立花一家を中心としたコメディだ。
ほのぼのとしてストレスの溜まらない内容である。

ただ、時々、「時代が違うんだなぁ」と感じることがある。
例えば、第355話の「父、エステでツルーン」の回。

冒頭、お父さんと同僚が居酒屋で呑んでいる。お父さんと同僚が居酒屋で呑んでいる。
同僚が「これからはメンズもエステの時代だ」と言うのを聞いて、お父さんが「男がエステなんて」と一笑に付す。

後日、ひょんなことからお父さんはメンズエステを受ける。
家に帰っても、誰も肌がツルツルなことに気付いてくれず、お父さんは怒って部屋に閉じこもってしまう。

お母さん、ユズヒコ、みかんは、お父さんが怒っている原因を突き止めるべく、各々が懺悔を始める。
お父さんは懺悔の内容を聞いてとうとう怒鳴りだすのだが、みかんがお父さんの肌がツルツルなことに気付き、一気に機嫌を直す。

「男がエステなんて」という価値観もさることながら、子どものように拗ねるお父さんも、お父さんの機嫌を当然のように取ろうとしている他の3人も、現代にはそぐわない感じがした。

お父さんは、他の話の中でも度々お母さんに命令したり、家事をせずにだらだらしたりしている。
そしてお母さんはそんなお父さんを当然のように立て、尽くしている。

お父さんだけではない。
例えば、みかんと学校の同級生の会話シーン。

みかんと友人のしみちゃんの会話を聞いて、吉岡という男子が「本当に2人は女らしくない」という主旨の発言をする。
みかんもそれを受けて「わたしって女らしくないかも…」と落ち込む。

こんな風に、随所に昭和的(平成的?)ジェンダーが見られる。
けらけら笑えるシーンの方が多いから不快にはならないけれど、”う~ん”と首をひねってしまうこともある。

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あたしンちが放送されていたのは、2002年~2009年だ。
2015年から2016年にかけても少しだけアニメ化されていたようだけど、私が見ていたのは前者だ。

あたしンちが放送されていた頃は、立花一家や一家をとりまく人々の価値観は、当たり前だったのだろう。
あたしンちが悪いわけではなくて、時代を反映した描写がされているだけなのだろう。
でなければ、ゴールデンタイムにアニメ放送されるはずがない。

現在の私が見て違和感を感じているということは、たった10年かそこらで、ジェンダー観は大きく変化したと言える。

10年なんて大した期間ではないし、変化についてこれずに前時代的な価値観をもっている人がまだまだいるのも当然かと思う。
もちろん、そういう人々にはぜひ変わっていただきたのだが。

でも、このアニメが当たり前のように放送されていた時に子ども時代を過ごした人の中には、「男女とはこういうもの」と無意識に刷り込まれている人がいてもおかしくない。

時代背景や養育環境を鑑みずにむやみやたらに怒っても、届かないかもしれない。
それまで当たり前だと思っていたものを急に否定されるのだ。
私だっていきなりそんなことされたら戸惑う。
言い方に注意が必要なのは当然だと思う。

改めて、自分が時代の境目にいること、価値観の変化がどういう部分に象徴されるのかについて、考えさせられている。
今日も帰ったら、お母さんを見ながら一笑いしたいと思う。


最後までお読みいただきありがとうございます。 これからもたくさん書いていきますので、また会えますように。