自己紹介


ピアノ弾きの母と、自動車の技術屋の父のもと神奈川県でうまれる。
母のピアノで歌い、踊り狂ったあげく、自分も弾きたくなってピアノを始める。
親子ゲンカになるため、小学校の頃から別の先生のところへ。自分でも無敵ではないかと思うほど何でもすぐに弾けて楽しくて仕方ないが、クラシックコンサートは退屈で聞いていられない、コンクールも嫌い、よそ見してバレエやヴァイオリンにも憧れ、やらせてもらう。遊び優先な毎日。練習は嫌い。磨けば光るのに、と言われ続ける。

中学校頃から自意識が邪魔をして、人前で弾く時に緊張するようになる。無敵はどうした!自分の録音を聴いて、ピアノもフォルテも、やってるつもりなのに全部平らにきこえるなぁ、でも他の人よりアイディアに溢れていて、誰よりも面白く弾ける自信がある!と思う。

高校2年で進路を決めることになり、ヴァイオリンかピアノか勉強かで迷う。
もともと連弾とラピュタの曲が好きでピアノを弾いていた&ピアノはヴァイオリンと比べてオリジナルのレパートリーが多い&ピアノの音が好き&2時間勉強よりはピアノの方がよい、程度の動機で音大を目指すことに。

音大に入るも、遠すぎて、行き帰り5時間でくたくた、一人暮らしは許されず、ほぼ練習できない4年間。プラス、アンサンブルが習いたいと思い、受験当日インフルエンザ(秘)でへろへろでディプロマを受験。計7年間通学する。通学だけで必死。

ディプロマで出会った先生により、ここはこう、「なぜならば」という、私の最も知りたかった ”なぜならば” が次々解明されてゆき、先生の音がとにかく愛に溢れものすごい音だったので、ピアノとは、アンサンブルとはなんと幸せなことかを教えられ、これがやりたい!と思うも、できなすぎて5キロ痩せる。

もともと”聴く”というアンサンブル能力はなかったため、これが一番苦しかったが、ある時、東横線の電車の中で歌曲の楽譜を読んでいた時についに閃き、”聴く”ということにたどり着く。あぁ、長かった。これで世界が開けるも、まだ演奏は緊張する。なぜならば、決定的な自信はないから。これで、、いい、、の、かな?って感じ。

ある時、ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団の首席ソロチェロ奏者という、どえらい方とリサイタルさせていただく。初リハーサルは前日。その一音を聴いた時から、「生きていてよかった!!」と涙が出るほどの感動を味わい、先生に習ってきた音楽の語法というものが、世界のトッププレイヤーに通用することに驚く。しがみついて、続けてきて本当によかった。

卒業後12年ほど、月40〜60曲、年間50ほどの本番の仕事をする。先生がなくなり、不謹慎にも緊張がほどける。素晴らしい共演者の方々との出会いも重なり、この、音楽楽しい!を伝えたくなり、自主企画コンサートも始める。自分がいまだに長いコンサートや難しい解説が苦手なので、短め、トーク付きが基本。さらに、おもろいコラボを度々思いついては試している。楽しい!伝えたい!成し遂げたい!が緊張を上回った時、緊張というのはマシになり、集中力が高まるということを知る。

卒業後12年経ち、とある自主企画コンサートを終えた時、「あ。先生の言っていたことができるようになっている。やりたかったことも、やりつくした」
という感覚に陥り、先を見失う。

その夜、お風呂で「留学するか?!」ということを思う。
ずっとずっとしたかった。
翌日には止められないほどの思いになり、すべての仕事をキャンセルして、37歳でウィーンへ。そこでの生活の面白さに、夜明けとともに起きてしまうほどの興奮の刺激的な日々。音楽的には、日本でたまたま見つけた先生が、亡くなった先生と同じフィルクシュニー、そしてケンプという巨匠の弟子でウィーン在住だったこともあり、はたまたウィーンでどえらい内容を学ぶことになり、最初の数ヶ月は異国にて再び自信喪失。

異国で孤独に向き合ううち、卒業してから、すべての仕事を片っ端から引き受け、すべてのアドバイスを忠実に実行してきた中で、知らず知らずのうちに、”世間の求める理想のピアニスト像”という他人の人生を生きるようになってしまっていたことに気付く。数年行き来するうちに、本来の自分へ還る作業が高速で行われ、大混乱。離婚も経験する。

40を過ぎた今、ようやくすべてのバランスがリンクしてくる。「自分の音」そして「自分の生き方」を見つけ、再婚、出産、ファーストピアノアルバムをリリース。

現在、大人になって社会で働くうち相手に合わせ、人の目を気にしたり、と知らず知らず他人軸に陥りがちな日本での生活と、自分自身を生きることとのバランスを模索、実験中。若い時のように安いギャラで時に自分を騙して年間50もの本番をこなさなくても、本当に大切な素晴らしい作品と人々と、自分でなければできない仕事のみを選んで関わり、家族ファーストのライフワークバランスにしても、工夫すれば妊娠中や疫病蔓延中でも収入がさほど変わらないことを体験。

体力はないので基本がんばれないが、病気とは無縁で、やりたいことが色々と湧いてくるご機嫌な毎日を過ごし、音楽でこの世に虹をかけたいと思っている。


ご支援下さいましたら経費に充てさせていただき、仕事に繋がるピアノ共演法のワークショップをどしどし提供してゆきたいと思います。