大事なことはすべてBUMP OF CHICKENが教えてくれた~ガラスの眼をしたネコの不気味さ~

  「ガラスのブルース」といえば、BUMP OF CHICKENの初期作品のひとつで、アンセムと言ってもいい曲だと思います。

 曲の内容はとてもポジティブで、僕らを鼓舞してくれます。ざっくりと歌詞のストーリーを言えば、「ガラスの眼をしたネコが命の限り歌い続け、その果てに命を落としてしまう。そして、みんながそのネコのことを思って、ガラスのブルースを空に向かって歌う」というものです。

 この曲は、「ガラスの眼をしたネコの生き様を、藤原さん自身の生き様と重ねたものだ」と言えると思います。「ガラスの眼をしたネコ=藤原さん」です。

 しかし、「ガラスの眼をしたネコ=藤原さん」だとは言えない部分があるのではないでしょうか。それはガラスの眼をしたネコの不気味さとして現れてくるはずです。

 ここでいったん話題を「ガラスの眼」に移したい思います。タイトルが「ガラスのブルース」とある通り、「ガラス」がこの曲のキーワードになっています。別に「ネコのブルース」でもいいわけだし。

 というわけで、「ガラスの眼とは、どういうことを意味しているのでしょうか?

 「ガラスのような眼だね」という表現は、次の二種類の意味があるのではないでしょうか。

曇りのない眼。まっすぐな性格を表現している。

無機質な眼。何を考えているかわからないことを表現している。

 この曲のポジティブな面を考えると、前者の曇りのない眼の側面が大事になってくるような気がしますが、後者の無機質な眼という側面も確実にあるはずです。いや、どちらかといえば、両者は表裏一体といえるのではないでしょうか。

 先ほど、ガラスの眼をしたネコの不気味さを指摘しましたが、それはまさに「無機質な眼」から導き出すことができます。

 ここで歌詞の一節を引用します。

「生まれてきたことに意味があるのサ
1秒も無駄にしちゃいけないよ 
嵐が来ようが 雨が降ろうが
いつでもFULLPOWERで
空を見上げて笑い飛ばしてやる!!」

 これはポジティブな意思を感じる一節で、まさに透き通った眼の側面が表現されていると思います。

 しかしこれを反転して、無機質な眼の側面を強調することもできるはずです。ガラスの眼をしたネコは、なんで上のようなメッセージを送るのでしょうか。それはこのメッセージの受け手が、まったくの正反対な状態にあるからではないでしょうか。その正反対な状態を表現してみると、

生まれてきたことに意味なんてないさ
僕は人生を無駄に過ごしている
嵐が来たり雨が降ったりしたらなおさらだ
いつも通り落ち込んで
暗い部屋に閉じこもって泣いてしまおう

という風になるはずです。あまりにも悲観的に書きすぎたような気もしますが、「太陽」などに通じるネガティブさをここに感じ取ることができると思います。

 もし僕らが上のような状態のときは、どうされたいでしょうか。「大丈夫だよ」って慰めの言葉を期待するでしょう。慰めてくれる人の目は、きっと暖かい目をしているでしょう。

 しかしガラスの眼をしたネコこう言うはずです。「いつでも全力で歌い続けろ」と。無機質な眼には同情の言葉は似合いません。

 少し露悪的に書きすぎた気もしますが、そういう風な読み取りも可能ではないでしょうか。

 ガラスの眼をしたネコはなんで歌い続けるのでしょうか。お金のため?地位のため?名声のため?すべて違うでしょう。なんのためでもなく「ただ歌い続けている」のです。この姿はある意味では不気味と言えないでしょうか。

 もしあなたの周りに、自分がどれだけ貧乏になろうとも、なんの見返るも求めずに他人にお金をあげ続ける人がいるとしたら、どう感じるでしょう。お金をもらえる人からしたら得しかありませんが、なんでその人がお金をあげているのかが分からず、不気味さを感じるのではないでしょうか。

 何の得もないのに行動する人に、人は不気味さを感じるものです。

 ガラスの眼をしたネコにも似たような不気味さがつきまとうのではないでしょうか。観客の拍手や声援がなくとも、ガラスの眼をしたネコは歌い続けていることでしょう。

 果たしてこんなことを真似できるでしょうか。たとえファンがいなくて、お金ももらえない状態でも、人間は歌い続けることができるでしょうか。いや、なかなか厳しいでしょう。BUMP OF CHICKENはたくさんのファンに愛されるバンドへと成長しました。しかし、もしファンもいなく、極貧生活を強いられる状態になったとしましょう。そんな状態でガラスの眼をしたネコに「どうしたらいいか」と相談を持ちかけたら、どう答えるでしょうか。「僕も観客がいなかろうが歌い続けてきた。だから、君たちも歌い続けて」と言うでしょう。ガラスのような無機質な眼をして。このネコに対して不気味さを感じても、何の不思議もないでしょう。

 これは藤原さんの二側面の分裂だと言えると思います。一つの側面は、これからロックバンドとして一生歌を歌い続けようという強さの側面。もう一つの側面は、人生の無意味さを嘆く弱さの側面。藤原さんは第一の側面をネコに託したのではないかと思います。そういう意味では、「ガラスの眼をしたネコ=藤原さん」です。しかし、第二の側面が強調されて人生の無意味さを嘆く瞬間、ネコは不気味な他者になり、「ガラスの眼をしたネコ≠藤原さん」となってしまうのです。

 ネコの言葉は、きっと藤原さんを長い間鼓舞し続けたと思います。しかし同時に、その言葉は藤原さんを苦しめもしたのではないでしょうか。

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