見出し画像

痕跡を残さないように暮らす──マインドフルネスの12の練習 WEEK2

photo by andrea davis/unsplash

『「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強くやわらかくする「マインドフルネス」入門』(ジャン・チョーズン・ベイズ著)の一部公開2回目、「WEEK2──痕跡を残さないように暮らす」を掲載します。

画像1

ひと言でいって、マインドフルネスとは?

と、その前に、あらためて。マインドフルネスってなに?
著者のジャン・チョーズン・ベイズはこう定義しています。

マインドフルネスとは、自分の体や頭や心のなか、さらに身の周りに起きていることに意識を完全に向けること。批判や判断の加わらない「気づき」
(本書14ページ)

身の周りに起きていることに意識を向ける。なるほど、これと正反対の状態にあること、よくあります。

朝自宅を出てしばらくすると、あれ? カギ閉めたっけ

少し前のことを覚えていないんですね。考え事をしていたのか、無意識なのか。なかば自動的に行動していて、その瞬間は「自分」がその場所にいない。

何が問題なのか。ベイズはこういいます。

 体が何か1つのことをしているときに、意識がどこか遠くに行ってしまっている時間が多いというのは、寂しいことだと言わざるを得ません。自分がそこに存在しないという状況で、人生の大半を生きていくからです
 こういう状態だと、常に漠然と満たされない気持ちになります。それは、身の周りのモノや人と、自分とのあいだに「埋められない溝」のようなものを感じるからで、幸せな人生を送ることの妨げとなります。この「溝」の感覚が、深い疑念や孤独感にさいなまれる瞬間を生じさせるからです。
(16ページ)

「その瞬間」の自分自身と、周りの物事とのかかわりにいつも注意を向けることによって、「埋められない溝」を感じることのない人生を生きることができるのかもしれません。

というわけでマインドフルネスの練習WEEK2、「痕跡を残さないように暮らす」です。

(本書PARTⅡ マインドフルネスを日常で実践する53の練習 より)

どんな練習?

自宅内のどこかの場所を選び、そこを使った痕跡(こんせき)を残さないように暮らします。ふつうは、洗面所やキッチンがいいと思います。そこで料理をしたりシャワーを浴びたりしたら、食べ物やせっけんの匂い以外、いっさい痕跡を残さないように、完全にきれいにしてその場を離れます。

取り組むコツ

選んだ場所に「痕跡を残さない」と書いた紙を貼り出します。禅画では、亀がこういう行いを象徴しています。亀は砂浜を移動するとき、尻尾で地面を掃いて足跡を消して行くように見えるからです。文字の代わりに、亀の絵を描いて貼ってもいいでしょう。

この練習による気づき

人はたいてい部屋から出るときには、入ったときよりもそこを汚して出ていきます。「あとで掃除すればいい」と思うからです。

でも、そのあとはなかなかやってきません。結局、我慢できないほどに汚くなったときに、イライラしながら掃除をすることになります。「何で自分がやらなければいけないの!」と腹を立てるかもしれません。実際には、汚れたそばからマメにきれいにするほうがずっと簡単なのです。そうすれば、汚れもイライラも溜め込まずに済みます。

この練習をすると、「するべきことから目を背ける傾向」が自分にあることに気づかされます。日常生活には、ささいなことでも何となくやる気が起きないことがよくあります。通路のゴミを拾う、洗面所でくずかごに入り損ねた手拭きの紙を拾って捨てる、ソファから立ち上がったときにクッションを直す、コーヒーカップを流しに置くだけでなくサッと洗って片づける、明日また使う道具でも使い終わったらしまうことなどです。

この練習に参加したある人は、「1つの場所で痕跡を残さない練習をしているうちに、ほかの場所でも同じことをするようになった」と話していました。食べたあとに汚れた皿をすぐに洗うようにしていると、起きたらすぐにベッドを整えるようになり、シャワーから出たあとは、排水口にたまった髪の毛を捨てるようになったそうです。最初はちょっと意志の力がいりますが、やがてそのエネルギーは、さらなる新しいエネルギーを生み始めます。

深い教訓

この練習は、私たちの「怠け心」にスポットライトを当てます。ただし、「怠け心」というのは、ただ状態を表す言葉であって、非難する意味はありません。よほどよく気のつく人でない限り、私たちは常に何らかの汚れを残して、誰かに掃除してもらっています。

この練習をして気づくことが、もう1つあります。どれほど多くの小さなモノが、私たちの生活を支えて1日中働いてくれているかということです。食ベ物を口まで運んでくれるスプーンやフォーク、体温を保ってくれる衣類、雨風から守ってくれる部屋。それらを、心を込めて洗ったり、拭いたり、掃き清めたり、たたんだり、片づけたりすれば、黙って役目を果たしてくれているモノたちに、感謝の気持ちを表すことになります。

曹洞宗の開祖、道元禅師は、寺の料理人たちにこんな具体的な指示を書き残しています。

「箸、杓子(しゃくし)、そのほかの調理道具をきれいに洗い、気持ちを入れて丁寧に扱い、それぞれ決まった場所に片づけなさい」

汚れたものはすぐに洗って元の場所にきちんと戻し、役に立ってくれるすべてのモノを大事に扱うと、心に満足感を覚えます。部屋や身の周りのモノをきれいにすると、心まできれいになったように感じ、生活全体がすっきりしてきます。私の友だちは、年老いた叔母の家から、古い衣類やとっくに期限が切れた薬など、山のようなゴミを運び出して捨てたときのことを、こんなふうに語っていました。

「叔母は最初、不安そうな顔をしていました。でもだんだんリラックスしてきて、ゴミ袋を1つ運び出すたびに1歳ずつ若返っていくように見えました」

痕跡を残さないことの満足感は、「生まれてきたときよりも、この世界を悪くして去りたくない、できればいくらかでもよくして去りたい」という、私たちの深い願望の表れかもしれません。できることなら、自分がこの世に残す痕跡は、「いかに自分が人を愛し、勇気づけ、教え、役に立ったか」という事実だけにしたいものです。これこそが、未来の世代に残すことのできる、何よりの置き土産でしょう。

自分を変える言葉
まずは痕跡を残さないようにする。次に、前よりよい状態にして立ち去る

日本実業出版社のnoteです。まだ世に出ていない本の試し読みから日夜闘う編集者の「告白」まで、熱のこもったコンテンツをお届けします。