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大切にされた


きっとそれは
その方達にとっては当たり前のこと。
在るようにそのままに行(おこ)なっていること。


今日はずっと参加したかった料理教室の
お茶会に参加してきた。
あるときは日程が合わず。
あるときは持ち合わせがなく。
あるときは退っ引きならないことがおきて。
一年近くたっていたかな。


それもまた必然だったのかな。
今ではそう思う。
そういった会だった。


きれいに整えられた場。
余計なものはなく、置かれているものは
洗練された美しいものたち。


壁際に並ぶ季節の果実を漬けたものは
手と心を込められた気配がしている。
まるでそこは寺院のように静謐で
見ているだけで心が震えた。


写真はない。
なぜならば撮影禁止だったから。
おかげでわたしは茶会のひと時を存分に楽しむことができた。


振り返ってみると、
伝えたい、見せたい、と
誰か  のために
誰かのことを考えて動いてたみたいだ。


自分のための時もあったけれど、
再現するため、残すためと
なんだか躍起になっていた気がする。


撮影から解放されると、
こんなに自由なのだ。
感覚に没頭できるのか。
忘れてしまったらそれはそれで忘却にくれてやればいい。
そんな境地にたどり着けたのも嬉しい。

はじまりは
ウェルカムティーと菓子。
乾燥させた蓮茶。
花と葉。
花が砕けたりしておらず一枚きれいに乾燥されているのを見れば
ご自身で作られたのがよくわかる。
菓子は、青梅の実とシャーベット。
白い美しいお皿にぷっくりとした実と
白いシャーベットが映える。


口に含むとさわやかな酸味と氷が
体を通り過ぎていく。
名残惜しい夏を思い出したかのような熱さの日にぴったりだった。

お茶はお湯の中でゆっくり開き
ほんのり甘い香りと優しい味がした。


そして感じた。

大事にされた。   と。


泣きそうなくらい心が震えた。


しっかりシロップを含んでいるのに
皺一つ寄らない梅にどれだけ手間暇かかるか
想像に難くない。


カトラリー、器がどれほど愛情を込めて選ばれたのか
掃除をどれだけ丁寧に行なっているのか


きっと日々のルーティン、生活になっているだろう。
だけどそれは、尋常ではない
特異な積み重ね。


梅もシャーベットも美味しかった。
器もカトラリーも美しかった。


それ以上に心を震わせたのは、
目には見えない、かけられた時間
思いのようなものだったと思う。


大事にされた。と感じた。
それはわたしの話でもあるし、
きっとあの空間のものたちの話ではないかな。


終わりまで、一度も途切れることなく、
美しく静かで美味しい時間は続いた。
レストランとは違って、
そして日常とは絶対に違う空間。


また来よう。
ここに定期的に通うのは簡単じゃないけれど、
わたしの一つの目安として通うことにしよう。


あの静謐な時間と
わたしを育む大切な時間のために。


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