ことばにしてはいけない

ひどく寒い。そんな、冬を少しだけ先取りしたかのような10月の夜だ。私は体にぴったりと寄り添う薄地のカーディガンを着て、煙草に火をつける。火は、部屋の中でつけた。そのまま窓を開けてベランダに移動すると、チカチカと街の光が目にちらついた。 星は見えない。見えるのは、人口的な光だ。そのせわしなく動く光たちを目で追いながら、深くため息をついた。煙が体を燻る。
一昨日、初めて飲んだ男を思い出す。彼はにこにこと笑いながら、とある人について語っていた。揶揄うように、どこか愛おしそうに、私の知らない彼の友人の話を。しかし彼は言ったのだ、死ねばいいのに。とあんな奴、死ねばいいのに。そして笑う。貶すことに愛があるのだという。心から好きにならなければこんなことは言わないという。私は、お酒を飲む手を止めて、たまらず、人前では吸わないと、決めていた煙草に、手を伸ばしてしまった。 男はそんな私を、じとり、と、にやり、として横から覗く。煙草、吸うんだね。いいね。かっこいい女は好きだよ。そう、言う。つけたばかりの煙草を乱暴に灰皿に押し付ける。私は席を立った。ごめんなさい、そろそろ時間が。それだけ言い残すと、お金を置いて、街の光へ身を潜めた。
ぼうっと、もう一度眼下に広がる光に煙を吐いた。煙は一度下に沈んだかと思ったが、そのままゆらゆらと私の頭上へ広がりなおす。‐‐‐例えば、彼と何かが始まったとして。彼はいずれ、私の死を望むのだろう。それが冗談だったとして、言葉に出してしまったなら、いけないのだ。心から好いている相手に、何をしてもいいと思える相手に、死を願われてしまったなら、私はどうするのだろう。 人の言葉は恐ろしい。私は、まだ、自分の言葉を使いこなせていない。だというのに、あの人は、人の生死を左右させる言葉を、使うことができるのだ。あぁ、なんて恐ろしい。 最後に一度だけ、深く煙草を吸うと、同じように深くため息を吐く。今までよりより一層多くの煙が私の身を掠り、消えていく。この煙のように、言葉もすぐに消えてしまう、そんなものであればよかったのになあ。そんなことを思いながら、私は声には出さなかった。

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