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ある陸上競技選手の足跡:2006-現在:セカンドキャリア:指導者、そして

ある「選手」としての足跡ですが、前回末尾に書いたように「セカンドキャリア」も重要な問題なので今回さらっと記します。

セカンドキャリアについてはこちらもご覧ください。


指導者に招聘された先は武蔵野学院大学。創部から携わって欲しいというお話があり、部員0からのスタートでした。最初は監督というより事務員として働きつつ、下準備をしていく感じです。

今、もしこのようなnoteやSNSマーケティングなどがあればそのストーリーをリアルタイムで書いていたかもしれません(笑)

2006年4月より就任し、2013年末に退任するまで部員も集まり、箱根駅伝予選会に出場、関東学連チームにも選出される選手が出るなど何とか1つのチームが立ち上がっていきました。

ローカル駅伝とは言え何度か優勝したり、入賞したりと実績も幾つか残せたと思います。諸事情があり、退任し、現在は別の監督さんの下、今でも頑張っているチームであるのは良かったです。

2014年からはフリーとして独立し、15年4月から3年弱東京経済大学でコーチ、駅伝監督という立場で携わりました。こちらでも1年目に関東学連チームで箱根駅伝出場選手が出たり、800mや競歩の選手も指導するなど良き経験もありました。


さらっと書きましたが「セカンドキャリア」として指導者を選ぶのはイバラの道だと思います。元々自分は指導者希望だったので、経営学や法なども勉強していましたが、それでも何時も不足していて、「走りながら」勉強し、何とか速度を落とさずに指導者としてやっていけたと思います。

現在は更に競争が増し、よほど独自の哲学を持っていないとあっという間に淘汰されかねません。それでも「本業」として目指すならしっかり勉強し、外部コーチとしてでも良いので経験を積んでおいた方が良いと思います。

また、実際の所は指導スタッフも中高は不足しています。地域で教えるという選択肢もこれから増えていくと推測されます。そしてチーム経営やこれから競技団体を考えていく上で「経営」が不可欠になります。

スポーツに関わる、陸上競技に関わろうとするならそういった「経営人材」としてならチャンスは大いにあると言えます。

本当に今も実際はそうなんですが、これからは益々「総合力」で色々な課題解決とイノベーション、活性・興隆を図らねばなりません。

そういったことに興味を持つ人が多く誕生すると良いですね。


★★★

これで現在までざっくりと「とある陸上競技選手」の来歴を辿ってきました。如何だったでしょうか?

今後は各時期のエピソードなどをちょくちょく紹介していきたいと思います。また今後もお付き合いくださいね!!

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