曉母と重紐、「*qʰ-」と前舌母音

曉母三等B類の字は非常に少ないようである。

通常の説明では、鈍音(曉母含む)では、「*-r-」介音の有無によって、上古元音が前舌母音(「*-i-」か「*-e-」)の場合に中古三等AまたはB、その他の元音の場合は特定条件(主に鋭音韻尾)下では中古三等CまたはBに変化する。「*-r-」介音を含む場合は三等B、含まない場合はAまたはCとなる。

曉母の三等Bを眺めていたところ、B⇔ACの対立がある環境の曉母三等自体が少なく、かつ無声共鳴音(「*l̥-」等)や唇音(「*qʷʰ-」)由来を除くと多くが擬音語(擬態語含む)らしいことがわかった。また、B⇔ACの「対立」自体も実際にはほとんど存在しないようである。

以下では《廣韻》に収録されている曉母三等B類の文字について見ていこう。中古音は切韵拼音で表記した。

*-rij, *-rəj > 脂B開 -yi

曉母脂B韻開口の字は去声に6文字のみ存在する。曉母脂A韻開口の字は平声に5文字のみ存在し、うち「咦」「忾」は「笑い」の擬音語、「𣢂」も擬音語である。「*-əj」由来の曉母微韻開口には「希」など多数の字がある。

  • 呬齂 hyih < *l̥rij-s
    「四」字が{呬}の表語文字と考えられるので、音節類型「Lij」に属する。「齂」は「隶 Ləp」声であるが、「*-əp-s > *-əj-s」と「*-ij-s」(脂韻と微韻)が接近した環境での造字であろう。

  • 㕧屓 hyih < *l̥rij-s
    「尸 Lij」声なので音節類型「Lij」に属する。ところで「鼻 *bij-s」+「呬 l̥rij-s」と「贔屓 *brij-s l̥rij-s」は意味はともかく音が似ているペアである。

  • 𤡬 hyih < *qʰrit-s
    「豷 huih < *q(ʷ)ʰrit-s」と関連すると思われる。

  • 䨳 hyih
    この単語は実例がない。

結論:①曉母「*-ij」⇔「*-rij」は相補分布である。②曉母「*-əj」⇔「*-rəj」は前者のみが存在する。③「*qʰ(r)ij」のしっかりとした単語は「屎 *qʰijʔ」だけである。

*-ʷrij, *-ʷrəj, *-ruj > 脂B合 -ui

曉母脂B韻合口の字は去声に2文字のみ存在する。曉母脂A韻合口の字は平上去声にそれぞれ存在し、「䁤(𥍋)」を除く全てが「隹(唯) Qʷij」声字である。「*-ʷəj」「*-uj」由来の曉母微韻合口には「揮」など多数の字がある。

  • 豷 huih < *q(ʷ)ʰrit-s
    「壹」声字が合口なのは例外的である。又音「qejh < *qˤit-s」がある。「豕息」という語釈がある。

  • 燹 huih
    「火」という語釈がある。韻が一致しない又音がある。

結論:①曉母「*-ʷij」⇔「*-ʷrij」は前者のみが存在する。②曉母「*-ʷəj, *-uj」⇔「*-ʷrəj, *-ruj」は前者のみが存在する。③「燹」については待考。

*-rin, *-riŋ, *-rən > 真B開 -yin

曉母真B韻開口の字は5文字存在する。曉母真A韻開口の字は存在しない。「*-ən」由来の曉母欣韻には「欣」など複数の字がある。

  • 脪㾙 hyinq <*qʰrərʔ
    「希 hyj < *qʰəj」声なので「*-ər」韻に由来させることになる。この音は《廣韻》以前の切韻には収録されていないため、介音「*-r-」を持たない「hynh < *qʰər-s」が由緒ある(?)音のようである。さらに《廣韻》には「trhi < tʰr[i]j」にも同じ文字がある。

  • 衅釁舋 hyinh < *m̥rər-s
    「釁」字は{沬}の表語文字であるので音節類型「Mər」に属する。

結論:①曉母「*-(r)in, *-(r)iŋ」の音節は存在しない。②曉母「*-ən」⇔「*-rən」の対立はあるともないとも言い難い。③「希」声字については待考。

*-ʷrin, *-ʷriŋ, *-ʷrən, *-run > 真B合 -uin

曉母真B韻合口の字も、曉母諄A韻合口の字も存在しない。「*-ʷən」「*-un」由来の曉母文韻には「薰」「訓」などの字が存在する。

結論:①曉母「-ʷ(r)in」の音節は存在しない。②曉母「*-ʷən, -un」⇔「-ʷrən, *-run」は前者のみが存在する。

*-rit, *-rik, *-rət > 質B開 -yit

曉母質B韻開口の字は1文字存在する。曉母質A韻開口の字は5文字存在し、うち「欯」「咭」は「笑い」の擬音語で、「欪」もおそらく擬音語である。「*-ət」由来の迄韻には「迄」など9文字が存在する。

  • 肸 hyit < *l̥rət
    陳劍(2008)によればこの文字自体は「逸 Lit」の異体字に由来するが、「hyt < *l̥ət」の又音がある。

結論:①曉母「*-it, *-ik」⇔「*-rit, *-rik」は前者のみが存在する。②曉母「*-ət」⇔「-rət」は前者のみが存在する。③「*qʰ(r)it, *qʰ(r)ik」にしっかりとした単語はない。

*-ʷrit, *-ʷrik, *-ʷrət, *-rut > 質B合 -uit

曉母質B韻合口の字は存在しない。曉母術A韻合口の字は4文字存在する。「*-ʷət」「*-ut」由来の曉母物韻には6文字存在する。

結論:①曉母「*-ʷit, *-ʷik」⇔「*-ʷrit, *-ʷrik」は前者のみが存在する。②曉母「*-ʷət, *-ut」⇔「*-ʷrət, *-rut」は前者のみが存在する。

*-re, *-rej, *-(r)aj > 支B開 -ye

曉母支B韻開口は相当数の字が存在する。曉母支A韻開口は平声に「詑」「焁」だけが存在する。《説文》を参考にすると「詑」は「欺 khy < *kʰ(r)ə」の山東省付近で記録された方言音である。「*-(r)aj」は三等A/Cにはならない。

  • 犧羲羛曦巇戲𤃪𢹍𧕆䖒㺣㚀隵 hye < *ŋ̊(r)aj
    この中にはかなり後にできた文字もあるかもしれないが、多くは諧声関係から音節類型「ŋaj」に属する。

  • 嚱𣤴𢨛 hye < *qʰr[a]r
    「笑い」の擬音語。

  • 桸 hye < *qʰr[a][j]
    「希」声の例外的な文字である。ただし「hyi < *qʰrəj」の文字は存在しない。

  • 𪖥 hyeq < *qʰr[a]rʔ
    「希」声の例外的な文字である。又音に「hyjq < *qʰəjʔ」がある。「笑い」の擬音語。

  • 焁 hye < *-rej
    三等A韻の又音「hie < *-ej」がある。「焁欨」という擬音語の第一要素らしい。「炊」は合口である。

結論:①曉母「*-e, -ej」⇔「*-re, *-rej」は事実上前者だけが存在する。②曉母「*-aj」⇔「*-raj」の対立がないことは既に知られている。③「*qʰ(r)e, *qʰ(r)ej」にしっかりとした単語はない。

*-ʷre, *-ʷrej, *-ʷ(r)aj, *-(r)oj > 支B合 -ue

曉母支B韻合口は相当数の字が存在するが諧声関係から考えると全て「*-ʷ(r)aj」に由来するようである。曉母支A韻合口にも一定数の字が存在するが「*-ʷ(r)aj」は三等A/Cにはならない。

  • 𪎮麾 hue < *m̥(r)aj
    諧声関係から音節類型「Maj」に由来することがわかる。

  • 噅撝𩻟䧦 hue < *qʷʰ(r)aj

  • 毀燬檓毇𥶵譭㩓𡢕 hueq < *qʷʰ(r)ajʔ
    《左傳》の「蔿」が戦国竹簡で「毀」に従う文字で書かれているため、「噅撝𩻟䧦」と同じ音に遡る可能性が高い。「墮 hwie」は音も意味も似ているが諧声関係から考えると音節類型「Loj」に由来する。

  • 毀 hueh < *qʷʰ(r)ajʔ-s

  • 烜 hueq < *qʷʰarʔ
    又音に「huonq < *qʷʰarʔ」がある。

結論:①曉母「*-ʷe, *-ʷej」⇔「*-ʷre, *-ʷrej」は前者だけが存在する。②曉母「*-ʷaj, *-oj」⇔「*-ʷraj, *-roj」の対立がないことは既に知られている。③曉母「*-(r)oj」の音節は存在しない。

*-reŋ, *-raŋ > 庚B開 -yaeng

曉母庚B韻開口には1文字もない。曉母清A韻開口には去声に「𣢝」「𩈡」の2
文字だけがある。「𣢝」は「笑い」の擬音語で、「𩈡」も擬音語である。「*-aŋ」由来の曉母陽韻開口には「香」など多数の字がある。

結論:①曉母「*-eŋ」⇔「*-reŋ」は前者だけが存在する。②曉母「*-aŋ」⇔「*-raŋ」は前者だけが存在する。③「*qʰ(r)eŋ」にしっかりとした単語はない。

*-ʷreŋ, *-ʷraŋ > 庚B合 -uaeng

曉母庚B韻合口の字は平声と上声に一つずつ存在するが、諧声関係から全て「*-ʷraŋ」由来である。曉母清A韻合口の字は平声に「𧵣」、去声に4字存在する。「*-ʷaŋ」由来の曉母陽韻合口には上声に2文字、去声には「況」など4文字が存在する。

  • 兄 huaeng < *qʷʰraŋ
    「孟 maengh < *mˤraŋ-s」と語根を共有している場合は「*m̥raŋ」となる。甲骨金文には「兄」+「㞷(往) uangq < *ɢʷaŋʔ」からなる両声字がある。

  • 𦬺 huaengq < *qʷʰraŋʔ
    「小風」という語釈がある。

結論:①曉母「*-ʷeŋ」⇔「*-ʷreŋ」は前者だけが存在する。②曉母「*-ʷaŋ」⇔「*-ʷraŋ」は「𦬺」を除くと相補分布である。

*-rek, *-rak > 陌B開 -yaek

曉母陌B韻開口には1文字あるが、曉母昔A韻開口の字はない。「*-ak」は曉母藥韻開口になるはずだが、他の韻に由来する「謔 hyak < *ŋ̊(r)awk」しかない。

  • 虩 hyaek < *qʰrak
    又音「sreek < *[sˤr]ak」がある。

結論:①曉母「-(r)ek」という音節は存在しない。②曉母「-ak」⇔「-rak」は後者に1文字だけが存在する。

*-ʷrek, *-ʷrak > 陌B合 -uaek

曉母陌B韻合口には1文字もない。曉母昔A韻合口には「瞁」「𥆛」の2文字がある。「*-ʷak」由来の曉母藥韻合口の字は4文字存在する。

結論:①曉母「*-ʷek」⇔「*-ʷrek」は前者だけが存在する。②曉母「*-ʷak」⇔「*-ʷrak」は前者だけが存在する。

*-ren, *-ran > 仙B開 -yen

曉母仙B韻開口には4文字あるが、曉母仙A韻開口の字はない。「*-an」由来の曉母元韻開口には「軒」などいくつかの文字が存在する。

  • 嘕 hyen < *qʰr[a]r
    「笑い」の擬音語。

  • 嫣 hyen < *qʰran
    擬音語のようである。又音「qyonh < *qʰan-s」「qyen < *qʰran」「qyenq < *qʰranʔ」がある。

  • 仚 hyen
    この文字はよくわからない。

  • 𦒜 hyen < *-an
    擬音語のようである。「亶 Tan」に従う理由は不明。

結論:①曉母「*-en」⇔「*-ren」は後者だけが存在するか、曉母「*-(r)en」という音節自体存在しない。②曉母「*-an」⇔「*-ran」は前者だけが存在する。

*-ʷren, *-ʷran > 仙B合 -uen

曉母仙B韻合口の字はない。曉母仙A韻開口の字は平声に9文字、上声に2文字存在する。「*-ʷan」由来の曉母元韻合口には「暄」など多数の文字が存在する。

結論:①曉母「*-ʷen」⇔「*-ʷren」は前者だけが存在する。②曉母「*-ʷan」⇔「*-ʷran」は前者だけが存在する。

*-ret, *-rat > 薛B開 -yet

曉母薛B韻開口には2文字存在する。曉母薛A韻開口の字は存在しない。「*-at」由来の曉母月韻開口には「蠍」など5文字が存在する。

  • 娎 hyet < *qʰr[a]t
    「笑い」の擬音語。

  • 焎 hyet < *qʰr[a]t
    「火氣」と語釈がある。

結論:①曉母「*-(r)et」という音節はおそらく存在しない。②曉母「*-at」⇔「*-rat」は事実上前者だけが存在する。

*-ʷret, *-ʷrat > 薛B合 -uet

曉母薛B韻合口には6文字存在する。曉母薛A韻合口の字は存在しない。「*-ʷat」由来の曉母元韻合口には擬音語らしきものが6文字が存在する。

  • 𥄎 huet
    不明。

  • 𩖶 huet < *qʷʰrat
    「小風」という語釈があり、「䬄 huot < *qʷʰat」と関連する。「朮 Lut」声の例外的な文字である。

  • 𣧡烕 huet < *m̥ret
    諧声関係から音節類型「Met」に由来することがわかる。「𣧡」の「戉」は「戌」の訛変である。

  • 𦐋吷 huet < *qʷʰret
    「吷」は《説文》では「歠」の異体字とされている。

結論:①曉母「*-ʷet」⇔「*-ʷret」は後者だけが存在する。②曉母「*-ʷat」⇔「*-ʷrat」は事実上前者だけが存在する。③「𥄎」については待考。

まとめ

真韻開口以外は曉母に重紐の対立がほとんどなく、また「*qʰ-」+「*-i/e-」音節でしっかりとした単語は「屎 *qʰijʔ」くらいで、ほかは擬音語や方言音など例外的ものであることがわかった(「屎 *qʰijʔ」の再構には議論があるが、ここではこの再構を暫定的に信用している)。また「笑い」の擬音語はB類にもA/C類にも登場することにも着目されたい。

真韻開口に関連して、Baxter & Sagart は「希」~「絺」の諧声関係を説明するために「*qʰr- > *r̥- (> trh-)」という方言的変化を提案している。{絺}はおそらく{緻}と同源で、張富海は「希」が{稀}と{絺/緻}の共同表語文字であると見ている。

曉母と昌徹母の関係は考慮すべきものである。「川~訓」「車」「赤~赫」など、曉母~牙音系列に昌母が出現するパターンがある。

今回例にあげたものに限らず、曉母音節はもともとあまり数が多くなく(「*-r-」を伴うものはさらに限定的だろう)、かつ擬音語が多いことはおそらく全体的に見られる現象である。しかし、曉母+後舌母音には二等「孝」「謳」「歐」や三等「休」「朽」「嗅」「胸」にしっかりとした単語がいくつも有るようだ。


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