見出し画像

希望と絶望のサイクル

本当は「絶望」を先に持ってきたほうがタイトルとして滑らかな気がするのですが、印象強くなるのが「絶望」なのも虚しいからゴロの良さよりこちらを採りました。

どちらの言葉にも共通するのは「望み」ですよね。

何らかの望みがあってそれを強く「希む」のか「絶たれる」なのかで全く逆方向の語感になりますね。


サイクルとしてぐるぐる回っていく感じもしますし、スタートは「無」からなので左右に振り子が揺れているイメージも浮かびます。

いずれにしろこの2つは一方通行、もしくはどちらかを選択したらどちらかが消え去るわけでもなく、常に表裏一体で控えているのではないでしょうか?

だから「絶望」したとしても、少し経てばまた「希望」が見えてくるもの。

もちろん「希望」に満ちているようですぐ裏は「絶望」だからその心構えは崩さぬよう、どこか冷静な自分を保っておきたいですね。


「禍福は糾える縄のごとし」ではないですが、希望も絶望も糾えるように、グラデーションのように人生において散りばめられていることでしょう。そうした中でタイトルでもどちらを前にするか考えたように、自分で決めることが出来ます。

どれだけどん底に見えても「希望」にフォーカスするか、どれだけ上手く行っていても「絶望」にフォーカスするかでも見える色合いは変わってくることでしょう。


辛い、しんどい、キツイと思うことは幾らでも多くあることですが、小さな希望でも良いので私は少しでも持って行きたい。取り組んでいきたいと思います。

絶望に感じられる部分は考え得る「リスク」と同意だと思って処したい。少しでも気持ちを重苦しくしないよう、工夫してメンタルコントロールしていきたいですね。

いつもご訪問、お読み頂きありがとうございます。 すき(ハートマーク)を押して頂いたり、コメントやSNS等にシェア、サポート頂けると励みになります。サポート、応援頂いた分は必ず、活動する中でみなさんにお返しして行くことが出来ると思います。今後もお付き合いを宜しくお願い致します。