途上国支援の難しさ

7月1日に起きたバングラデシュでの人質事件で、7名の日本人が亡くなりました。被害に遭われたのは、バングラデシュで活動されていた開発コンサルタントの方々だったということで、本当に残念でなりません。その国の発展のために尽くされていた方々であるだけに、ご本人の無念は、想像を絶するものがあります。

今回の事件を受けて、僕自身は援助セクターで働く人間ではないですが、それでも当地(僕の場合はアフリカ)の発展に貢献したいという思いを持って日々活動している人間の端くれとして、もし自分がこのような事件に巻き込まれたらどのように感じるだろうか、納得できるだろうか、ということを考えてしまいました。

今回のような、その社会の中でも異端をなす「過激派」の愚行に巻き込まれる形での「被支援者の裏切り」でなくとも、途上国援助に関わっている限り、色々な形の裏切りに遭遇します。

Twitterでも書きましたが、途上国支援の難しさの一つは、必ずしも想定される全ての受益者に感謝される訳ではない、というところにあると思っています。

それは、途上国支援が、その「支援」に合意していようがしていまいが、その土地の全ての人を、潜在的な受益者として構造的に巻き込む形となるからです。しかし、現実にはその受益者は多様な価値観を持っています。そこがこの問題の難しさの本質ではないでしょうか。

ここでいう途上国支援とは、相手の生活を丸々変えるような営為のことなのですが、であるが故に、その「支援」の目的に合意すること、達成度を測定する指標(KPI)を設定すること、そのKPIで「成果」を測ることに全てのステークホルダーが合意すること―このどれをとっても、そうそう簡単に実現できるものではありません。

実際、経済成長、グローバリゼーションはどうしても自国固有の文化の保存とは対立する部分がありますし、本当は立場・信条によって「正解」が異なる問題に対して、時に外部からの「支援」は、自分たちの立場を押し付ける形となります(そうならざるを得ない)。

もちろん、例えばシンガポールみたいな国では(途上国ではないですが)、「プライオリティは経済成長にある」というような雰囲気が恐らくあるでしょうから、KPIに関して合意もしやすそうなものです。しかし一方で、経済成長と西洋化を結び付けて考える、例えばイスラム圏やアフリカの一部の国などでは、そう簡単には「支援」のKPIについて合意できないように思います。

つまり、途上国支援に従事する以上、たとえその営為が支援者その人の善意や崇高な目的意識に基づいて行われるものであっても、感謝されない/反発される可能性を、構造的に孕んでいる、そのように僕は理解しています。

どんな反発であろうとも、暴力に訴えることだけは許されない、というのが僕の価値観ですが、その価値観さえ共有することが、今の世界では、とても難しい・・・

その土地の人の役に立ちたい、その土地が更に良くなるように貢献したい、という思いが、容易に空回る/拒絶されることがある、その可能性を排除できないのが、途上国支援の世界なのではないでしょうか。

今回の事件を受けて、途上国援助の世界で「支援者」として生きるということは、その仕事について感謝されなかったり、時に拒絶/反発されたりしながらも、それでもそれを受け入れて、なお「支援」を続けていく、そのような心の強さが必要な仕事なのではないかと、改めて考えさせられた次第です。

(なお、マザー・テレサでも何でもない僕からすると、それは理不尽過ぎて、なかなか受け入れられる仕事ではない、そう感じてしまいます。こうした理由もあって、僕は援助セクターでは働けないのでしょう)

繰り返しになりますが、自らの提供する価値を信じ、バングラデシュという国と真摯に向き合っていただろう方々が被害者として巻き込まれた今回の事件については、極めて遺憾に思います。被害に遭われた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

追記1.

本論とはだいぶ離れますが、同じ途上国であっても、(僕が関わるような)一民間企業の活動であれば、その活動のステークホルダーが限定されている点が、いわゆる「途上国支援」とは大きく異なります(規模もたいして大きくない企業の場合、なおさら)。

つまり、私企業の活動であれば、その企業(のモノ・サービス)が嫌いなら買わなければいいし、好きなら買えばいい。つまり、巻き込まれる側が簡単にステークホルダーから抜けることができる。巻き込まれることをよしとするステークホルダーが増えれば増えるほど、売上や利益といったKPIに反映されますし、そこには需要する側(巻き込まれる側、支援される側)と供給する側(支援する側)に、(KPIに関しての)合意があると理解しても良いでしょう。

本当は、その企業の営為が及ぼす社会・文化への副次的な影響に関して、思考停止していてはいけないのですが、目の前に分かりやすい合意があるが故に、どうしても思考が設定していないKPIまで及びません(あくまで僕のケースですが)。

相手の生活を丸々変えるようなインパクトの活動をしていない分、合意できる範囲で合意し、活動していく。それが私企業のやり方なのではないでしょうか。

私自身は途上国で医療関係の民間企業で働いていますし、時にその活動を「途上国支援型ビジネス」などと呼んで頂いたりもしますが、本質的には私企業ですので、近視眼的に、目の前のKPIを追うことが仕事となっています。

恥ずかしながら思考停止していることもあり、援助関係者ほどストイックに合意を目指したり、自問自答を繰り返したりすることがないので、彼らに比べると、僕自身はとても楽に仕事をしていると思います。なにより、自分たちが相手と合意できていなければ売上・利益に跳ね返るため、とても分かりやすいです(故に思考停止するのですが・・・)。

追記2.

「支援をすること」の本質の、別の側面について、僕の友人がこちらの連載で書いていますので、ここでご紹介します。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

4

森本真輔

株式会社ソシエテ代表。 東大教養学部(国際関係論)を卒業後、戦略コンサル(NRI、ローランド・ベルガー)、サラヤ・イースト・アフリカ現地代表、キズキの共同経営者を経て現職。 趣味はサッカー(クラブユース出身)、旅行(50ヵ国超え)、読書(月5冊)、映画(月2本)、コーヒー(毎日)

雑感・時事

身の回りで起こったことについて書く場です。
1つ のマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。