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できるっていっちゃったから

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需要あるのかな、と思ってたけど、続き楽しみにしてますといってくれた方がいたので書くことにしました。

先日タイムリーにも子どもの頃についてのインタビューを受けて、MSXでのプログラミングの前に小学生の時にエレキット工作にハマってたなーと思い出しました。

それはさておき。

第2期 バイトでCADを開発、OJTでお金もらいながらC++を習得した大学生&大学院浪人

高校ではオタクではあったものの特にプログラミングにハマることもなく、普通に大学受験をして名古屋大学の工学部建築学科に入りました。建築学科にしたのは、絵を描いたり何かをつくったりすることがやっぱり好きで、普通科でも行けてデザインっぽいことができそうだったから。

名大といえば東海地方ではトップクラスの大学ではあるので、バイトの定番は家庭教師か塾講師。僕は知らない人のウチに行くのはちょっと苦手だったので、必然的に塾講師のバイトをいくつかしていました。

そのうちのひとつの塾にいた同じく名大の先輩(機械系か情報系だったような)が建築CADを開発している会社でバイトをしていると聞き、僕もやりたい!建築学科だしプログラミングもできるから!とだだをこねまして、その会社の面接をセットしてもらいました。

しかし、プログラミングできるから、とはよく言えたもんですね。
前回書いたとおり、僕のプログラミングスキルは「MSXでジョークプログラムが書けるレベル」です。しかも中学生の時で止まってるのに。すべては、「Mファンに載った」という成功体験のなせる技でしょう。

そんな僕に、運が味方をします。
時は1995年~1998年、まさにWindows95が席巻していた頃。その会社は販売していたソフトウェアをWindows対応しなければならないという喫緊の課題に直面していました。まさに、プログラマーが喉から手が出るほど欲しいタイミングだったためか、スキルチェックも無く採用してくれました。

さらにラッキーなことに、社員全員がWindowsプログラミングに不慣れだったため、会社は外部から講師を招いて一部開発を手伝いながらみんなを指導してもらうという方法をとっていました。

「僕が知っている言語とはちょっと違うんですよね」という言い訳が通用しやすいタイミング。そして、いろいろ教えてもらいやすいタイミング。

講師からしてみれば、一番若い大学生が、たぶん目をキラキラさせながら、いっぱい質問にきて、言われたこと全部やってくるわけです。教え甲斐がありますよね。社長も思い切りよく開発中の商品の一部を僕に担当させてくれたので、基礎をぶっ飛ばしてオブジェクト指向でグラフィックを生成して描画するところに特化してぐんぐんスキルがアップしていきました。

そうこうしていたら、名古屋大学工学部建築学科の大学院に落ちました。

CADで図面を入力するよりも、CADを開発するほうが楽しくなってしまったからでしょうか。大学院進学の試験勉強がおろそかになってしまい、見事に落ちてしまいました。

その後指導教官の先生に相談して、結果的に九州芸術工科大学の画像設計系大学院に進学することになるわけですが。名大建築の大学院の不合格通知を受け取ったときに、むしろラッキーって思っちゃったんですよね。これで思い切って別のことができる、って。

大学院浪人することで、大学卒業後1年間の完全に自由な時間を手に入れた僕は、バイト先の社長に一人で一本ソフトを作らせて欲しいと提案に行きました。今思うと良くそんな提案したなぁと思うし、社長もよくOKだしてくれたものです。

その時に作ったのが、2x4工法の図面を入力したら自動的に構造計算をしてくれて各部材の必要強度を割り出してくれるソフト「K'z System」です。

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なんと、まだ売ってました!(名前が少し変わってますが)
ここに書いてある文章とかロゴとか、全部大学生の時の僕が作ったものです。すごい、まだ使ってくれてる!そういえば、このキャリアネット株式会社のロゴマークも僕が作ったんだった。そのまま使ってくれてる。嬉しいなぁ・・・。

ところが、開発当初は、2x4工法にはそんなに正確な構造計算はいらないと業界からいわれ(いままで慣例で使ってた部材よりも細いものでも構造上は問題ないことがわかってしまったりしたので)、会社も売れない商品を作ってしまって頭を抱えていたと思います。

でもしばらくして「姉歯建築構造計算書偽装問題」が発生。
木造建築でもきちんと構造計算をするべきだという風潮が生まれ、急に脚光を浴びました。一時期は、2x4協会推奨ソフトとされていたときもあったらしいですよ。

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結局のところ、この時期に僕がプログラミングができるようになった理由は「できるっていっちゃったから」でした。

先に勉強してできるようになってから○○をしよう!というのは、実は遠回りなんじゃないでしょうか。やるって言っちゃったらできるようになるまで必死になるでしょうし、期限があるからそれまでに何とかしようとするわけですし。

この時は本当に、プログラミングが楽しかった。
バイト先からうちに帰ってからもエラーとかアルゴリズムとかが気になって眠れなくて夜中にPC立ち上げて作業しちゃったり。

やりたいこと、作りたいことがなくたって、始めちゃえば楽しくなることだってあるんですよ。

結局長くなってしまった。
次は最後、第3期は大学院時代にKAGURAを作った話です。


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