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『脳が目覚める「教養」』#4 敵は「停滞」

2019年8月20日に発刊される新刊『脳が目覚める「教養」』(茂木健一郎著)の試読版として、「はじめに」および第1章を無料公開しています。"雑学の寄せ集め"のような薄っぺらい教養入門書では得られない「真の教養」を身に付けるために必要な考え方とは――?

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現代のバベルの塔「ブルジュ・ハリファ」の秘密

僕が、これは教養の産物だなと思ったわかりやすい例をお話ししましょう。ブルジュ・ハリファをご存知ですか?

ブルジュ・ハリファ
英語ではBurj Khalifa(バージ・カリファ)。アラブ首長国連邦ドバイの超高層ビル。尖塔を含めた全高は828メートル。206階建。

ブルジュ・ハリファはUAE(アラブ首長国連邦)のドバイにそびえる、世界一の高層ビルです。ブルジュとはまさに「塔」という意味です。

ブルジュ・ハリファは828mの高さを誇り、2019年の時点では世界一高い高層ビルとしてギネスにも登録されています。人によっては「バベルの塔」を連想したり、「土地がたくさんあるんだからそんなもの造る必要がない」といった意見もあるようです。

なるほど、確かにブルジュ・ハリファと聞くと、人によってはバベルの塔を連想したりするでしょう。

バベルの塔とはご存知の通り、旧約聖書「創世記」で描かれる、ノアの子孫、ニムロッドがシンアルの地に築こうとした天に届くほど高い塔です。その塔は同じ言葉と同じ言語を持つ人によって築かれました。

ニムロッド
旧約聖書の登場人物で「ノアの箱舟」のノアの玄孫にあたる。ヘブライ語で「我らは反逆する」の意味があり、戦艦、戦闘機の名前に使われることも多い。第160回芥川賞の受賞作も『ニムロッド』(上田岳大著 講談社)。

しかし、地に降りてきた神はそれを見て、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」と、塔に集う人を各地に散らしたのです。

そのせいで人間の言語は無数に枝分かれし、争いが生まれ、現在に至る──これがバベルの塔の神話です。

さて、このバベルの塔を連想させるブルジュ・ハリファは、シカゴの設計事務所によってデザインされ、インドやパキスタンなどの出稼ぎ労働者たちの手で建築されました。彼らにとっては本国にいるよりは稼げるため、Win-Winの関係だそうです。

そして、これら一連の設計・施工を監督していたのがUAEの政府の要職についている人たちです。「カンドゥーラ」と呼ばれる伝統的な白い衣装を身にまとった自国のエリートたちが、砂漠の真ん中に現代のバベルの塔を建築するプランを立てる。設計は欧米人に、施工は周辺の国からの外国人労働者に託すという図式です。

そしてできあがったブルジュ・ハリファは「世界一高い高層ビル」というキャッチフレーズで世界中から多くの観光客を集め、この高層ビルの手前にある巨大なドバイモールではショッピングが楽しめ、中国や中東を中心とする大富豪たちが大金を落としていくのです。

グローバル時代の国家の教養

ここで重要なのは、ブルジュ・ハリファが高い塔である意味です。

この都市のグランドデザインを描くUAEのエリートたちは、何もやみくもに高い塔を建てたわけではありません。ビルの高さなんて、いずれ他国の新しい建築物に抜かれます。ブルジュ・ハリファが未来永劫もっとも高いビルであり続ける保証などありません。

しかし、ブルジュ・ハリファは現在のところ世界一高いということで、たくさんの観光客を集めました。とはいえ、そこに「世界一高い塔」しかなければ、観光客は一度来たら満足してしまうでしょう。

ところが、高い塔の下には巨大なショッピングモールがあって、ラグジュアリーなホテルもあって、一大観光地ができあがっていたのです。ドバイは「世界一高い塔のあるラグジュアリーな歓楽街だ」と感じた旅行客は、ドバイモールを楽しみに何度も訪れてくれるでしょう。

それに、ブルジュ・ハリファは周辺国の労働力と欧米の設計力を使って建てられていますから、周辺諸国の人々や旅行に訪れる欧米の人々もまた、ブルジュ・ハリファを誇らしく思うでしょう。

つまり、UAEのエリートたちは、まるで古代ローマ帝国のように外国人労働者を巧みに使いながら、国家のグランドデザインを描き、その象徴となるブルジュ・ハリファを建築したのです。

グローバル化が進む中でネイションビルディング、すなわち国のありようを設計するときに、うまく移民を使いながら、なおかつもともとの文化のアイデンティティは維持している。ブルジュ・ハリファはまさに、グローバル化する現代社会におけるネイションビルディングの「象徴」なのです。

この、ブルジュ・ハリファを含めた都市のグランドデザインを描く力、またその都市の造形を読み解く力、どちらも“現代の教養”の発露といっていいと思うのです。

なぜこの話にこだわるかというと、象徴的モニュメントを建て、周辺国に自国のグランドデザインを打ち出す機会を、日本が与えられているからです。

そう、2020年の東京オリンピック・パラリンピックです。しかし、UAEと同じような見事なネイション・ビルディングを、日本ができるでしょうか?

日本の教養力が世界の教養力に追いつくためには、もっと先見性や戦略性が必要です。

教養の停滞から脱却するために必要な力とは

僕たちがビジネスの分野で走り続ける、学び続ける際の最大の敵は「停滞」です。

実際、僕は仕事柄、多くの人と接する機会があるわけですが、「あ、この人は停滞しているな」と感じることがあります。そういう人は何が停滞しているかというと、やはり動的教養のインプットが停滞しているのです。

そのような人の特徴として挙げられるのが、世の中の表面的なことだけに囚われてしまって、物事の本質を見抜く力に欠けるということです。

かの福沢諭吉は、儀礼的な慣習や固定概念などに囚われることを嫌い「独立自尊」という概念を唱えました。独立自尊とは、他人の力を借りずに自分の力だけで物事を行なうことによって真の教養や品格を身につけることです。

福沢諭吉は、それが日本人にもっとも不足していることだと言いましたが、僕も、日本人はいまだにこの独立自尊ができていないと感じます。

テレビなどは、そうした風潮が顕著に表れています。たとえば、ある情報番組などで「○○は健康にいい!」「○○にはダイエット効果がある!」といった特集が組まれることがよくあります。

そんなとき、そのテレビの情報を鵜呑みにしている人たちは、テレビから得られる「教養」のレベルに留まってしまうわけです。

ですが、そうした情報を鵜呑みにしないで自分で調べたり、考えたりできる人は、その先にある物事の本質にたどり着ける可能性があると僕は思っています。

情報にプロとアマの差はなくなっている

たとえば、NHKの『日曜美術館』という番組があります。この番組を好んで観ている美術ファンの視聴者の方も大勢いるでしょう。そのような人は、いわば『日曜美術館』というひとつの固定された基準によって教養が身についていきます。

別に悪いとは言いません。しかし、『日曜美術館』を依りどころにするなら、あなたの教養は良くも悪くも『日曜美術館』という枠やレベルに留まってしまうということがいえます。

プロの美術関係者であれば、プロだからこそ、『日曜美術館』に対して絵の見方が一面的だとか、取り上げる画家やテーマが偏っているとか、辛口の意見を持っている場合もあります。逆に、美術の広い世界を知ることで『日曜美術館』のスタッフの苦労もわかってくることもある。

それはプロだからであって、一般人の自分には関係がないことだと思うかもしれません。

でも、現代社会においては、情報は基本的にすべての人に無条件に開かれています(独裁国家等をのぞいてではありますが)。少なくとも日本に住んでいれば、気になることをブラウザの検索窓に打ち込むだけであらゆる情報にアクセスできます。プロのレベルに近い最先端の情報を得ることも、そんなに難しいことではないのです。

難しいことがあるとすれば、「情報を得ようとする」姿勢が自分の中にあるかどうかだけです。情報を得る姿勢を忘れず、インプットの停滞を打破しようとする。それこそが静的教養に留まらず、動的教養をも身につける第一歩です。


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