人にはあまり言えないこともある
誰しもがそれぞれ何かしらの事情や言いたくないこと、言えないこと、ことさらオープンに出来ないことってあると思う。
それを思いきって書いてあったりして「楽しめる」のがnoteの面白さ、noteを巡回する楽しさでもあると思う。
好奇心ってあまりに強いと身を滅ぼすよっていうのもそういうところ。
オープンに、面白く表現してくれている分にはそっと触れ、読ませて頂いても良い。
だけど相当な勇気を持って書いているかもしれない、デリケートな部分も含まれているかもしれない。
文学はというと大袈裟になるかもしれないけれど、noteでもそういったことは気を付けたい。
「あの人」は書いたかも知れないけれど、私は、みんなは書きたくないし、触れられたくもないかもしれない。
noteだけを読んでると気付き難い、意識し難くなるけど、その裏には必ず人が居る。それだけは忘れないようにしたいですね。
書籍出版における小説や出版物。時々問題にもトラブルにもなる「表現の自由」。
尖ることも大事だけど、その尖った部分が誰かを突き刺すこともある。そこで傷付く人も居る。
だからと言って全てのものを丸くして安全なものばかりにするのも違うと思う。
ここは尖っているから近付かないようにしようという注意書も必要だったり。色々な配慮、いきなり遭遇し傷付くリスクを下げておく対策も必要かもしれない。
多くの、多様な人が溢れる場はどうしても密集してくるし、いきなり危険なものに遭遇する恐れはある。
それらを全部ないかのように覆い隠すのはかえってリスキーだと思う。反面、しょっちゅう刺激の強いものやリスクにはさらされたくない。
この先に進むと危ないな、怖いなと感じること。警戒心を持つことって健全なこと。
強すぎる好奇心で突っ走るより、きちっと情報収集したり、リサーチしたり、ブレーキをかけたり。鍵をかけて頑丈に守ることも大事。安心感はとても大切。
人にはあんまり言いたくないこと、見せたくないことは無理して、誰かに刺激されたり、競争心から無理にオープンにする必要はないと思う。
その大切な、逆に閉じ込めたいことは永久に封印しちゃってても良い。いつか開示しても良いし、ずっとずっと語らずにしまいこむのも良い。
表現することは自分で線引きを、選択することから始まるんじゃないですかね。
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