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時速285km

この世界は時速285キロメートルで進んでいる。そんなこの世界は、たくさんの無責任で溢れかえっているのだ。例えば「ダンスの練習禁止」の看板の上に書かれた落書きとか、誰も管理していない伸びきった草とか、そのままにされた犬の糞とか。そんな無造作に街に置かれた無責任を見ていると、新幹線に乗った時のある出来事を思い出した。
東京行きのぞみ203号。発車のベルと共に乗車してきた汗だくのおじさんの手にはスターバックスのコーヒー。荷物が多すぎるせいでコーヒーへの注意は散漫している。そんなおじさんが席につこうとした時、コーヒーが手から滑り落ち、隣の強面なおじさんはスターバックスのコーヒーの香りに包まれた。3号者にいる全員の視線が一瞬コーヒーに集まったが、すぐにその視線の向く先は様々な方向に散らばった。強面のおじさんでさえ、汗だくのおじさんが、謝りながら自分の服を拭いているのをただじーっと見ているだけだった。私もイヤホンから流れるJUDY AND MARYをただぼんやり聞き流すだけ。誰一人として3号者に充満したコーヒー臭をどうにかしようとする人はいなかった。あの時、3号車の中で無責任じゃなかったのは時速285kmで走る新幹線と、その速さに置いていかれるように流れ続けるコーヒーだけだった。
そんな事を思いだしていると、ぺちゃんこに踏みつけられたボールが砂にまみれて横たわっているのを見つけた。ああ、今この世界で唯一無責任じゃないのは、命すら持たないこのボールなのかもしれないなと思っていると、その先の花壇の伸びきった草に水やりをするおじいさんが見えた。
#エッセイ #毎日 #上京 #東京 #花 #ボール #新幹線

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