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スポーツ指導者の為の必携書:スポーツ倫理学

昨今問われるスポーツガバナンス。それについてシリーズ化して考察と本を紹介しています。

ただ実際に一人一人に向けて考えたときには組織、システム論と同時に指導者なら「倫理」というのが大事になります。「哲学」はよく言われます。「指導哲学」。その一部門に「倫理」があると考えられるのですが、どうも一般的に言われる「指導哲学」とは一致しないような気がします。そこで今回は分けて考察していきます。

その「倫理」もこの用語集を読むと非常に多岐に渡っていてなかなか一言で済ませるのは難しいところがあります。

本当に様々な分野にまたがって記されているので、「教養」としても学ぶと凄く役立つと思います。


★今回はその「スポーツ倫理」について記します★

先ずはスポーツ倫理とは何か?ここでも多く紹介する本の著者、友添氏のコメントをリンクします。

ガバナンスが問われたのも「強い組織」を作るという意味もありますが、何よりスポーツ、特に「競技スポーツ」の在り方という部分ですね。日本の場合、プロスポーツが少なく、はっきり分かれていない為、部活などでも競技志向とエンジョイが明確に分けられておりません。

スポーツという用語一つも、どちらに触れる訳でもなく、大きな概念となっています。これは全てに通じることで、スポーツマネジメントでも「プロ」と「アマ」では大分意味合いが変わってきますし、スポーツクラブもここから逃れられません。

同様に、スポーツ倫理もプロ・競技志向ならドーピングなどの方面に。全てに通じるなら指導やハラスメント、フェアネス、体罰などに通じていきます。

ただやはり「アスリート向けのプログラム」を「エンジョイ向け」と混在している場合、ハラスメントは起きやすくなり、もっと明確に志向とレベル別に分ける必要があると思います。

でないと人起因の議論しか行われなければシステムは変わらず、現場がやり難くなる一方だと思います。

これが危惧され、競技志向と一般的見解とで対立概念のようになってしまい、不毛な議論が続いているような感じがします。

本当はシステムにある。不明確な線引にある。そう思います。


★入門編★

上記に記したように、そもそも議論の出発点がという話もあるのですが、それ以前に人として考えた時に必要な「倫理」もあります。スポーツどうのこうの以前の段階。体罰と言うよりただの暴力事件。セクハラではなく性暴力など。

刑事事件に掛かる方面に関してはそもそも「スポーツ」の現場で起きた別次元の事件だと考えられます。

その上で「スポーツ倫理学」をしっかりと学ぶ必要がある。これは指導者、教員だけでなく、選手や保護者も知っておきたい知見です。

最後のフェアネスの部分。ここも欧米諸国と日本ではやや文化が異なり、「公平」や「平等」などの概念が今ひとつ明確でない、一致しない部分でもあります。そちらに関しては「哲学」や「社会学」なども合わせて学ぶ必要があるでしょう。


★★★

こうして書き連ねてみると、やはり「スポーツ」だけで完結するものでは全くありません。指導者、マネジメントに携わる関係者はもちろん、行政や学校関係者、選手、保護者と全ての人がこういった理解が進むことが大事でしょう。

そんなややこしいならスポーツなんて不要という声も上がりそうですが、人の人生には「身体」が付きもので、精神だけでは難しい。関係作りも、社会も全ては身体的要素を必要とします。

それ故にスポーツという身体に通じるものを不要と断じ、排除してしまうと結局新たな問題が発生するだけだと思います。

遊びの延長にスポーツがあり、人生とともにスポーツがある。それを極めようとするアスリート、指導者が居て、「道を極める」武道などが存在し、師匠が居る。

是非、「スポーツ」への理解が進むといいなと思います。

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