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中学駅伝の思い出:2年生

その年、大きなニュースがあった。中学駅伝の全国大会が創設される。それまでは近畿大会止まりで。県から代表が1校のみ選ばれる。

当時は相当強い駅伝王国兵庫。

西脇工業や報徳。全国トップの高校があり、その多くは中学校でも活躍した選手たち。結果から書くと、全国大会の第1回も第2回も同じ加古川市内にある中学校が優勝した。

そんな環境だったけどチームは全国を目指した。先輩方が強くてもしかしたら行けるかも⁉️と思えるくらいだった。同期も中々強かったし。

そんな中で共に揉まれて地力を付けて・・・

と言いたいところだけど、自分は6月頃に3000mで大幅自己新&覚醒の兆しを見せた直後に病気を発症。夏休みを完全に療養にあてるという状態に。

おかげで囲碁と勉強、読書はじっくり出来たけど、もう陸上競技は出来ないかも?というくらいいなっていたと思う。

チームは夏合宿や練習でともに目標を持って取り組んでいる中、完全に離脱。夏休み明けの学校に行くのも気まずかったような記憶。

背が伸びて痩せて、そして日焼けがない色白で。病人みたいと言われたけど、病み上がりだからそのままですよね。

そこから練習再開。休んでた分を取り戻すかのように。その辺りが中学生の不思議か、復帰後のレースで自己新連発で一気に次年度の全国通信陸上の標準に達したんですよね。嬉しい誤算。飛躍。

おかげで駅伝もメンバー入り。中核を担うことが出来ました。

結果はもう書いたけど、全国へは届かず!でも近畿まで駒を進め入賞もした。もう少し自分が強ければ結果も変わったかもしれない。

でもあそこまでチームが強く出来た先輩方は本当に悔しかっただろうと思います。本当にあと一歩だった。その相手が全国優勝したのだから、先輩方も凄かったんですよね。

その先輩方が抜け、自分たちが上の学年に。全国を頭に入れて新人駅伝に突入。そこで一気に飛躍、とはいかず。そこそこ戦えるといった感じ。日々努力しますが、具体的にこうとまでは中学生当時は考えられなかったですね。

失敗の数々、エピソードを積み重ねたのは覚えています。その辺も先輩方が上手くコントロールしていたのでしょうか。目指してはいるけどどこかのほほんと取り組んでた感じかなあ。

個人的にはその時期が地固めだったかも?一気に飛躍した分を着実にものにしていくと共に、新しい距離にもチャレンジした。

駅伝を中核に上手く活かしながら幅広い力を養成して頂いた感じですね。

駅伝は色々と取りだたされたりすることもあるし、「部活単位」では組むことも難しい時代になってきています。

でも駅伝があるお陰でチームの目標、活動を通じて力を付けたり、学べるものも多くあります。

色々な形態で取り組める駅伝がもっと多くあったら良いなと思いながら2年生の駅伝の思い出を締めくくります。

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