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引用、参考資料に対する考察

このエントリー「読者として思うこと」から。

歴史でも、詩や古典でも、同じ文章なのに、様々な解釈や意見があるから「歴史学」は延々、研究し、議論が続き、新しい解釈が誕生する。それが醍醐味でもある。

自分は歴史学を専攻したので史料や資料を参考に、そして引用することは大事だと思います。また囲碁でも棋譜というものはシェアするため、参考にするためにあると思うんですよね。

議論のたたき台として大事。だから多く似たようなものが存在している方が探す手間はあっても、参考に出来るチャンスも同じように増えていきます。

だから本やメルマガ、note、twitterは特に引用、参考にされてなんぼという面はあると思うんですよね。それこそがまさに誰かに届いた証拠ですし、貢献になっていると思います。

論文でも、研究本でも、引用、参考文献にカウントされる数が多ければ多いほど重要な資料と考えられるし、広く、長く使われ続けます。(それによる問題も生じるけど)

ブログなども同じで、イイネもスキもそうだけど、シェアされた数が多ければそれだけ読者も増え、参考にする人も増えますよね。もちろん、フェイクニュースなど、問題点もあって、その辺りはリテラシー強化も必要になりますが・・・


その辺を前提に考えると、twitterでは特にそうですが引用し、コメントを付ける、ブログやnoteでもネタが思い浮かばない時はどんどん自分が読者として面白かった記事やエントリーを引用し、考察を加えたり、自分の考えを発信していく方法も取れると思います。


引用された側も、よほど悪評や攻撃を加えられるのでなければ「公開」している限り引き受けることだと思うんですよね。「鍵」をかけている訳でもなく、何も断っていないのに、引用禁止というのはちょっと違うと思う。

また、自分の宣伝をするために著者を利用する形でほとんど引用にもならないものを送りつけたり、コメント付記したり、リプしたりするのは嫌がられますが、敬意をもって「まとめ」を作ったりするのは喜ばれると思います。


要は引用、参考する側がどれだけ誠意と敬意を著者、発信者に対して持ち、臨んでいるかであるでしょうし、結構そういうのって伝わると思います。

ブログなどのエントリーも重要な資料となることがこれからどんどん増えていくでしょう。このnoteは特にそうかもしれません。少なくとも、どんどん良質なものが増え、拡大していると思います。

引用について、発信側が考えることだと思うので(例えば有料にして公開範囲を絞るなど)、読者はよほど引用禁止、シェア禁止など書かれていない限り、活用させてもらっていけば良いと思います。

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