見出し画像

Art is Long

1970年代前半、私の通う小学校で低学年は担任の先生が全教科を教え、高学年は理科や図工など専門性の高い科目を担任とは別の専科の先生が担当した。
図工のK先生の思い出を書いてみたい。

卒業して20年以上経ったある日、新聞で先生の作品展があるとの記事を見つけ、O公園近くの画廊喫茶に足を運んだことがある。子どもたちの豊かな表情や美しい色の植物を描いた作品はたいへん懐かしく、小学生時代を思い出した。
先生は在廊されておらずお会いできなかったが、プロフィールは「画家」とあり作品の数も多い。作品展を知る前は、ずっと先生をされていると思っていた。先生は何年間ぐらいされていたのだろう。学校で教わることができたのは贅沢な経験だ。

K先生からは他の先生と比べ、自由で伸びやかな空気を感じた。お母さん世代の皆がかけるパーマではなく、ストレートで短く揃えた髪型からもそれは伝わった。図工という創造性の高い教科に加え、横並びでも上下関係に気を使いそうな学年担任とは独立した立場のせいだったかも知れない。しかし一番大きなポイントは「図工室」という専用の世界があったことだと思う。図工室に移ると、私たちも気持ちが切り替わり、普段の教室の暗黙のルールから解き放たれた。

鮮明に覚えていることが三つある。

最初は「おりがみといろがみは違う」ということだ。
子どもは幼少から折り紙をして遊ぶ。だから「ちぎり絵」や「切り絵」を作るための素材として配られた、色のついた長方形の紙もなにげなく「折り紙」と呼んだ。
しかし先生は「正方形の、折り紙を作るための紙がおりがみ、これはいろがみ」という。誰かが「おりがみ」というと遠くからでも気づいて「いろがみ」と訂正する。「まあ通じればよい」のではなく、言葉の定義は正しくとらえなければいけないと学んだ。名前と本質をしっかりつかむこと、この意識は今の職業にもたいへん役に立っている。

次は「線を引くときに定規を使わない」こと。
「まっすぐに引く」よりフリーハンドで書いたほうが「味が出る」。確かに、図工室の壁に貼られた先生作のポスターはフリーハンドの線がふんだんに引かれ、見ているだけでわくわくした。
自分用に書くものなら今でも定規を使わないようにしているのはこの時の教えが大いに影響している。定規とフリーハンドでは、引かれた線の見た目だけでなく、引くときの気持ちが異なる。正確さと味わいを使い分けている。

三つめは「顔の色に使う絵の具」のこと。
「みんな、顔は何色の絵の具を使いますか」
ーはだいろ!(当時はあった)
「では、はだいろを使わないで描きましょう」
ー?!
「はだいろが絵の具に入っていない人はどの絵の具を使いますか」
ー朱色と白を混ぜます
「では、朱色も白も使わずに描きましょう」
ーええっ?どうしよう!

ここからは皆、懸命に考え、いつもは顔に使わないような絵の具も駆使して個性的な絵を完成。
さまざまな色を使い筆先を変化させ、表情も立体的な、「ぬり絵」ではない作品になったと記憶している。

これらが「習ったこと」で覚えている三つである。振り返ると、先生の授業は単に好きなように絵を描くのではなく、当たり前に使う手段を封印して他の道を探す訓練のようでもあり、皆が真剣だった。

授業から離れて思い出をもう一つ。先生は図工室の窓辺に小さな鉢植えをたくさん育て、鉢には手書きで植物の名を書いた札がさしてあった。紫の房の立ち上がる花の名「ぶどうムスカリ」というのもここで初めて知った。授業の始まる前など先生が花を慈しみ対話するように水やりをされる姿が窓からさしこむ陽射しとともによみがえる。

最近「経営とアート」など、ビジネスパーソンにもアートの素養やアートからのアプローチが必要だとの意見をよく聞く。そもそも「アート」とは? 人に語れる言葉を持っていないが、「生きる術」と解釈するなら、小学校時代の経験はアートと大きく関わっていたのではないかと感じている。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?