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2017年9月の記事一覧

実業で実力はあるけれど拡散力がない人はSNSでどう生きるべきか

こんにちは。たむけん(@tamuken)です。 評価経済社会において、実力はあるけれどSNS拡散力がない人が活躍するのは難易度がとても高いのが現状です。たいして交流がないフォロワー数十人にむけて良いことを言ってもリツイートなどされず、自信を失って発信しなくなる人がほとんど。その結果「いやぁ僕は拡散力がないですので」と自分を卑下したり、「SNS拡散とかクソだろ、本当に良いコンテンツの価値は拡散されるかどうかとは関係ないのだ」と開き直ったりなどしていませんか。気持ちはとてもわか

手に入った途端それは消える

人に厳しい人は、自分にも厳しい。 てなことはよく言われるが、そのとおりであることもあれば、そうでもないこともあると思う。(どんなものにせよ、ものごとというものは、完全に真であるとか偽であるとか言い切れないから、冒頭のこともその例外ではないのだけど) あるとき、気がついた。 わたしは、人に厳しく自分にも厳しい。と同時に、人に厳しく自分に甘い、ということが。 「自分に厳しく、かつ甘い」の二面性ってなんだろう。 たとえば小説家になりたいとする。そのためにやるべきことは何か。

「いいね!」の、よさ。

「かわいい!」って、 何でもかんでも言う子がいるが、それは、 結構、いいことなんじゃないか、と、私は思う。 ネコ見てかわいいぃ! おじさん見てかわいいぃ! 溝みてかわいいぃ! 穴みてかわいいぃ! 「いいじゃんか」と思う。 言い方が気に入らない、とかっていう問題は、まぁ、あるにせよ、 「かわいい」と言えることは良いことなのだ。 というのも、「かわいい」は、 気軽に、フラットな関係で、さらっと言える 唯一の褒め言葉だと、思わざるを得ないからだ。 「すごい!」なんていうと

“書きたい”についての覚書

「好き」と「得意」は比例するとは限らない。 バレエを習っていた。過去形だ。4歳で始めて、12歳で辞めた。「将来の夢はバレリーナ」だった頃があった。 「中学受験のため」は建前で、本当は、どうあがいても越えられない才能の壁に気づいたからだった。 私より後にバレエを習い始めた子が、発表会で私よりいい役をもらうのを見て、嫉妬という感情を知った。 「誰かに対して嫉妬を感じたら、そこにあなたのやりたいことが隠れている」と誰かが言った。その通りだ、と思う。 テストで100点を

「かわいがられ力」の正体

社会にでてからこれまで、ずっとかわいがられる側、応援していただく側としていろんな人に甘えて生きてきましたが、最近は自分より若い人たちと仕事をすることも増えてきました。 特に大学生でインターンをしている人や、在学中から自分でプロジェクトを回している人を見ていると、遊び呆けていた自分の大学時代とは比べ物にならないくらいしっかりしていて、尊敬するばかりです。 年下でもすごい人はすごいし、尊敬の念をもっていますが、やはり年が離れれば離れるほど「かわいいな〜」と思う瞬間も増えるもの

遠く

「遠く、遠く、離れていても、君のことが分かるよう」な時代になったから、凄い。 「ほんとに久しぶり感無いねぇ」って、言われるのは、私であるが、それは、 ツイッターや、インスタによく居るからだろう。 みんなの近くに居る私は、 遠くに行きたい衝動が、たまにではあるが、 少なからず2ヶ月に一回くらいある。 なにが良くて、遠くにいくのか。 それは、ひとえに、「当たり前」が違うからだ。 例えばの話、地元かつ近所を、歩くときは 3回くらい「あっこんにちは!」って言う。 けれども、

それは、本当に「コミュニティ」で解決すべき課題だろうか?

独立して早3ヶ月が経ち、コミュニティマネージャーとしてのご相談をいただくことが増えてきました。 お金をいただいてコミュニティを作るというのは独立してはじめたことですが、ありがたいことにどのコミュニティでものびのびとやらせていただいています。 ただ、最近あまりに「コミュニティ」というワードがブームになりすぎて、そもそもコミュニティを作ることが本当に正しいのかを検証できていないプロジェクトが多いように感じます。 よく「最近のコミュニティへの関心の高まりには、コンテンツマーケ

プロフェッショナルになるには。

想像もしていなかった方向から石が飛んでくることがあって、そこからも来るのかよとニヤニヤしている俺ですが、その石は発泡スチロールでできているからダメージはないです。 本当に自分が尊敬している人からのダメ出しは花崗岩でできた拳骨を目の前でまともに受けるので、それとは比較にならない。 「アニさんは写真も撮って文章も書けるからズルいですね」と言われて、さて俺はどう返答すればいいのかと悩む。俺は写真が撮れて文章が書けるように生まれついたわけじゃない。 寝ている時間以外は写真を撮る

習慣化する、ということ。

さいきん、カフェラテをタリーズもしくはスターバックスで買う、というのにハマってしまって、困っている。 というのも、私はいろんなことを「習慣化」する癖があり、そうやって習慣化された毎日はなかなか抜け出すのが難しいな、と思うからだ。 朝起きたら水を一杯飲むこと。朝はフルーツを入れたヨーグルトと食パンを食べること。音楽を流しながら(毎日同じプレイリスト)、会社の準備をすること。毎日100円玉貯金をすること。日記を書くこと。週に一回、お風呂で映画を見ること。お風呂上がりに入念にス

古い曲、新しい歌

このエッセイは、リトルプレス『アイスクリームならラムレーズン』(しおまち書房)に収録されています。

有料
100

おもしろさに平等でありたい

自分の心の琴線を、なるべくたくさん揺らしながら生きていたいなあ、と思っている。 「自分というフィルターを通して世界を見ること」は、誰もが平等に持つ「自分にしかできないこと」だと思うので、なるべくそのフィルターにたくさんのものを通しながら、ていねいに世界を映して生きていたい。 だから、人や、映画や、本や、音楽、お店、旅行、イベント、テクノロジー、社会現象。笑えるものや泣けるもの、感動するものや衝撃を受けるもの。おもしろいと感じるものに対しては、いつだって平等な、素直な気持ち

ソーシャルメディアマーケティングが成功する企業、失敗する企業

「広告代理店に言われてYouTuberやインスタグラマーを使ってみたんだけど、あんまり効果がなかったんですよね」 ここ数年ほとんど毎日のように聞いている話なのだが、そういった企業の担当者の話をじっくり聞いてみると、そうなってしまう原因がわかってしまうことがある。端的に言うとクリエイティブへの口出しが多いのだ。 SNSで一番やってはいけないのは「マス広告のコピペ」弊社でもインスタグラマーに商品写真を撮ってもらう「ブツ撮りサービス」を提供しているが、まれにいろんな事情

多動力は使い分けるもの

堀江さんが「多動力」という本を出してから、あちこちで「多動力」という言葉を聞くようになりました。 これまでは集中力がないとか、飽き性とか、ネガティブな言葉で語られていた特性が、この本をきっかけにポジティブな要素として捉えられる、大きな転換になったと思います。 しかし同時に、多動力は常に誰にでも必要なものではなく、フェーズによって多動力の強弱を調整すればいいのではないかと思っています。 生まれつき多動力が高い人というのは確実にいて、私自身もやや多動気味の人間です。 多動

人生とは、物語を創ること。

人生は、ままならない。 ままならない出来事がある。だから人は、そこに意味を見出して、なんとかその辛い出来事を自分に受け入れられるよう形を変える。 そうして、それぞれの物語を紡いでいく。 人生は、物語を創造していくこと。 その過程に人生を享受できるヒントがあると思う。