おまえはけものフレンズで自分と世界をさがす旅に出ろ

よくきたな。俺はNJRecalls開発チームだ。俺は今研修を受ける前に現場に投入されたりしているが、仕事のことを書くつもりはない。他人が読んでも面白くないからだ。人生はメキシコの荒野のように渇き、理不尽とサボテンだらけだ…おまえは誰にも顧みられることのない渇いた大地に愚痴を書き続けてもいいし、いつかは倒れるサボテンに希望を刻んでもよい。すきにしろ。

NJRecalls開発チームは逆噴射聡一郎先生の文体を真似ながらかつけものフレンズのネタバレを含まないように書こうとしたようですが、書いているうちに熱くなりそんなことは忘れていますのでご了承ください。

だが今回は特別に、けものフレンズについて書こうと思う。おまえはけものフレンズを知っているか?たーのしー!などと答えたおまえはどうせシリやゴーグルに聞いてなんだか再生数の多いニコニコ動画の無料一話でチープなCGと天真爛漫なベイブをながめこういうのか…などと満足してしまい、部屋で一人虚空を見つめながらすごーい…などと呟くだけでジャパリパークへの旅に出ることを諦めているだろう。俺もかつてはそのような腰抜けであり、ハシビロコウというクールなベイブの視線にやられるだけでいいかと思っていた。しかしけものフレンズのすごさはその先にある…そう聞いた俺はギャオの無料配信期間中に旅に出たのだ。

そして俺は、動物、ヒト、世界、自分とはなんなのか…そういったものを考えながら、かばんとサーバルの旅を想い涙を流した。メキシコで真の男として生きていくためのヒントがここにはあったのだ。WELUCOME TO JAPARIPAAKU...

フレンズを通して動物を考えろ

けものフレンズの舞台はジャパリパークとかいう動物メインのテーマパークだ。しかしおまえはそこに物見遊山に来たわけではない。おまえがこれから共に旅する主人公はかばんと呼ばれているが、どこにいるのか、なぜここにいるのか、自分が誰なのかも分からぬままジャパリパークにあらわれる。これは実際覚悟もないのにあらくれ達の群れるメキシコに放り込まれたおまえと同等と言っていい。なんの力もないかばんがコヨーテにも顧みられることのなく惨めな死を迎えるところだったが、そこにサーバルという長い耳の生えたタフなベイブがあらわれるのだ。それが動物の特徴を併せ持つベイブの形をした生き物、フレンズだ。

第1話しか見なかったおまえでもサーバルの動きがネコ科動物を模したものであることはわかるだろう。さらにカバを見ろ。髪型や服で元となった動物を模すだけでなく、開いた口の大きさで争いの勝者を決める生態を見事に表現していることに気づくはずだ。第2話に進んだおまえはコツメカワウソがお手玉をして遊んだり、ジャガーが泳ぎを得意とするなどの点にも気づく。フレンズはホットなベイブの姿をしているが、こうした細かいところで元となった動物を模しているので、おまえはそういったことを調べながら楽しむことができる。

フレンズを通してヒトを考えろ

第1話のサーバルはタフで頼れるベイブであり、それと比べてかばんは腰抜けベイブのように見える。しかしタフなだけでなくやさしさを併せ持つサーバルは、かばんがただの腰抜けでないことに気づく。長距離を歩いてもハアハアと息をする時間が短いのだ。ここでおまえは、フレンズが動物の特徴を表しているならばかばんはヒトの特徴を表していることに気づくだろう。ヒトは他の動物と比べると体毛が極めてうすく、大量の汗腺を持つ。おまえも走った後の犬が舌を出してハアハアしているのを見たことがあるはずだ。ああするのは彼らが汗をかいて気化熱で体温を下げることができないからだ。ヒトはこの体温調節能力でアフリカのサバンナを長距離移動することができた。やがてその歩みはヨーロッパ、アジア、アメリカ大陸そしてメキシコにまで至ったのだ。第2話以降も、抽象概念の表現、道具の使用、長期計画、言語、調理など、フレンズを通じた動物の特徴と同じくらいにかばんを通じたヒトの特徴というものが強調されていく。おまえはヒトがどういう動物であったか改めて気づかされることになるのだ。

またけものフレンズには絶滅危惧種も多く出てくる。現実と同じくヒトの作った車にはねられるサーバル、ニッポニア・ニッポンと名付けられながらも日本から自然の個体群が滅んでしまったトキの淋しげな歌、かばんはきっといい動物のフレンズだよと励ますフレンズたちの言葉を聞いて、おまえはヒトが何をしたのかを思わずにはいられないはずだ。

かばんは何者なのか

かばんとサーバルは出会った場所を離れ様々なちほーを巡る旅に出る。かばんは自分が何のフレンズなのかわからないからだ。ここでおまえは奇妙におもうだろう。バス停の標識が確かに見えるのに、かばんは何も言わない。もしかばんがジャパリパークに来た観光客なら、バス停を見て帰る手段を探すはずだ。かばんはまた自分が何のフレンズなのかと問う。かばんは自分がヒトだとは思っていないのだ。サーバルがサーバル自身のことをフレンズだと言い、おまえは何のフレンズなのだと問われたから、自分が何かしらのフレンズだと思っているのだ。おまえはおまえ自身、つまりヒトたる視聴者とかばんの決定的な断絶に気づき、当然ヒトだと思っていたかばんは何者なのかを見守ることになる。

そもそもおまえは何故かばんをヒトだと思ったのだろうか。ヒト型をしていたからだ。ではサーバルはどうなのだ。だいたいヒト型をしているではないか。いやサーバルは知性がプリミティブではないかとおまえは口ごたえをするかもしれないが、では幼児はヒトでないのだろうか。それともかばんはヒト型のフレンズなのだろうか。ではヒトとヒト型のフレンズの差は何なのだろうか。例えばおまえが完全にヒト型でありヒトの知能を持っているが、おまえはヒトから作られたものなのでヒトではないと言われて納得などできるだろうか。

世界はどうなっているのか

ジャパリパークはテーマパークだったはずだが、ヒトはどこにもいないし設備は放棄されて久しい。だがフレンズたちは何も言わない。フレンズたちにとってここはもともとこうだったからだ。考えてもみてほしいが、おまえがメキシコ人が書いたメキシコが舞台の小説を読んだとして、登場するメキシコの男は日本との違いを親切にも語ってくれるだろうか。当然そんなことはしない。メキシコに住んでいる男にとってはメキシコが当たり前だからだ。

つまりこの場合かばんがメキシコ人主人公だ。かばんの目線はおまえと同じではない。おまえはバス停をバス停だと気づかないかばん、ロープウェイがなんなのかわからないかばん、ジャパリ図書館を貫いた大木になんの疑問も抱かないかばんとともに旅をしながら、かばんが何も思わないがゆえにこの世界がどうなっているか知りたくなるのだ。

サバンナからメキシコまでのグレートジャーニー

けものフレンズはさらにロードムービーだ。かばんはさばんなちほーから始まり毎回様々なちほーを巡り、様々なフレンズと出会い別れていく。その横にはいつもサーバルがいる。だがエンディング曲(みゆはんというキュートなベイブがうたっており、チョーいい曲なのですぐ買うべき)を聴いたおまえは二人の旅がいつか別々の道を行くことを予感するだろう。最初は図書館を目指したかばんはやがて海を目指すが、サーバルが海の大きさを知らないことに気づいたおまえは、動物とヒトとの決定的な違いをまた一つ知ることになる。海を前にしたかばんがどうするか分かってしまう。あの向こうには何があるのか。どうすればたどり着けるのか。それを考えずにいられないのがヒトだからだ。そうやってヒトは、俺たちは、サバンナを出てジャングルを、砂漠を、ツンドラを、山脈を、海を越えてメキシコにまでたどりついた。これはかばんだけでなく、俺たちヒトのグレートジャーニーでもあるのだ。

ユートピアからの脱出

第1話でかばんを押し倒したサーバルは自分を食べないでくれと懇願する。未だただの類人猿であったころのヒトの天敵がネコ科肉食獣であったことを考えれば当然の反応だ。だがここでは食べたり食べられたりの関係はない。ジャパリパークではジャパリまんという必要十分な食料が配布され、貨幣経済もない。ある種のユートピアなのだ。だからフレンズたちはなんの疑問もなくそれぞれのちほーで平和に暮らしている。だがここまで読んだおまえは気づくだろう。かばんはそれでも留まらないのではないか?動物の中でもヒトは、ヒトだけは、自分は何者なのか、世界はどうなっているのか、過去はどうなっていて、未来はどうなるのかと思い悩むのだ。ジャパリパークが生きていくのに困らぬユートピアであってさえ、ヒトにとっては動物園の檻の中と何も変わらないのだ。創世記の失楽園も思わせるテーマがそこにある。

そしておまえは旅に出た

俺はまだ10話を見ていないのでわからないが、アニメというのはだいたい12話くらいで終わるのでけものフレンズもいずれ終わるはずだ。そしておまえは不意に自分が現実というメキシコにいることに気づく。おまえが恋い焦がれたジャパリパークはおまえが、おまえの祖先が捨ててきたユートピアだ。おまえはもう戻らない。おまえはこのメキシコで、自分と世界を探してさまよいながらもタフに生きていくしかない。それがヒトだからだ。けものフレンズが終わってもおまえの旅は終わらない。おまえはかばんとサーバルとの旅を過ごし、少しだけタフになったのだ。

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