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見られる用文化のはざまで⑤-Aマッソ(後編)

あまりに長くなってしまったので、前後編に分けました(笑)
前編はこちら

Aマッソの摩擦とジレンマ 

Aマッソの笑いは、ほとんど「女の領域」とされる容姿やエイジズム、ファッション、恋愛などとまったく関係なく展開されている…ということを前編までで語ったわけですが。

しかしおそらく、彼女たち自身は、狙ってそれをしているわけではなく、好きなお笑いを追求してきた結果現在のスタイルになった部分が大きいのではないかと思います。

ある時加納さんがネットラジオで、お笑い界全体の女性芸人たちに対して、不満を語っていたことがあります。

・女性芸人は一度売れるとそこで満足してしまう人が多い。もっと野心を持ってほしい
・売れるとおしゃれになるのがきもい
・成功した年上の女性芸人たちの話題は高いコスメやエステの話ばかりらしい。きっしょ。おもんな。
・どの時点でも満足せずに死んでいきたい
・一度売れて、いい暮らしできて子ども産んで1〜2年休んでママタレで戻ってきて通販やってとか、それをしたくてお笑いやってきたわけじゃない。 

こういうこと言うから尖ってるって言われるんだよ加納さん!(笑)

しかし、売れた女性芸人がおしゃれしたりコスメやエステの話題ばかりって、すごく私は納得できてしまったんですよ。
だってそれこそが、もともと彼女たちの専門分野だから。

大多数を占める男芸人たちの中で生き残るために、「女の領域」の限られた範囲で笑いを取ることに特化してきた彼女たちは、「女を捨てている」というよりむしろ「女の領域」とされているものを誰よりも追求してきた存在なのではないかと思うのです。
「女の領域」を肯定、否定、卑下、神格化、あらゆる側面から突き詰めてきた彼女たちは、女性の美で勝負するモデルなど以上に「女」であることに鋭敏なセンスを持っているかもしれません。

しかし同時に私は、「そこに甘んじていていいのかよ!」という加納さんの苛立ちもよくわかるのです。
男社会に目配せをして、既存の価値観を突き抜けることなく「女の領域」の中だけで大人しく収まっている。そういう雰囲気が、Aマッソの2人にとっては、全然お笑い的ではない、「おもろない」ことに見えるというのは、全く間違ってない、正しい見方だなあ、と思うのです。
純粋にお笑いが好きでお笑いを目指したのに、その世界で〈男がたどり着ける頂点〉と、〈女がたどり着ける頂点〉に歴然とした差があるなんて、「女はここまでで満足してね」とどこかで言い渡されるなんて、そんなの納得できるわけがない。

そこで諦めたくない、そんなところで満足して終わりたくないと言える、そのダイヤモンドのような硬質に輝く理想。まるで成績優秀な女子生徒が、同じ優秀さでも選べる未来に男女で大きく差があることにはまだ気付かず、まっすぐ夢を見て努力している姿のような、ピュアな高潔さを感じます。
はい、もう好き。好きじゃないわけないこんな人たち。

血の吹き出すようなコント

でもきっと加納さんも、女性芸人が男性よりも低いところで満足してしまうのが、けして彼女たち個人個人だけの責任問題ではないことに、気付かないわけではないでしょう。

今のところ私がチェックできたAマッソのネタの中で唯一、「自分たちが女性であること」を取り扱ったコントがありました。
これがなんとも衝撃的なネタでした。

・女が作ったラーメン食べられない
・結局男の真似事にすぎない
・しばくぞって言っても握力ないから怖くない
・女は下積みっていう発想がない
・女でショートカットにしてるやつ一番嫌い

これ、むちゃくちゃなことを言う人を面白おかしく描いただけのコントとして、さらりと見ることもできてしまうんです。実際そういうふうに見て笑ってた人も少なくないと思います。
しかし、ここまで読んできた上で見てくださった方々には、突き刺さるものがあったのではないでしょうか。

つまりはこの、加納さん演じる女性教師のセリフは、すべて「Aマッソが言われてきたこと」なんじゃないか!?ということです。
観客が理解できるかできないかギリギリの挑戦的なネタも果敢に制作しているAマッソが、100の皮肉を込めてこのネタを書いたことは間違いないのでは、と思います。

そこには、どれほどの悔しさが詰まっていたことか。本当に、ちょっと触れただけで血が吹き出してきそうなネタです。
加納さんのセリフをただのネタと消費して「女のわりに攻めたこと言うじゃないか」と笑っている人々こそ、「お前らを笑ってるネタだぞ」と突きつけられているのではないでしょうか。

Aマッソには男性ファンもたくさんいますし、男性の先輩芸人たちの中にも「女らしさ」を出さないそのままのAマッソのネタを高評価している人もたくさんいます。
しかし、ネット上に「もっと女の子らしいネタをやったらいいのに」とか「女がやると笑えない」といったコメントはちらほら見られます。きっと本人たちの耳には、もっと多くのそういう声が届いていることでしょう。
そして、彼女たちが有名になるほど、上に行くほどにそういう声は多くなるでしょう。

きっとAマッソ以外にも、「女であること」と無関係なお笑いをやろうとした女性芸人は多くいるのではないかと思います。しかし現状もてはやされているのは、「女の領域」の範囲内でネタをやる女性芸人ばかり。
「女の領域」を扱うネタにも面白いネタや感心するようなネタももちろんあります。
でも、女性芸人という人たちだけが芸人の中で切り離されてピンクカラーであり続けるのは、あまりにも彼女たちの努力やプロ意識に対する侮辱ではないでしょうか…。

Aマッソが世の中を席巻するようになったら、女性芸人の常識がひっくり返るかもしれません。だからこそ、その道は険しいのかもしれません。

でもなんかこういう、「だんだん慣れて違和感なくなっちゃた」みたいなことが、本当に世の中を少しずつ変えてくんだろうなと思うんですよね。

「こういうお笑いは女の子がやってても様にならないと思ってたけど、面白いから見てるうちに慣れちゃって、男とか女とかじゃないなと思うようになった」

そんな人をじわじわと増やしていくパワーが、この若くて面白くて理想に燃えるAマッソという人たちには、あるような気がして、期待してしまうんです。

(以上全文無料)

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