見出し画像

みんな凄くスムーズに書いている気がする

noteをいつも巡回していると(twitterもそうだけど)この人は書くこと、発信することが溢れ出てる人なんだろうなーと感じることがある。

もちろんnoteにしろツイートにしろ表すのはその作品、言葉だけ。

水面下ではどんな想いをしているのか、どれほど時間が掛かっているのかは当事者が書かない限り解らないし、書いてあってもそこまで深く知りようがない。実際の中身は密着取材するくらいでないと解らない。


アスリート、ランナーだって同じで。「結果」は表面に出てくるけど、その過程、取り組みは実際には解らない。チームメイト同士でも、寮生活までして一緒に居ても陰の努力やその人の内面までも切り込める訳ではないから、明確には解らない。

だから最終的にはアスリート、ランナーもクリエイターも誰かのモノマネやトレースだけでは続かなくて。どこかで自然と孤独で、独自の領域に入って行かざるを得ないのだと思う。

独自性はそうやって誕生するし、入っていくのだと思うんですよね。


そのクオリティもそう。練習効果もそう。

一般化、理論導入・構築も出来るけど、実際にそれをやった人と、やっていない「自分」を比較は出来ない訳で。もう1方、違う選択を試すことが出来ない以上、解らないのが本質で。

じっくり考え抜き、勉強も時間をかけて丁寧にやることで効果が出る、素晴らしい作品に仕上がる人も、場合もあるでしょうし、ごく短期に、一気呵成に仕上げた方が良い場合もある。

人それぞれだし、その作品ごと(練習)だし、時と場合によっても全然違う。自分なりのやり方と、引き出し方と、法則、感覚を養うしか無いと思うんですよね。


それが必死に「仕事」でやってるのか、「息抜き」なのかも御本人しか解らない。プロとアマの境目が解りにくくなってきた今。アスリートの垣根もどんどん無くなっている今。

「市民ランナー」というのも死語になりつつある感じがする今。

他人が勝手に貼るレッテルはあまり意味を為さなくなってるように感じます。自分が書き手、創り手、パフォーマーの立場で見る時はそういった前提で、他人の状況はあくまで参考にしつつも、自分なりの取り組み方やペース、考え方を構築するのが1番大切な気がします。

いつもご訪問、お読み頂きありがとうございます。 すき(ハートマーク)を押して頂いたり、コメントやSNS等にシェア、サポート頂けると励みになります。サポート、応援頂いた分は必ず、活動する中でみなさんにお返しして行くことが出来ると思います。今後もお付き合いを宜しくお願い致します。