夢から醒めて

想像することもまた、私の1つの趣味だと思う。
小学4年生くらいまで、急に作業を止めて想像の世界に入ってしまうことが度々あり、また妄想してるの、よく母に揶揄されていた。私はその度に、空想だよ、と訂正した。空想という言葉は好きだ。非現実的なことばかり想像する私にぴったりな言葉だったし、「空」という漢字が可愛らしくて気に入っていたから。実際、調べてみると、空想は云わばファンタジーの世界を思い描くこと、妄想は根拠のないことが現実に起きている、または起こると確信しその考えから抜け出せなくなること、とあるので、私のはまさに空想であった。もっと早く辞書をひいていれば母親に何度も「妄想」とからかわれずに済んだかもしれない。

私の空想の世界には、いつも魔女が現れた。誰よりも強く、優しくて美しい彼女は、私と同じ顔をしていたが私ではなかった。なりたくてなれなかった私の姿だったのだと今になっては思う。高校生になった現在でも、魔女に強い憧れを持ち続けているのは、この印象を引きずり、「魔女」という単語が私の中で理想像の代名詞となっているからかもしれない。

魔女と会うのは、決まって午後8時、布団に潜り込んでからだった。眠りにつくまでぎゅっと目を瞑り、魔女の容姿や使える魔法を細かく設定し、旅をする彼女を見つめていた。星の散りばめられた夜空みたいなワンピース、真っ黒のサテンのリボン、天色のペンダント、空を飛ぶためのホウキは絶対条件。あとはその日の世界に合わせて、お友達の白猫やとんがり帽子なんかを登場させた。魔女はいつも、綺麗な長い髪の毛を風になびかせて空を飛ぶ。雲の近くから街を一瞥し、空へ向かってくるりくるりと飛んでいた。

1日が終わる直前に布団に入る私の世界には、もう魔女はいない。きらきらでもメルヘンでもない、現実的だけど不可解なことばかり起きる、今の私の世界には。ここにはいるのは、いつもの私だ。夢見る少女だった頃よりは強くて優しくて美しい自分。ふりふりのショッキングピンクのシャツやスカートじゃなくて、レースのついた黒いワンピースや水色のニットを着るようになって、言うべきことは言えるようになり、少し我が儘だけど人から愛されるようになって、自信をもって自分を可愛いと言い切れるようになった私は、まだ魔女になれていない。でもあと少しだと思う。もう少しでなれると信じ、それをエネルギーに毎日頑張っている。魔女が「理想像」ではなく「私」の代名詞になる日は近いはずだ。

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