「書けない」を書くことについて

note毎日投稿を目指し(それに準ずるレベルで)一生懸命取り組んで居られる方も多いと思います。その中でクリエイター魂と言いますか「書けない」ことをネタに書くことを良しとしない考え方ってあると思うんですよね。

もちろん毎回「書けない」をネタに書き続けていると読者は離れると思います。それは何も「書けない」に限らず、毎日同じテーマや内容、ネタでは読み続けたいとはあまり思わないですよね?

だから神屋的にはたまの「書けない」はセーフだと思うし、立派なネタだと思うんです。正直な書き手の想いの発露とも感じるし。


ただ「書けない」と一言で済ませるのではなく、そこに「書けない」理由を並べてみませんか?

忙しい?
ネタがない?
メンタルや意欲?
体力や元気?

そういった考察や情報を載せるだけで随分「形」になると思います。「書けない」はずだったnoteが「書けている」感じになりますよね。

なんかあまりに「書けない」「書けた」を繰り返していると訳が解らなくなりそうですね。禅問答のようになるし、哲学的になる?笑

そんなことを書いているこのnoteは一体「書けている」のでしょうか??


そうです。恐らく「書けない」もただ一言で終わらせるような形になるからダメだと考えたりしちゃうんです。そこから考察を深め、哲学者になったつもりであれこれ考えてみましょう。

日々のnote投稿も発見も同じで。

いつもならスルーするようなことも何かしらの発見は可能です。それはやはりそこに加える情報だと思うんですよね。私ならではの視点、見方、考え方、気持ちや想いを載せてあげる。

それだけで立派なコンテンツにもなるし、同じ題材でも私が書く理由になると思います。あるテーマで情報収集している時も同じなんですよね。教科書を1つ定めて徹底的に学ぶのも大事ですが、偏っている可能性もあって。

その偏りや著者のクセ、共通項ではない部分が結構参考になったりもしますし、そここそが肝要だったりもしますよね。

だからnoteでも多くの人が多くの類似テーマで書いてても、たとえ「肉まんうまい」であっても、その人ならではの筆致や味が必ず出ていると思います。そこを重要視したい。

だから安心して?ぜひ「書けない」noteも書いてみましょう。頑なに考えず、伸び伸びと投稿が続くと良いですよね!

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