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英語の習得に到るまで。

結論は本文の一番下の段落にあるので、こんなの読んでいる暇はないという方はどうぞ飛ばしてください。

自分の名前の由来を聞くような課題が小学校の時にあり、その時に自分の名前の由来を親に聞いたら、海外でも通用するような名前って言うのが大前提だったらしいです。この場合の海外っていうのは英語圏のことだろうし、通用するっていうのは発音に困らないっていうことだと思いますが。それでも、今まで名前に関して英語圏で変な読み方や、気難しい顔をされることは全くありませんでした。そういった願いもあり、現在英語をほとんど不自由なく使うことが出来るようになっています。というわけで、その経緯を書いていこうと思います。

まず、小学二年生の夏休みの時に親の高校時代からの親友Sさんがニュージーランドに住んでいるということで、ニュージーランドに夏休み丸々遊びに行き、その時に特別にニュージーランドの小学校のSさんの娘のいる教室に2週間ほど入れてもらいました。この時の英語力はYesとNoの二つの単語、そして数字を知っていただけ。今、改めて考えてみるとどんな小学生の夏休みじゃって感じはしますが、この経験があったからこそ海外に対しての免疫が付いたのかもしれません。

その後日本に帰ってから公文の英語を始める。2A教材(アルファベットの読み書き)から初めて、小学五年生に親の仕事の都合でアメリカに行くまでの英語とのふれあいはこれだけ。そのころはちょうどI教材(中学生卒業レベル)のところまで進んでいました。

公文式の英語は、CDが付いてきていて、リスニングは公文に行くたび毎回教材の一環としてやる必要がありました。今考えるとこのリスニングがかなり効いていたのかもしれません。それ以外にも公文に行くたび毎回先生の前で音読を時間を計りながらさせられていて、スラスラ音読できるまで家には返してくれません。正直この時英語が喋れたかというと全く喋れなかったと思います。公文の英語も音読やリスニングをするものの、結局次のレベルまで進むには文法や翻訳がメインとなっているので、これを小学生のうちに始めたということが大きかったのかもしれないです。

上記のように小学五年生の頃にアメリカに引っ越し。最初の一年間はIELという英語を第二言語とする生徒だけの特別なクラスに入れられて、その後に現地の中学校に入れられました。リーマンショックの影響で、アメリカに住んでいたのはこの二年だけで、二年目の後半ぐらいからやっと友達ができたり誕生日パーティーに呼ばれたりと調子が出て来たのに。。。っていうのが本音でした。

日本に帰国後、中学一年生の途中から編入。ここから高校二年生に入るまでの五年間に触れ合って来たのは学校教育の英語がほとんどで、中学生の頃に一度だけ英語のスピーチコンテストに出た事があるだけです。TOEICや英検を受けたりしましたが、受けるだけで特別勉強をしたわけでもありません。

中学二年生の頃にTOEICを800点超えて、英検の準一級合格をしましたが、TOEFL iBTは56点、英検一級は不合格B(不合格の中でも下のランク)でした。ただ、この状態でも十分に「英語を習得した」というレベルにはあったと思います。

様々な形でここまで育ててくれた親に感謝です。

ここから結論:

ということで、まとめると、英語を習得するのに僕の場合は、
・海外に対する免疫をつける。
・英語を定期的に聴く、音読する。
・英語を使わないといけない状況に身を置く。
という感じです。個人差はかなりあると思いますので、これだけを鵜呑みにしないで他の方法も試してみてください。ただ、結局は意識的でも無意識できでも強制的でも良いので、コツコツと積み重ねる事が大事なんでしょうね。僕の場合は合計で5年かかっているので。

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