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「普遍性」と「世界観」 やがて君になるED「hectopascal」について

モヤモヤしてる 気持ちがバレたら
君は逃げてしまうかな 
~CD「hectopascal」帯より~

 アニメ「やがて君になる」は、「好き」や「特別」という気持ちに向き合う少女たちの、眩しくも胸を締め付ける恋物語。繊細な表現で人気を博する原作漫画をリスペクトし、その上でアニメとしての映像表現を追求した細やかな演出が効果的に添えられたことにより、原作ファンを、また原作を知らない人をも惹きつけてやまない傑作となっている。

 また、本作は本編もさることながら、本編と融け合うようにマッチするBGMとオープニング・エンディングテーマも極めて印象的である。私はED「hectopascal」(小糸侑 CV: 高田憂希さん、七海燈子 CV: 寿美菜子さん)が作品の世界観の表現と、いち楽曲としての普遍的な魅力を高い水準で両立させている点に衝撃を受け、このnoteに色々書いてみようと思った次第だ。

「キャラソン」の枠を超えた普遍性

 思うに私は所謂キャラソンというものに対し、やや穿った見方をしていたのかもしれない。
 ここで、「キャラソン」は作中キャラクター(役の声優さん)が歌う作品テーマの楽曲を指しており、アーティストが作品に宛てて歌う「アニソン」とは区別している(例えば、やがて君になるOP「君にふれて」は安月名莉子さんが歌う素晴らしいアニソンだ)。
 アニソンに比べてもキャラソンというものは、キャラクター及び作品がいっそう前面に出てくる分、コンテンツとしては幾らか先鋭化し、ファンを惹きつけはする一方で少々取っつきづらくなる、そんな印象を抱いていた気がする(それはそれで好きなのだが)。

 そんな中で初めて「hectopascal」を聴いた時の印象としては、純粋に1曲の歌として超仕上がっている。アニメの付属品としてではなく、この曲そのものが好き。(そしてOPも超好き。)という感じだった。
 綺麗で、聴きやすくて、作りこまれた音楽。「やがて君になる」を知らない人にすら届きうるその魅力は恐らく、この作品自体が持つ普遍性と、歌を担当したお二人の力から来ているのだろう。

 「やがて君になる」という作品は、「特別がわからずに悩む少女」と「初めて特別を知った少女」が登場し、そこをスタート地点として様々な感情の動きが見られ、「好き」という感情について極めて多面的な描写が行われている。登場するキャラクターはそれぞれ個性があり、時に少々こじらせているため読者がキャラクターに自身をピッタリ重ねて読むとまでは行かないかもしれないが、各キャラクターの考え・行動・心の動き一つひとつが読者の心を少なからず揺り動かし、みるみる作品へと引き込んでゆく。本作は所謂百合作品であるが(或いは、であるからこそ?)、描かれているものはこの上なく普遍的なのである。
 つまりこの作品に寄り添って作られている時点でhectopascalという曲が伝えるものも当然普遍性を持ち、遍く人の心を揺さぶる力を持っているのだ。

 また、ヴォーカルのお二人について言えば、歌が上手なのは勿論(勿論とか言ってサラッと済ましてしまってますが本当にすごいです。素晴らしい歌ありがとうございます。)、何というかこう、声色に「作っている」感じが無く、聴きやすいのだ。これは作品そのものとも無関係ではなく、「やがて君になる」が「会話劇」であり、自然な会話が重視されることによるのだろう。(そしてお二方とも役がものすごくハマっている。まるで遠見東から連れて来たみたいに、完全に小糸さんと七海先輩ではないか……。)この特異な聴きやすさが、心地よい音楽体験となって我々のもとに届いてくる。

 これらの要素が必然的に揃っているため、いち楽曲としてのhectopascalのクオリティは大きく底上げされ、キャラソンの枠のみにはとらわれない魅力が齎されている。

徹底的に作品に寄り添い、紡がれる世界観

 これまでhectopascalが単純に良い曲だという話をしてきたが、勿論それだけでは終わらない。hectopascalはキャラソンとしても緻密に作りこまれており、「やがて君になる」の世界観が恐ろしいほどの解像度で投影されている、ということを聴くたびに思い知らされる。聴けば聴くほど「やがて君になる」が好きになる、この曲にはそんな力がある。

  hectopascalはひとことで言えば、エレクトロでポップな曲だ。しんみりしたED曲を予想していた者としてはやや意外だったが、本編を思い返せば合点が行くことだった。本編で起こる出来事それそのものはまごう事なき青春であり、キラキラしている。だからキラキラして幸福感漂う曲調の曲も主題歌に相応しい。

 この曲に、原作サイド監修の歌詞が時には彩りを添え、時にはスッと影を落としてアクセントをつける。歌詞がやはり、この曲の世界観を決定づけている。個人的に刺さった箇所を少しだけ紹介する(2番冒頭)が、私は購入DL勢で歌詞カードを持っていないため、表記に誤りがあった場合はご容赦いただきたい。

なんとなく毎日が輝いてる (燈子)
特別を特別と気付かないまま (侑)
そんなことより明日は2人でどこかへ行こう (燈子)
今の距離は壊さずに (2人)

 ヘクトパスカル(hPa)という単位が用いられるのは専ら気圧を表す場合である。気圧の差が風を生ずる。1番サビ前の印象的なフレーズ「不意に・変わる・風向きが」…。この歌は少女らの心の中で無自覚に生じていく変化というものが一つの重要なテーマになっている、と私は邪推する。引用部の上半分2行は物語の開幕以降2人に訪れる変化を示唆するポイントの一つである。

 その次の七海先輩のパート。ウッキウキである。心の底から楽しそうに歌っておられる。先輩のかわいらしさがよく出ているな、と初めはただニヤニヤしていたが、ふと気づく。

そんなこと、ってなんだ。
悩んでいた小糸さんに生じつつある変化。芽生えつつある気持ち。
そういったものが表れた直前の歌詞。
それを、そんなこと、と言ったのか。

 この部分に七海先輩が小糸さんを無自覚に、無邪気に追い詰めているさまが描かれている気がしてならないのだ。先輩は小糸さんの「繊細な中身」など少しも見てはいない。いちばんのニヤニヤポイントだと思っていた箇所が、最も心を抉る箇所へと変貌した。一応言っておくが七海先輩は決して、狡猾であくどい束縛自己中女なんかではないのだ。先輩はただ不器用で、弱くて、寂しい人なのだ。小糸さんもそれがわかっている。誰よりも。それゆえ身動きが取れなくなっていく…。今の距離感を壊したくないと取り敢えずは願う両者だが、この物語の行き着く先は、如何に…。

 他の箇所も挙げ始めるとキリがないが、考えることは尽きない。歌詞、それから歌唱パートの分担、すべてに意味があるはず。そう確信させるだけのものが「やがて君になる」という作品にはある。

描き出される「やが君」の世界と「特別」な感情

 以上のように、hectopascalでは、キラキラしてポップな曲の全編を通じ、観ていてニヤニヤしてしまうけど全く同時に胸を締め付けられる、光が差すからこそその後ろに影が浮かび上がる、そんな「やがて君になる」ののっぴきならない世界観が鮮烈に表現されているのだ。
 そしてここで描かれる「特別」をめぐる心の動きに、原作ファンのみならず誰もが心を揺さぶられる。そんな普遍的な力を持っているのが「やがて君になる」という作品であり、hectopascalという楽曲なのである。

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