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【DVは なおる 続 無料公開分】②原家族体験(2)

こちらからの続きとなります。

被害者と加害者。被害者から加害者へ

 さて、ここまでのエピソードを読まれて気づかれた方も多いと思いますが、私の育った家庭は父親から母親への暴力があった家庭でありながら、被害者のはずの母親からも私への暴力がありました。

つまり、母親に関して言えば、彼女はDVの被害者であり、同時に加害者でもあったのです。今思えば、当事者の加害者性と被害者性の同居について、私は幼少の頃から生で体験していたということになります。

 そして、被害者でのみあった自分にも、徐々に加害者性が芽生えてきたのです。

DVの加害被害が混じり合う家庭
被害者の逆襲

 先述の通り、私の育った家庭では

  父親→母親、父親→私、母親→私というDV加害の関係がありましたが、私が身体的に成長し、体力・筋力をつけていくに従って、この勢力図が少しずつ書き換わっていきました。

父親への反撃

 中学二年生の頃でしたが、ある日父親の機嫌が酷く悪く、私はやたらと突っかかられていました。嫌なことに対して言葉や態度で抵抗していたため、父親からは「親に逆らう気か?最近はそういうのが流行ってるのか?」「馬鹿にしやがって」と言われ行為もどんどんエスカレートしていきます。

 そのうちに父親からは手が出るようになり、掴みかかられ引き倒され、一方的に責められました。私はついにそれに我慢ができなくなり、父親に殴りかかりました。今思うとあれが、私が被害者であり加害者に、父親が加害者であり被害者になった瞬間でした。

 殴られた父はその瞬間に激昂し、私は何度も何度も顔が腫れ上がるまで殴られ、床に思い切り倒され頭を踏まれ喉を蹴られ、ぼろぼろにされました。父親は昔自衛隊にいたことがあるらしいので、中二くらいの体力ではまだまだどうしようもなかったのでしょう。

 その後私は母親に連れられ一旦避難しました。その日は家の中には入らず、車の中で寝たという記憶があります。

 そしてなんとその後、母親からは父親に必ず謝るようにと強く言われました。信じられませんでしたし、納得もできませんでした。しかし、とても強く何度も言われたこともあり、結局言葉で謝りました。それに対する父親の答えは「聞く耳持たんわ」でした。自分の思いは誰にも受け止めてもらえなかったのだと、絶望したことを覚えています。

 また、それを聞いた瞬間、将来もっと力をつけて、素手で時間をかけて殺してやりたいと強く願ったことを覚えています。最近、息子が父親を殺す事件というのがいくらか報道されていますが、その犯人の動機や思いには、非常に共感できてしまう部分があります。

母親への反撃

 中学二〜三年生頃には、完全に体力では母親に勝ったからか、物理的な暴力は全く受けなくなりました。が、その分言葉での暴力やコントロールは酷くなったように記憶しています。

 また先述した通り、自分の価値観や感情は否定され、勉強してそれなりの成績を保っているだとか、家で両親に経済的に守られているだとか、そういう形式のみを大事にされている感じをずっと受けていましたし、そこから少しでも外れようとすると、たちまち酷い言葉でのコントロールが始まりました。

 殴られないとはいえ、価値観の否定や言葉の暴力でのコントロール、時には「自殺する」というようなことをほのめかす「死ぬ死ぬ詐欺」なんかを受けていると精神的に堪えます。

 それに対する防衛として、私も強い言葉で返すということが次第に増えていきました。殴りかかられても負けないという自信から、言い返すことに躊躇はなくなりましたが、これまで自分自身の感情を見つめたり、それを言葉にするということには全く慣れていなかったため、結局言いたいことを言語化できず、ありふれた暴言くらいしか言えることはありませんでした。エスカレートすると、母親の肩をどんっと叩いたり、鞄等で殴りつける等の身体的な暴力に訴えかけることが多くなりました。

行き場のない感情の行き先

 上手く自身の感情を言葉にできないまま、モヤモヤした気持ちは人であったり物であったりに対する直接的な暴力へと向かうようになりました。家の壁には拳の跡や穴がいくつもできました。学校の勉強も馬鹿馬鹿しくなり、成績もそれなりに上位だった頃から一気に落ちました。ですが、これはこれでホッとしたのを覚えています。まるでこれまでの抑圧から逃げるかのようでした。

 とはいえ、本当に抑圧から逃げ切れるはずもなく、相変わらず両親からは価値観の否定、感情の否定は続きますし、それに対して反撃しても楽にはなれず……いつ誰が敵になるか味方になるかわからない、そんな状況で気の休まる暇もないという、ただしんどい時間が続きました。

 会話やコミュニケーションはキャッチボールであると今では思いますが、うちの場合はドッヂボールや、先述したデッドキャッチボールだったように思えます。そんな、DV・パワーコントロールの渦巻く家庭でした。

 そういった価値観やコミュニケーションが普通の環境にいると、自分自身のコミュニケーション方法も同じようなものになっていくのです。一番身近で学ぶコミュニケーション方法がそれしかないからです。

 勿論家の外で得るものもある筈ですが、一番身近なところで吸収するものがおそらく最も影響力が強いのだと思います。DVの世代間連鎖の仕組みとはこういったところにあるのでしょう。

成人後の当事者体験

 原家族で日常的にあったDV等のしんどい状況は、成人して家を出るまで続いたのですが、その影響そのものは成人後もずっと続いていくことになりました。

 暴力や暴言を用いたパワーコントロールを受け続けたことで、自分自身もパワーコントロールの方法を覚え、他の心地良いコミュニケーション方法についてはほとんど学ぶこと・体験することがなかったからです。

 結果、私はACとして生きづらさを抱えて行くことになり、この後の様々な場面でパワーコントロールを受けたり行使したりということに悩まされていきます。

【続く】


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