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志人から我々は何を学ぶべきか

いまの日本の音楽界は史上最も盛り上がっていると言っても良いでしょう。ネットレーベルが2000年代以来の大ブーム、今まではセルアウトからほど遠かった作風のバンドやラッパー、SSW達も人気となり、前衛的な音楽の売上も最高潮と言います。

そんな中でも異端の音楽家と言えるのが志人と思います。彼は多くの場合日本語ラップの文脈において語られますが、実態はヒップホップどころかポピュラー音楽からも逸脱しているものです。

まるで寺社で説法するかのような、硬い韻に彩られた朗々とした語り。
人は彼の語りを聴いて「神ががっている」と崇めたり逆に「ナショナリスト」と眉を顰めたりします。どちらにせよ「普通」からかけ離れた人間とみているでしょう。しかし、彼の出自を見ると意外にもそんなに特殊なものではありません。


志人はその作風から田舎出身のように思われている節がありますが、実は東京都新宿生まれ。長野に祖父母の家があったそうで、そこでの体験が現在の作風の根源になっているそうです。

大学時代に早稲田大学のサークル"GALAXY"でラップをはじめます。大学卒業頃にあたる降神での活動も現在に繋がるポエトリーや硬い韻が既に見られる非常にレベルの高いものですが、ラップというジャンルから大きく外れたものではありません。

しかし彼は今や京都の山で木こりをやりながら、先述の通り異様な音楽性を獲得しています。

何故新宿生まれの彼がこのような道へ進んでいったのか?いかにして今のスタイルへと変化していったのか?
彼のスタイルの起源を考察しつつ、考えていきたいと思います。


説教祭文

時代は一回中世に戻ります。日本には「説教節」と呼ばれるものがありました。声明や平曲を取り入れた道端演芸です。お坊さんの説教が芸人の手に渡ったものと考えてよいでしょう。日常会話に基づく発音の「コトバ」と歌うように語る「フシ」を交互に使いながら、いくつかの演目を語っていきます。江戸時代には操り人形や三味線を使った演芸へとなったそうです。

そしてもう一つの演芸として「山伏祭文」がありました。こちらは神道の祝詞などから派生した演芸です。山伏(ないしはその格好をした芸人)がほら貝や錫杖を使ってリズムをとりながら歌います。

しかしながら、説教節は時代が下るにつれ「古くて面白くない形式」として衰退することになります。そんな中とある米屋の亭主・米千が近くの三味線弾きと共に「説教節の三味線の上で祭文語りする」ということをやり始めます。これが説教祭文です。説教祭文は説教節リヴァイバルの側面もあったようで、説経節の演目をやることもあったそうです。この演芸は江戸で人気が出た後、各地方に散らばることになります。そして説教祭文は後の時代の浪曲へとつながります。

説教節や説教祭文の担い手は乞食や盲目の女性などでした。そして明治以降の浪曲も朝鮮人など。つまり通常の社会コミュニティから外れた人間(異人/まれびと)です。彼らは様々な地域に旅をして、各地で語り、演奏しました。彼らを迎え入れる人々も来訪神として彼らを丁重にもてなします。

彼らはその土地の話を語ります。例えば山椒大夫など。社会の最下層にいる民が社会を変えようと尽力し、今は祀られている。彼らが神になるまでの様々な苦難の物語を伝え、苦しむ民からの共感を得ました。一種のレベル・ミュージック的立ち位置だったことは想像に難くありません。

長年日本の古い歌や語りを研究されてきた姜信子氏は、近代の名のもとに民の声を封殺してしまった森鴎外「山椒大夫」と対比して説教祭文についてこのように語っています。

…その語りは、徹頭徹尾、地べたからの声です。旅する者の声です。旅する語りの声を迎え入れる民の声です。苦痛に耐えて耐えて生き抜いた末に、死ねば神にもなる、そんな民の声です。…

姜信子「語りと祈り」より


「奇盤」マツゑツタヱの正体

さて話は再び志人に戻ります。

志人は長年の活動の中で沢山の作品を出しておりどれも高評価を得ているものばかりですが、一つ賛否の分かれる作品があります。それがマツゑツタヱです。

内容はと言うと、松江で行った怪談会の録音です。簡素な効果音や三味線等が後ろに流れたり要所要所で抑揚を付けたりはしているものの、ほとんどは語りで占められています。その内容からあるブログでは「相当の志人マニアでないと楽しめない」と言われるほどですし、私もそう思います。

また不可解と言われるのが最後の8曲目「古事変奏第三番 三猿富士踊 庚申講」。三味線と一緒に怪談を語る内容ですが、この曲のみ松江の怪談会での録音ではありません。なぜこれが収録されているのか、前述のブログでも疑問に思われていました。

しかし高い評価を得ている音楽家の賛否両論と言われるアルバムは、往々にしてその思想を最もよく表したものです。本作もその例にもれず、志人の本質を表したアルバムと言えると思います。即ち、説教祭文です。

このアルバムでは志人は「実体験」に基づいてお話を語ります。「村八分」「きちがい」などのワードを使いつつ表現されるのは社会から見えない世界。登場する人も、多くの場合無視されてしまうような「民」ともいえる人々です。その生々しい話を、松江という場所に旅して、日常の「コトバ」と抑揚ある「フシ」を交互に使い分けつつ、離れた地の「民」に聴かせているのがこの7曲目まで。これはそう、まさに説教節/山伏祭文なのです。

そして最後に収録された三味線との怪談も、三味線弾きも志人とともに語るあたり説教祭文を狙ったものなのかもしれません。説教節から説教祭文への進化を表しているのであれば、この音源がアルバム最後に配されていても全く不自然ではありません。

「マツゑツタヱ」は現代における説教祭文再構築への挑戦として考えることができます。そして彼の一番のテーマはまさにそこにあると考えます。


どこにもいない人、志人

さて志人はなぜ、このような手法に辿り着いたのでしょうか?それはヒップホップというジャンルを考えると自ずと浮かび上がります。

日本において欧米にはない音楽を見出すためには、同じ構造の日本音楽を見出すことが必要です。例えば細野晴臣が沖縄民謡とロックに見出した相互性、山本邦山が見つけた伝統邦楽とジャズとの親和性などがあります。

ヒップホップはアメリカで差別される黒人たちの音楽です。社会から抑圧されている人たち。彼らの生活の中の叫び、苦痛を表したのがラップに他なりません。志人は「苦痛の叫び」としてのラップを説教祭文に見出したように思います。説教祭文自体の反近代国家性もヒップホップに似通っているでしょう。

しかしながら、前述の通り説教祭文の語り手は「社会コミュニティの外部の存在」であることが求められます。東京都生まれ東京都育ちで日本語ラップの名MCと言われていた2000年代初頭の志人は、多くの日本の音楽リスナーにとって社会コミュニティの内部の人でしかありません。

一方田舎の人にとって、彼はコミュニティ外部の人です。音楽ファンでなければ彼は「都会のあんちゃん」だったことでしょう。志人はここに目を付けたのです。

京都の木こりはリスナーから遠い存在。その上東京育ちでラッパーをしている彼は京都の木こりたちにとっても外部の人間です。
彼は京都の木こりとなることで普通の東京人として生まれつつ、全ての人にとっての異人/まれびととなることを可能にしました。この思想は彼の別名義である「客人(くろうど)」によく表れています。

そして彼は日本各地を旅しながら語っています。彼は今、「志人」という完全に社会から隔離された位置にしかいません。故にすべての人に対する来訪神と化しています。


我々は彼から何を学ぶべきか

説教祭文を現代に蘇らせる志人にとって、この国の近代化によって消えてしまった「民」や「神」の声に耳を傾け(詩種、心眼銀河 etc.)、同時に現代社会の中に消えてしまう今を生きる「民」の声に耳を傾ける(凹凸凹、映世観 etc.)のが根幹となる思想でしょう。そしてリスナー自身が「民」であり「神」であることを自覚し、自分を信じぬくことを志人は切に望んでいるように思います。

また表現者としても彼はその実行力が抜群です。曰く、志人は「直接行動」を大事にしていると言います。

最近のエコブームでエコバッグを使ったり、CO2 排出量の少ない車に乗る心遣いをしても、「木を植えたり、種を蒔いたり、(直接行動)」する人は都会にはなかなか居なかったりする。勿論やっている人も居るが。つまり、一見して反対活動に見えても、それはファッションになっている部分が多々あると思う。しかし、「木を植える」という直接行動は、植えた人も、そしてその人の子孫も、植えられた地球も、嬉しい事だと思う。

https://dancehardcore.com/archives/000371.shtml

先に述べた説教祭文の語り手と同じ位置に己を持ってくるのも直接行動に他ならないでしょう。

己の思想と身体を信じぬき、それを体現する者になること。
志人流にいうなら「後世に残せそれぞれの個性」と言うところでしょうか。一見当たり前のようですがいざやってみようとしてもなかなか実行できるようなものではありません。しかし、「木を植える」ような自分にも届く範囲から直接行動していくべきなのです。



参考文献

姜信子「語りと祈り」

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