道東誘致大作戦を終えて思ったこと

道東誘致大作戦が終わった。

(photo by 鶴と亀・小林くんのカメラ)

結果から言うと二泊三日のツアーは、全国を渡り歩いてきたゲストの方々に「こんなにハードな旅はなかった」と言わしめるくらい密度の濃いものとなった(手前味噌かもしれないけれど)。

トークイベントについても、総勢50名を超える方々で賑わい、イベントを生中継した模様も好評。

来ていただいた方からも熱いエールをたくさんいただくことができました。

今回の企画はゲストを含め、地域の方、クラウドファンディングを支援してくれた方、イベントのお手伝いをしてくれた方、本当に多くの方からの想いのビッグバンでなし得たことだと思っております。

本当にありがとうございました!

(たぶんphoto by クスろ・名塚)
さて、そんな大成功に見える舞台裏、懇親会の二次会。

本来達成感に満ちたなんとも充実した時間を送っていそうなはずだったんだけれど、おれたち実行委員はゲスト全員(+ALL YOURS木村さん)から、けちょんけちょんにされてしまうほどの激しい叱責を受けておりました。

それはトークイベントのクオリティであったり、今回の企画自体の進め方や見せ方、ツアーの内容に至るまで、ありとあらゆる角度から、より高いレベル感でアウトプットするための本気のダメ出しでした。

来てくれているお客さん(場合によって対象は変わる)をどれだけ満足させることができるか、という本当にシンプルな取り組むべき姿勢の話。

(百戦錬磨のゲストの方とサポートしてくれた人の甲斐あって)表面上は大失敗したわけでもなかったし、見過ごすことの方が簡単な関係性を壊しかねない耳が痛い話にわざわざ言及してくれたことも、ゲストの方々が本気で自分たちと向き合ってくれていた証拠でした。

普段、怒られることも手本になるような人も身近にいなかった自分からすると、本当に貴重な時間で、愛のある説教だったと思います。

(ああ・・・これもまた導入部分が長いと怒られそうだ 笑)


絶望していたが、そもそもちゃんとできるわけがなかった


とは言え、やっぱりめちゃくちゃヘコむわけですよね。そりゃもう本当に容赦無く言われるわけですから、ええ。

残りの行程中にも影を落とすほどショッキングな出来事だったし、絶望と無力感と後悔をひたすら感じていました。(一人のタイミングでは涙がこぼれてしまうほど)

イベントが終わった後も、プライベートで残っていただいた方の同行や残務処理に追われ、まったく振り返りもできず、合間に思い出しても自己嫌悪の連続。

しかし、やっと疲れも抜け、落ち着いて考える時間が少しできたころにふと気付いたことがありました。

それはなんでちゃんと出来る気でいたんだろうということでした。

気付いた時にハッとした。

おれはトークイベントを主催したこともこれが2回目だったし、ツアーコンダクターでもない。

初めて組んだメンバーとの初めてのイベントだったし、リモートですべて行なっていたためツアー1日目がはじめましての主催者メンバーもいた。

運営サイドの経費はすべて自腹のキツキツ収支。もちろんすべての作業は手弁当。本来の業務の合間を縫って企画するしかない。

そもそも主催サイドが4人でゲストは5人、同行者までを含めると相手は10人。

リソース全然足りてねー!

もちろん薄々は感じていましたが、そもそもが無理ゲーだったわけです。

そんな状態でこの手練れたちを前に、華麗にスマートに成立させられるかもと、よくぞまあ一瞬でも考えたなと気付いた瞬間赤面してしまった。


いつも無能からのスタート


1988をはじめてから2月で丸3年が経った。

最初の1年は紙媒体でA5版・約80ページを8冊つくった。翌年WEBマガジンをローンチ、紙媒体はそれからお休みしている。

多くの方が手伝って助けてくれたけど、ほぼ一人で、取材も撮影もデザインもライティングも営業も配本も集金もやる。

前職は防衛省の職員。

パソコンと向き合う作業は変わらないけれど、徹底した情報管理からデスクのPCはオフラインのスタンドアローン、使うソフトはOfficeのみ。

Macも触ったことがなかったし、IllustratorもPhotoshopも知らなかった。

媒体をつくるまで、編集長という肩書きの人にも会ったことがなかったし、(はじめて会ったのも柿次郎さんだったな)今でも指出さんと藤本さんのみなのでたった3人。

それでも地元に戻り、メディアをつくることを決意をし、(長くなるので、Uターンの経緯・きっかけについては割愛)見よう見まねのオール我流で現在に至っている。

もちろん自分の力だけじゃなかったけれど、曲がりなりに実現してはいるのだ。

上記の通り、育んできた特別なスキルや、ずば抜けたセンスがあったわけじゃない、資本もまったくなかった(貯金しとけや)。

それでもなんとかなし得ることができたのは、やるべきと決めたことをやっていく、それは地域への圧倒的な当事者意識を持っていたからだと思っている。


ここにいることの意味


身近にいる人でもわけわからなくなるくらい広範多岐に渡ることをやっている。

1988のすべて、企業のプロモーションに関すること、商品のブランディング、少しずつトークイベントに呼んでいただくことも増えてきた、最近は休刊になった媒体の復刊号からの編集長も任されることになった。

こう見ると少し華々しく見えるかもしれないが実情はまったく異なる。

プロモーションは1988同様、全体のディレクションから実務、SNSの運用まですべてこなす。

ブランディングだって、ロジックもスキームも教えてもらったことはない。トークイベントの前はいつもSlideshareを見ながら資料を作り変えている。

朝10時ごろから動き始めて、深夜26:00が定時。雑誌を出していた時は締め切り前が4徹くらいかましていた。それを3年。

生活を維持するための足元の仕事は今月も山ほどある。カードの支払いは毎月引き落としできずに振込用紙が送られてくる。家に帰ると見たことない色の封筒が届いてることもある。

今までもここに書けないような仕事もしてきた。

低所得にあえぐ地方都市では、生きていくにも必死だ。人を食ったような魑魅魍魎も闊歩している。誠意を尽くして、割りを食ったことだって一度や二度じゃない。

ここに住むことも戻ってくることも、誰に頼まれたわけでも、これしか選択肢がなかったわけでも、仕方なくやってるわけでもない。

できるできないは関係ない、見たことも、習ったことも、教わることがなくても、やる。

地域をより良くするという利他と、自分が将来、楽しく暮らせる地域にしたいという利己。

そのためにやるべきこと、必要だと思ったことを全方位的にずっとやり続けている。

対価も社会的な地位もスキルも経験も、まだ何もない。

モチベーションを保っている要因は圧倒的な当事者意識のみ。

お金を稼ぐためにやっているわけじゃないけど、正しいことをしていればお金も稼げると思っているし、ひたすら一人でやることに美学を感じているわけでもない。

このやり方を続けていても自分が望むインパクトは与えられないこともわかっている。

できないこともできると言って、やる。

少しずつアップデートを繰り返してやり続けていく。

それは今の好きなものや好きな人を残すたたかいでもあるし、これから先のおれ以降を残せるかどうかのたたかいだとも思っている。

こんなクソみたいなハードモードじゃない、もっと生きやすい地域に変えるんだ。


無能ビヨンド


そんなことを今回の出来事を気に改めて確認できた。無能の絶望のあとに訪れたのは驚くほどの全能。

なぜなら、今できなかろうが知らなかろうが、これからできるようにすればいいんだという謎ロジックが成立するようになるからだ。

ハードルは地面と同じになり、あとは上がるしかない。

【できない】という無能と【できるようになる】という全能の狭間にいる完全ニュートラルな状態なんだと認識できた今、完全に憑き物が取れたかのように視界がクリアになって楽になった。

なんせ、何も気張ることもカッコつけることもマウンティングも必要なくなって、目の前のやるべきことをやるのみ。周りの目も気にならない、めちゃくちゃピースフルな世界が待っていた。

「いやー、今できないんすけど、やってできるようにしますよー」

みたいなダメ元のテンション。ズルい!

だって、そもそも何にもできなかったからなあ。

やるしかねえんだ。


やってやってやり続ける


この3年、とにかくずっとやり続けて来た。

もちろんそれらは形にこそなったが、経済的なリターンを得ているものでもないし、手段も試行錯誤だった。

でも確実に、間違いなく、できることは増えている。

何もなかった、できなかったところから手を変え品を変えながらも自分の中で一本筋が通った状態でここまできている。

今回のツアーも冒頭指摘されたような抜け漏れ満載だった。

イベント内容だって15分遅れた本来の開始時間19:00に完全に決まった。ツアー中の朝食も予定していたところのアポを取っていなくて、ワカサギを朝食にするというタスクに切り替えたりもした。(まだまだあるけど、ポンコツ具合を露呈するため割愛)

それでもあの一瞬の鬼詰めタイムをのぞき、最後まで楽しんでもらえていたんだと思う。

記事化の話もチラホラあったし、ビジネスに繋がりそうな案件もある。

すでにSNSでも膨大な量発信してもらっているし、次回予定もすでに決まった。

お連れしたファニチャーブランドの10万の椅子を柿次郎さんがネオ浪費してくれたりもした 笑(他にもたくさんありまくったけど、それらはイベントレポートをお楽しみに!)

今回はイベント自体はもちろんだけど、その後の波及効果まで含めたものが一つのパッケージ。

行程が終了したこれからもまだまだチャレンジは続いている。

無報酬でも、初めての体験でも、ダメ出しされようと、地域に必要だと思ったから、やった。

もちろんこれでいいと思っているわけでも満足しているわけでもない。いただいたご指摘やアドバイスは真摯に受け止める。

そしてもし次に開催する時には今回の反省を踏まえて、絶対にクオリティを上げて開催する。
ダサくても地べた這いつくばっても泥水すすってもイケてることやるためにやり続ける。

それがやりっぱなしじゃない、やり続けることの本当の意味だ。


ーーーそして、これはものすごく私物化してしまった成功体験なのだけれど、自分が一年半前ほどに柿次郎さんと小林くんにはじめてお会いし、お別れした時の一言を今も忘れない。もしかしたら社交辞令的に言ってくれた何気ない一言だったかもしれないけれど。

「この人は、きっとまた呼んでくれる」

おれはちゃんとメイクしたぜ。

この圧倒的な当事者意識のみを持って、これからもやり続けていく。これはおれがくたばるのが先かやり続けていけるのかが先かの話。

だからチャンスを、仕事をおれにくれ!おれが任せたらやる男だとそろそろ信用してくれ!

そして、ちゃんとこの先を創らせてくれ!じゃないといなくなっちゃうからな、バーカ!


きっと大丈夫。おれはやるぞー みんなも一緒にやり続けよう!


追伸

今回のエントリのパワーワード「圧倒的当事者意識」は三重県尾鷲市、夢古道おわせの伊東さんとの会話からサンプリングしました!

リスペクトを込めてソースをあかす。伊東さん、ありがとうございました〜! 尾鷲、また遊びに行きたいなあ。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

11

中西 拓郎

SUPPORT YOUR LOCAL

北海道の東側ローカルのはなし
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。