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「見られる用文化」のはざまで②ー「男まさり」な少女時代

連続コラム『「見られる用文化」のはざまで』の第2回です。(→前回記事はこちら

前回「見られる用文化」という言葉を提唱したい!と息巻いてましたが、よく考えたら同じ意味の用語が社会学とかフェミニズムの分野にはすでにあるかもしれません。
まあでももっと勉強していく先に「私はこのことが言いたかったんだあ!」というアハ体験があっても、それはそれで良いんでないかと思って恥を覚悟で書いてまいります。

今回は、さまざまな様相で世の中に現れる「見られる用文化」について語るにおいて、まずは自分自身のことを語っておきたいなあ、と思いました。

私の場合、わりに「見られる用文化」から自由な少女時代だったなあ、と思います。

私の母親は、おそらく私よりもずっと勉強好きで成績優秀な少女だったようです。でも、女の子であるがために、好きなように勉強させてもらえなかった経験があると聞いています。
そのためか、母が私に対して「女の子らしくせねばならない」というプレッシャーをかけることはほぼありませんでした。

むしろ「男の子に負けない女の子になってほしい」という願望があったかも、と今振り返ると思います。

小さい頃の私は、「男まさりな女の子」であることをとても誇っていました。多くの男の子がするような虫取りや戦隊ものごっこ、木のぼりをする女の子であることが、「女の子らしい」と言われるより絶対に素晴らしいと信じていました。

そうした子供時代を経た私は、「見られる用文化」には到底適応できない女の子に育っていきました。
「見られる用文化」に適応できないことは、社会に適応できないことに相当します。
どこに行っても変わり者扱いされ、クラスのいじめられっ子の標的にされ、ごくわずかな女性の先生にはとても気に入ってもらえたけれど、それ以外の担任には必ず「困った子」として扱われていました。

しかし、「見られる用文化」に染まらない私を素晴らしいと思っていた両親と、少数の友達のおかげで、私は自尊心を失いませんでした。

うちの両親はちょっと変わっているのか、まるでアメリカのホームドラマに出てくる親のように「うちの子は最高で天才で一番優しい」と思い込んでいるふしがあり、今となってはこの人たちウケるなという思いもありますが、とても感謝しています。私の中に根強く理由のない自己肯定感があるのは、他ならぬ両親のお陰としか言えません。

そのためか私は、はみ出し者でありながら、はみ出し者同士のコミュニティを築くことができました。

そのコミュニティ…いわゆる「仲良しグループ」にいた子たちは、今思えばまさに、「見られる用文化」に適応できない女の子たちでした。

「見られる用文化」に適応する言動がどうしてもできない変わり者。「見られる用文化」における価値の低さを突きつけられながら自虐キャラに徹することもできない不器用者。そんな子たちばかりが集まり、オタクっぽい話やふざけた話ばかりしていた時間は、当時とても楽しい時間でした。

自分はどうやらはみ出し者らしい、と自覚し始める思春期に、共に過ごしてくれた女友達のおかげで、嫌なことばかりではない、楽しい十代を過ごせたと思います。

幼少期と十代を、周りに適応することばかりを考えずに過ごせたのは、本当に恵まれていたと思います。
しかし、そんな私も、「見られる用文化」にまったく無関係かといえば、そうではありません。

たとえば。
両親に私の容姿の美醜をどうこう言われたことはほぼ記憶にないのですが、親戚が集まると、おっさんたちの中に必ず1人2人「美人になる・ならない」とか、「ブス・ブスじゃない」とか話題にする人はいます。
小学校4〜5年生くらいの頃に、親戚家族と遊びに行った先で水着を着た時に、「なかなか彩野も見られるじゃないか」といったようなことを言われたことが、なぜか記憶に残っています。
その時は、私自身は意味もわからずそんなにショックでもなかった気がするのですが、親たちの言葉を失ったような妙な空気を含めて印象的だったのかもしれません。

それからたとえば。
小学校3〜4年生くらいの頃だったと思うのですが、書道の授業だけを担当していた男性教師がいました。
彼は、クラスの女子の中で2〜3人にターゲットを定め、ある子には「ブスだな」と言い続け、ある子には「可愛いね」と言い続けます。そして一定期間過ぎると、ターゲットを切り替えます。全く違う子に言う場合もあるし、「ブス」と言い続けていた子に今度は「可愛い」と言い始める場合もあります。
クラスの中の誰も、その教師に「ブス」と言われることはもちろん、「可愛い」と言われることも望んでいませんでしたし、なんとなくみんな「あの先生嫌い」と思っていたようでした。でも、その振る舞いを真っ向から批判できるほどの判断力もありませんでした。
子どもよりもあの教師に近い年齢になった今考えれば、教室という自分の支配を行使できる空間で自己顕示欲を満たしていた彼を、普通に気持ち悪いクソヤローだな、と思えます。
私も彼に一度だけ「ブス」と言われたことがありましたが、わざと平気な顔して「はい、知ってますからいいんです」とすましていたら、「意味わかってる?ブスって言われてるんだよ?」などと数回確認されたのち、私はつまらないと認識したようで、その後二度と私をターゲットにすることはありませんでした。
でも、自分で「ブスだと知っている」なんて言うのは、幼心にやっぱりちょっと傷つく気持ちがありました。なんで私、あんな小さい頃に自分がブスだなんて言わなくちゃならなかったんでしょうね?
それでも私は当時の私を、「小学生でよくあの毅然とした態度を取れたな!あっぱれだな!」と褒めてやりたいと、記憶が蘇るたびに思います。

家庭環境に恵まれていても、この社会で生きている限り、あちらこちらから「女の子は見られる用である」という価値観は忍び寄ってきます。それもかなり幼い時から。

そしてそもそも、私が「男まさりな女の子」に憧れ「見られる用文化」に適応できない子に育ったのも、母親が「女の子は見られる用であって主体的に学問をするものでない」と押さえつけられた経験の反動を引き継いだ部分が大きかったと思います。
「男の子的な」遊びが「女の子的な」遊びより優れているわけではないし、活発な子が内向的な子よりえらいわけでもない。そして私自身の性格も本来、のんびりやでオタク気質な「男まさり」とは違ったタイプだということに、成長とともに気づいていきました。
少女時代の私はそれを勘違いするくらい、「女の子らしい」ことは「男の子らしい」ことよりも劣悪だと信じ込んでいたのです。

「見られる用文化」にあまり染まらず育って来れたことは幸運だと思っていますが、それによる社会との摩擦や、幼少期の自分が身につけてしまった「女の子らしい」を見下す価値観には、やはりまだ、呪いが引き継がれています。
この呪いを解く方法は、男と同じ土俵で負けないことや、男っぽく振る舞うことではないということを、私は幼少期からの生育過程で徐々に学んできたのかもしれません。

さて次回からは、もう少し幅広く社会の中でのさまざまな「見られる用文化」の現象について語っていきたいと思います。

(以上全文無料)

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