不感症*恋愛講義 第二回「非モテな自分は気持ち悪い?」

さて第二回です。

※このコラムは、「ネット上に溢れる恋愛の悩みをざっくり拾って、勝手に恋愛講義をしよう」という主旨の記事です。ちなみに投げ銭スタイルの記事です。最後まで無料で読めます。

第一回はこちら⇒第一回「寂しさを解決するには」

ネットでいろんな恋愛のお悩みを探してみたところ、第一回のテーマに続いて多く見かけたのは、いわゆる「非モテ」の人たちの悩みでした。

今まで誰とも付き合ったことがない、恋愛が成就したことがない、まともに恋愛をしたことがない。

そして、意外だったのは、そのこと自体を解決したいという悩みよりも、「こんな自分はおかしいですか」「世間から見たら自分のような人間は気持ち悪いですか」といった不安の方が多く目に付いたことです。

コンプレックスとプライド

これは、私にとっても非常に共感できる内容です。前回は自分自身とは遠い悩みでしたが、今回はもう少し自分に引き寄せて考えられそうです。

私も「恋愛感情がない」ということをセクシャリティとして名乗り始めてからも、今でも、やはり世間というものに対するコンプレックスとプライドがぶわっと溢れ出す瞬間があります。

人間ってなんだかんだでやっぱりそこからはどうしても離れられないものなんでしょうね。

世間の人々の多くが自分の年齢までに経験していることを、自分はしていない。そんなことって、ほんとは誰しも大なり小なり、何かしらあるものなのかもしれません。恋愛とか、セックスとか、結婚とか、就職とか、出世とか……。その体験の有無で、「この人は自分の仲間じゃない」と線を引いてしまったり。

理想論と本音の話

なんだか日本に生きてると、「理想と現実は違う」みたいな言い方すごく良く聞く気がするんですね。でも私は、現実がなかなか正しいものにならなくても、誰も完璧に正しい人にはなれなくても、「何が正しいことか」という基準は自分の中に持っとくべきだと思うんですよ。…えーと、いきなり何の話だと訝しく思うかもしれませんが。

やっぱり他人と自分の人生を比べて、その価値を秤にかけるのは、正しいことではないと私は思っているんです。

自分が満足して、周りと自分に誠実に生きていければ、それ以外に目指すことなんてないと思うんです。結婚も恋愛も仕事も、そういう人生を送るための手段であって、自分に必要ない手段は使わなくていいんです。

「そうは言っても世間は許さない」とか、「それでもコンプレックスを感じてしまう」とか、「それを言えるのは恵まれてるからだ」とか、いろいろあると思います。たぶんそれは全部その通りだと思います。

けれど理想は、私にとって本当に正しいと信じるべきことは、「他人と比べない自分なりの人生の価値を見つける」という、ごく単純なきれいごとなのです。

もちろん生活改善したいとか、仕事の効率上げたいとか、もっと人に優しくしたいとか、向上心を持つのが悪いと言ってるわけじゃありません。でもそれは他人との比較じゃない。自分が変われば良いだけであって、他人と同じくらいにとか、他人よりもっととか、考える必要はない。

それに「人より劣る」と思っている部分はもしかしたら自分自身の個性であって、治してしまったら自分ではなくなってしまう部分という場合もあります。例えば私のセクシャリティのように。

立ち戻る場所としての「理想」

私自身、自分の他人より劣るところや世間から馬鹿にされるであろう属性を実感しては、恥ずかしくて辛くてたまらなくなる時があります。でもそれと同時に、「本当はそんなこと気にしない自分になるのが一番だよな」って思っている自分が、少し離れたところから自分自身を見つめています。他人より劣るところを無くそうと心が焦ることもあるけれど、心のどこかでは「それって本当は違うんだよな」と感じています。

「本当はこれが理想で一番いいな」、と思うことがあるなら、どんなに実現が難しいことでもそれを信じて良いと思うのです。そして時々そこに立ち戻って自分を見つめ直せばいい。

理想を持ち続けてそれが叶わないのは辛いと思われるかもしれませんが、私にとっては歪んでいると感じながらそれが現実だと諦めて、信じるものを曲げることの方が辛かったのです。

自分の価値観を守るために

こんな風に私なんぞに言われても、やっぱり人から気持ち悪いと思われるのは嫌だし、自分が世間から見ておかしいのか、気持ち悪いのか、というのは気になってしまうことだと思います。

どう話したところで、これは私の価値観です。それぞれに自分の価値観があり、他者を損害しない範囲でそれを守ろうとすることは誰も邪魔できないことです。

だからここで、自分が正しいと信じる価値観を守るためのコツとして、私が実感していることを話して締めにしたいと思います。

自分の大切な価値観を守りたいと思っても、一人で握りしめているとその形がだんだん何だったか分からなくなり、何を信じたらいいのか見えなくなることがあります。自分の価値観を守るために必要なのは、外へ出て人や社会と関わる勇気だと思います。

きっとそれは、ネット上に自分の悩みを投稿した人たちが、その時振り絞った勇気です。

上手い会話術やコミュニケーション能力を磨くことは、人によっては必要になる場面もあるかもしれませんが、この場合重要ではありません。大事なのは自分の大切な思いや迷い、不安を人に話す勇気です。まずはネット上でも相談窓口でも、今の自分の状況や心境で語りかけうる相手でいいと思います。

人は本当に一人きりになってしまったら、自分の形が分からなくなり、自分が信じられなくなってしまうと思います。外の世界の広く多様な物事や人々に触れると、自分の輪郭はだんだん明確になり、自分が信じるものが何なのか整理されていきます。その中できっと、自分自身を容姿や、ステータスや、振舞いの不器用さなどとは関係なく、ただ一人の人格として見てくれる人と出会うこともあるでしょう。

自分自身も自分を惑わす

人と比較しない価値観を持つために人や社会と関わるというのは、逆説的かもしれません。逆に他者に惑わされることも多いでしょう。傷付けられたり、がっかりすることもたくさんあると思います。

でも自分を惑わせたり傷つけたりするのは他者だけでなく、自分自身だって自分を惑わせ、考えを歪め、分からなくさせます。自分の大切な思いを自分自身が踏みにじることもあります。

他者と自分の間で行ったり来たりしながら、考え続け、そのたびに気付き続けなければいけないのかな、と思っています。

えらそうに言いましたが、大切なことを人に話すのはなかなかできることではありません。人間にとって一番難しいことかもしれません。自由を制限されている人にとっては環境的にも困難かもしれません。それでも、結局この難しいことに立ち向かって、少数でも自分の味方や仲間を作るのが一番楽な人生の過ごし方なんじゃないかな、というのが私の実感です。

相談募集中

果たしてこれは恋愛講座なのかという感じがしてきましたが、続く予定です。

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すべてのご相談に答えるかどうかは保証できません。状況が詳しくわかるように書いていただけるほどこちらも答えやすくなりますが、年齢・性別・ペンネームなどの記載の有無は問いません。


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