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もうひとりの小松

コロナ禍を機に本格的に山雅の試合を見るようになり早4年。
山雅のユニフォームを初めて買った。
それまでは観戦が年一回程度と、たまにYouTubeでハイライト見るぐらいだった。

買ったのは背番号40の樋口選手のユニフォーム。

昨季は特別指定で在籍しており、今季専修大学から加入したルーキー。
なぜこのユニフォームかというと、私の出身地の塩尻生まれの選手だからである。

塩尻出身のJリーガーは12年ぶりということになるかな?

ところで、山雅の小松といえば、昨季J3得点王を獲得し、今季ブラウブリッツ秋田に移籍した小松蓮選手を思い浮かべる人が多いだろう。

ただ今回は、かつて山雅に在籍したもう1人の小松さんの話をしたいと思う。

12年前の2012年、J2に昇格初年度の山雅に在籍していた、塩尻市出身初のJリーガーとなった小松憲太さんを覚えている山雅サポーターは少なくないと思う。

2012年J2開幕戦、味スタでのヴェルディ戦
小松選手はボランチでスタメンに名を連ねていた。
私は、小松さんと同い年なのだ。友人とスタンドで観戦した。
試合は0-2の完敗。プロのレベルは高い。
彼をもってしてもか…と感じた。

さらに時を遡り1999年、小学校6年の時、
市内のチームでサッカーをやっていた私は市の選抜チーム(小学生年代)に選ばれた。
人口6万ちょいの小さな街だけど一応セレクションはあった。私のチームからは私ともう1名が選ばれた。ポジションの関係もあるけど、同じチームで上手い人が選ばれなかったりしたのが意外だった。

当時から有名だったから知ってたけど、そこに小松憲太さんもいた。
私はその時点ですでにプロになることをあきらめていたが、彼は違ったようだ。
所属チームでキャプテンだった彼は選抜チームでもキャプテンを務め、チームを引っ張っていた。
私は選抜には選ばれたものの大して技術もなく、彼にも当然ピッチ上では負けてばかり。
勝てたのは合宿で同部屋になった時、寝る時に電気を完全に暗くしたい私と豆電球派の彼でその争いには勝てた記憶がある…(笑)

中学はお互い市内の公立校に行き、サッカー部に入部した。その頃聞いた噂で、小松憲太さんは朝と夜に5kmか10km走っていると聞いた。
なんてストイックなんだ、行き帰りの自転車(通っていた中学は、自宅が一定以上の距離にある場合自転車通学が許されていた)と練習だけで結構精いっぱいなのにと私は思っていた。

それを裏付けるかのようなエピソードを見つけた

リンク先より引用


高校になったら私はサッカーをやめてしまった。彼は県内のサッカー強豪校に進学した。

大学の時、彼は東海地方の大学に進学したのだが、ある日東海地方の大学にいた友人からこんな話を聞いた。「小松憲太は行った大学で1年からキャプテンをやっていて、チームを東海4部か5部から1部か2部ぐらいに上げた」

彼ならそのくらいやりそうだ(実際そうだったと思うけど)と思った。

彼の出身大学は今でこそプロをそこそこ輩出しているけど、当時はちょうどサッカーに力を入れ始めた時期だったらしい。ずいぶん無名校に行ったと思っていたのだが、彼はストイックさと実力でのし上がっていた。

そして2010年、当時JFLの松本山雅に入団する。その頃から山雅はプロを目指していたから、選手の構成も元Jリーガーが中心で、すでに地元の選手は少なかった。そんな中入団した彼に期待を寄せてる人も多かったと思う。

2011年には松田直樹さんが入団するというビッグニュースが舞い込む。当時の松田さんはボランチをやっており、偶然にも小松さんと同じポジション。彼は松田さんの薫陶を受けることとなった。ただご存知の通り、その日々は思わぬ形で幕を閉じてしまったわけだが…

その年のハイライトはJ昇格などいろいろあるけど、天皇杯長野県予選決勝のAC長野パルセイロ戦はPK戦(9-8)での決着となり、試合を決める最後のキッカーが小松憲太さんだった。
仲間内でも話題になった。
松田さんがいなくなって1ヶ月もしないうちに行われたこの試合を勝てたのは大きかったと思う。

2012年の話に戻すと、開幕戦で何もできなかったヴェルディには夏のホームの時には3-2で勝っているんだよね。
当時やってたfacebookに、4ヶ月前アウェイで何もできずに負けたのにホームで勝っててすごいみたいなことを書いたら、普段いいねが来ない人からもいいねをもらった思い出。もう2度と戻らない昇格初年度の熱狂。

あとは小松憲太さんのゴール。これは今でも覚えている。町田ゼルビア戦でのペナルティアーク10mぐらい手前の位置からのミドルシュート。塩尻市出身の選手の記念すべきJ初ゴールをアルウィンで決めたのが大きいよね。地元ファンは格別な思いだったと思う。

というわけで、なんとも薄いつながりではあるものの、人口10万人もいないところで育った身としては身近にプロになった人がいたというのはいささか幸運だったように思える。

私は小学生年代がピークだったんだなぁ(遠い目)
一方、彼は努力を続けてプロに到達した。
もちろん比べるのもおこがましいのは承知です。

小松さんは現在、母校の高校で監督を務めている。指導者ライセンスはA級かB級。
リンクは貼らないけど、中村憲剛さんがA級ライセンス講座を受けたとSNSで報告している集合写真には彼の姿が確認されている。

今の年齢でA級取っていたらすごいと思う。少なくとも長野県レベルではトップだろうね。
北信越で見てもトップクラス。同年代の指導者という括りで見たら圧倒的にトップだと思う。本当すごい。

A級取れたらこちらとしては夢が広がる。
今は高校から雇用されているだろうから難しいけど、いずれは山雅に指導者として…戻るなんて日が来てもいいのかもしれない。
現役時代を知るオールドファンたちが死ぬ前に実現したら、それはとても素敵なことだね!

小松さんのプロ生活は、残念ながら4年ぐらいで終わってしまった。樋口選手にはその無念が晴れるような活躍を期待したい。勝手ながら。
そんな思いを込めて、初めてユニフォームを購入した。サイドバックのポジション争いは意外と激しいけど、応援するぞ!

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