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10月ハマったものの話

こんばんは。
安物買いが止まらない病を抱えて、はや幾数年。
特に2023年は、毎月どハマりするものが変わって、お金をぶちこむ対象が月によって変わり続けてきました。

さて今月10月は、何にハマったかと言いますと。
「怖い話」でございます。


怖い話祭り

Amazonで怖い話(マンガ)の扉を開き、延々と読み続けるという日々を送っておりました。
もちろんお金払って買ってますから、今月のお金の行き先は、漫画本(電子書籍)です。

基本的に、私は、いわゆる「実話系、体験系怖い話」や、「怖かったり、グロテスクな図像で恐怖心を味わうための話」(梅図かずおとか伊藤潤二とか)を、読まないし、買わないし、電子だろうが書籍だろうが手元に置きません。なんか怖いからです。
師匠シリーズとか、呪術廻戦とか、明らかに創作で、バトルやミステリー要素があったり、キャラクター性に軸があるものなら買います。

しかし今月は、その自分との約束を破り、「実話系、体験系怖い話」のマンガを読んで、あろうことか、買うまでしてしまいました。

なぜなら、バトル的でミステリ的で、キャラクター性があったからです。
キャラクターに惹かれてしまうと、これはもはや「推し」なので、その人のことを知りたい!となってしまうのは無理からぬこと。
その人が出てくるマンガや本、順番に読みたい!モードになってしまって、どんどん小銭が出てゆきます。

おすすめ怖い話(実話系)

基本、朝日新聞出版なんですよね。
キャラクターがしっかり立ってて、もはや私の「推し」です。

①玲子さんシリーズ

マンガを読んだら、「これって霊の影響かも!」とか、「家系の因縁かも!」とか、「生き霊かも!」「ケモノ憑きかも!」とか、思っちゃう人も中にはいるでしょう。
本当はそうじゃないのに、「これは心霊のせいだ!」という思い込みから目を覚まさせ、現実的な対応が必要だと諭したり、霊能詐欺と言いますか、宗教勧誘や霊感商法にあっさり騙されてしまう人をしっかり叱ったりします。

しかし、連続する大きな不幸や身近な人の死や、神も仏もないような絶望を長く深く味わったら、わかりません。

自分や大切な人の、外側の何かに罪や原因をなすりつけないことには生きてはいかれないでしょうし、
詐欺系の宗教とか、詐欺霊能者の言葉やモノですら救いになってしまうだろうことも分ります。
それでも、自分の幸せを諦めず、目に見える現実をしかと生きねばならぬ、と身の引き締まる思いです。

②視っちゃんシリーズ

ただのちょっと見える子だったのが、だんだんできることわかることが増えていく。途中から、玲子さんのお弟子さんというかパートナー的になっていく。
成長感があっていいね!

③斎さんシリーズ

すでにお亡くなりになられた方です。
わたし的には、別格のパワーを持ってるような印象です。カッコいい!
繋がるのも、神や仏は言うまでもなく、さらにもっと上の、観察者的な大いなる存在の助けも得られるみたいなイメージ。
「ケンカ強い奴は力でねじ伏せるから戦略をあんまり練らない」、みたいなイメージです。

④詩乃さんシリーズ

⑤沙弓ちゃんシリーズ

玲子さんのお弟子さん的なパートナー的な。

死んだらどうなるのか

おかげさまで(?)、唯物論的思考気味だった私の、世界の捉え方が少し変わってきたように思います。

今までは、「死んだら全てそこで終わり。分子となって消える。霊魂もない。ご先祖様も神様も仏様もいない。全ては無に帰る。」という考えを、本音では思ってて、だからこその希死念慮みたいなのがあったし、破滅的な思考や言動も、バチ当たりも怖くないところが多分にありました。

どうせ消えるのなら、細く短くでいいす、とずっと思ってました。
スピリチュアルな自己啓発を読んでも、この本音はずっとテコでも動かず心の底に居座ってました。

だって、「死んだら無」でなきゃ困るもん。
どんな悪行も、後ろめたい行為も、お天道様に顔負けできないことも、死んだら御破産になってくれないと困りますもん。

しかしここにきて、もしかしたら、死んでも「わたし」は続くのかもしれない、という可能性が出てきました。

命が終わる瞬間の辛さや苦しさも、死んで分子や原子になって霧散するわけじゃなくて、その感情ごと、別次元の存在として残されるかもしれない。
Photoshopで言うたら、通常モードだったものが、死ぬことで乗算やオーバーレイやらスクリーンやらになって、別の形で普通レイヤーにかかってくる存在になるみたいな。
色や光の組み合わせによって、見えたり見えなかったり。いずれにしても存在して何かには影響を与えているし、受けている、みたいな。

そして肉体がないから、成長とかがない。
なんか不幸なきっかけで、そのままそこに縫い止められることとかもあるかもしれない。
なんなら、自分が死んだことすら気づかないで、わたしが非常に恐れてる「見ず知らずの他人に迷惑をかける」を死してなおやってまう可能性のルートがあるだと? と、なっています。

それがマジだとすると、生き方が大きく変わってきます。
後悔や執着のない生き方とか、人や現象を恨まない生き方とか、プレイ難易度ハードコアな生き方を選ぶしかなくないですか。

だって難しいでしょ。
本当はほげほげになりたいけど努力できない・情けない自分なのに「後悔しない」とか、
あれも欲しい、これも欲しい、あれもこれも足りない満たされない、って思ってるのに執着を捨てるのは。
わたしが不幸なのはあいつのせいだ会社のせいだ世の中のせいだ時代のせいだ、と思ってるのに「恨まない」のは難しい。

たぶん、こういうことをずっと昔から説いてたのが、仏教とかなんでしょうね。だから良き行いをしなさいとか、布教しなさいとか、天国に行けるようにホニャララしなさいとか。
他の宗教では、今のわたしのような唯物論的に、死んだら無になる、と言っているのかもしれません。

どの宗教かとか何を信じるかとかは関係なく、おのれの魂を裏切らずに善く生きる、が、今のところわたしの中のベストプラクティスです。実践できるかどうかは置いておいて。

魂を裏切る決断は毎日何度も犯してるけど、善く生きる、については、マァやろうと思えば少しはできてるんじゃないかな。
ただし、「善く」と、「自己犠牲や我慢しすぎること」、を混同すると、無意識に恨みを生成してます、ワタシャ。
だから同時に、バランス感覚を養い、心地いい自分のままで社会と調和して生きる、をやらなきゃならない。

やっぱ難易度たけぇわ。
だから、死んだら終わる、と思いたいんですよ。


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