「利き手でないほうの手」を使ってみる──マインドフルネスの12の練習 WEEK1
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「今、ここ」に意識を集中する練習
『「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門』(ジャン・チョーズン・ベイズ著)は、日々の生活のなかでごく簡単にできる「マインドフルネスの53の練習」を収めた本で、4年前の発刊以来人気が衰えることのないロングセラーです。昨年の秋口からまた売行きが伸びていて、先ごろ5万部を突破しました。
「気軽にマインドフルネスを体感できる」とSNSで感想を発信してくださる読者も多く、つい最近も、ある俳優の方が「心がすーっと落ち着く本」としてインスタグラムで紹介してくれました。
行きたいところにも行けず、会いたい人にも会えない。なにかと我慢を強いられて心もざわつきがちな今こそ、求められている本なのかもしれません。
そこで、本書で紹介されている「マインドフルネスの練習」の一部を公開することにしました。
練習は1週間に1つのメニューになっています。本書では53週分紹介されていますが、ここでは12週、つまり3か月分の練習を掲載する予定です。メニューは、1週目の「利き手でないほうの手を使う」をはじめ、本当に気軽にできるものばかりなので、興味がある方はぜひ実践してみてください。
ちょっとした解説
これから掲載していく文章は、以下のような構成になっています。著者の医学博士で禅の指導者でもあるジャン・チョーズン・ベイズのコメントです(「本書の使い方」から抜粋)。
本書は、マインドフルネスを日々の暮らしのなかに取り入れる方法を、数多く紹介しており、それらを「マインドフルネスの練習」と呼んでいます。
これはマインドフルネスの「タネ」と考えてもいいかもしれません。このタネを植えると、生活のなかのあちこちで、マインドフルネスが育ってきます。みなさんはそれを眺めて、やがて日々その果実を摘み取ることができるでしょう。
それぞれの練習は、いくつかのパートに分かれています。
・「どんな練習?」という、まず内容の説明があります。
・「取り組むコツ」として、1日、あるいは1週間、忘れないためのアイデアを示しています。
・「この練習による気づき」というパートでは、練習を実践した人たちが報告してくれた考察、気づき、困難と、関連のある研究結果などを述べています。
・「深い教訓」というパートでは、テーマをさらに掘り下げ、練習に関連した幅広い人生の教訓について述べます。それぞれの練習は窓のように、目覚めた暮らしがどんなものかを垣間見せてくれます。
・「自分を変える言葉」を最後に書いています。これは練習の大事なポイントで、これを読むと練習を続けたくなるはずです。
それでは早速、WEEK1。
「利き手でないほうの手使う」練習です。
(本書PARTⅡ マインドフルネスを日常で実践する53の練習 より)
どんな練習?
日々のごくふつうの動作を、「利き手でないほうの手」を使ってやってみます。
たとえば、歯を磨く、髪をとかす、食事をする(全部は無理でも一部だけでも)などの動作を、右利きの人は左手で行ないます。
さらに頑張ってみようと思う人は、字を書くことや箸を使うことにも、利き手ではないほうの手で挑戦してみてください。
取り組むコツ
1日を通して覚えていられるようにするには、利き手にばんそうこうを貼っておくのもいいでしょう。それを見るたびに、利き手を引っ込めて、別の手を使います。
洗面所の鏡に「左手(右利きの人の場合)」と書いた小さいメモを貼っておいてもいいでしょう。手の形に切り抜いた紙を、鏡や冷蔵庫や机の前など、目につく場所に貼るという方法もあります。また、歯ブラシの柄に何か印をつけておけば、歯磨きのたびに思い出せます。
この練習による気づき
この練習をやっていると、つい笑ってしまいます。利き手でない手というのは、本当に不器用ですね。でも、それをあえて使うことで、禅が教える「初心」に戻ることができます。
利き手が40歳くらいの大人だとすると、もう一方の手はせいぜい2、3歳といったところでしょうか。フォークのもち方から始め、唇を突っつくことなくそれを口のなかに入れるという動作を、一から学ばなければなりません。歯磨きも悪戦苦闘です。ともすれば利き手が出てきて、歯ブラシやフォークを取り上げてしまうかもしれません。
「まったく下手くそなんだから! ほら貸しなさい。やってあげるわよ」と、まるで弟をバカにする偉そうな姉のようです。
利き手でない手で、苦労しながら何かをしてみると、不器用な人やうまくできない人に対する共感が生まれます。体が不自由な人、ケガをした人、脳こうそくの後遺症がある人など、それら多くの人たちが苦労する単純な動作が自分は当たり前のようにできることのありがたさに、一瞬で気づくのです。利き手でない手で箸を使って2時間以内にこぼさずに食べ終えようとしたら、全神経を集中しなければなりません。きっと、ふだんの自分のおごりが身にしみるでしょう。
深い教訓
この練習をやってみてわかるのは、習慣がどれほど強力で無意識的なものかということと、変えるには意識の集中と決意が必要であるということです。
でもやっているうちに、三度の食事をはじめ、いろいろな動作のなかに初心を見出すことができ、ある程度マインドフルネスな状態を経験できます。利き手でない手を使うと、いらだつ自分が出現します。また一方で、考え方が柔軟になって、新しいスキルを習うのは何歳になっても遅くないのだ、ということにも気づきます。
練習を繰り返していると、新しいスキルも上手になってきます。私はもう数年間も左手を使う練習をしてきたので、どちらが利き手なのかもよくわからなくなりました。この練習は実用的な利点もあります。もし将来、何かの理由で右手が使えなくなっても(私には、脳こうそくで体が不自由になった親せきが何人かいます)、途方に暮れなくて済むからです。
新しいスキルを習うと、自分のなかには未開発の能力がたくさん眠っていることに気づきます。練習しだいで自分を変身させることができ、もっと柔軟に自由に生きられるのだと、自信が芽生えます。努力する気持ちさえあれば、自然が与えてくれたスキルを目覚めさせて、やがて日々の生活に活かすことができるのです。
禅の鈴木老師はこう言っています。
「初心にはたくさんの可能性があるが、熟練者の心にはそれがほとんどない」
マインドフルネスによって、無限の可能性に絶えず立ち戻ることができます。新しい可能性が生まれるのは、いつも「今の瞬間」という偉大な場所です。
自分を変える言葉
人生の可能性を引き出すためには、あらゆる状況で「初心」に戻ること
日本実業出版社のnoteです。まだ世に出ていない本の試し読みから日夜闘う編集者の「告白」まで、熱のこもったコンテンツをお届けします。