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世界が明日もし終わるなら

100万円あったら何をする?とか、死ぬ前になんでも好きなものを食べるとしたら何を食べたい?、みたいな、答えによって自分の人間性を推し測られそうな、浮世離れした質問をされると、変なところで真面目な性分が災いして、体がしばし硬直する。でも、「世界が明日もし終わるならどうする?」という質問だけは別で、「背中にタトゥーを入れる」と即答できる。羽の絵を入れるのだ、天使の羽の。 コットンとかリネンの黒いワンピースが似合う、チューリップを逆さまにしたような可愛いショートカットのアベさんの

    • ■おばあちゃん 祖母の誕生日から二日ほど過ぎた晩、夢で久しぶりに祖母と会えた。 どこか自分の部屋に似ていて、でも自分の部屋よりもはるかに地上から高い場所にあるマンションのような一室で祖母と久しぶりに会う。 夢の中でも私は祖母が死んでしまったことをきちんとわかっていて、祖母も自分が死んでいるというのをわかった上でにこにこしていた。 祖母が座った隣に腰かけ、私はお葬式の時と同じくらい泣いていた。祖母がいなくなってしまった事実は十分受け止めているし、そのことで立ち直れないと

      • 逃げられないという当たり前のこと

        人生の転機というものを書きだすなら間違いなく一人でアメリカに行ったことを挙げる その頃の私は自分のことも、自分の置かれている状況も、何もかもいやでいやでしょうがなかった 失恋して辛かったしそのような状況を招いた自分の行動や浅はかさが憎たらしくて仕方なかった その一方で誰かに強く自分自身を認め、愛してもらい、支えてもらいたかった 誰かに愛してもらうに足る自分になりたくて、浅はかで愚かな自分を変えたくて 毎晩一生懸命英語を勉強して、数式を書きなぐったりしていた アメリカに行

        • 初夢の話

          眠っているのか起きているのかよくわからないそんな頭の状態で初夢を見た. 草の生えた丘を這っていた気がする. そばをうりぼうの群れが走っていった. 丘を越えず、下る方に体が導かれるとそこに古びた東屋があった. 東屋の4本の柱の1本の根元にやせ細った老人が体育座りをしていた. 死んではいないけれど生気も感じられない. なぜか、その老人のことをお坊さんだと思った. 激しい人生を生き抜いた人に向ける尊敬をその躯のような体に覚えた. 同時にどうしてそんなになるまで…、どうしてこん

        世界が明日もし終わるなら

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        • 日記
          14本
        • 映画について
          4本

        記事

          「そこ」

          おばあちゃんがこの世を去ってから半年くらいたった 死んだらそこで終わりなんかじゃないという気持ちがどんどん強くなっていく. おばあちゃんは確かに亡くなってもう肉体はないのだけど、 おばあちゃんから譲り受けた腕時計やサングラスやスカーフなんかを身に着けていると 不思議と、おばあちゃんが「そこ」にいてくれている気がする. 「そこ」というのは具体的な場所のことじゃない. 一人で部屋にいるとたまに甘い香りがした. きれいに咲いている花に顔を近づけたときや、よいお香をたいた時なんか

          「そこ」

          砂嵐

          わたしは村上春樹の海辺のカフカの冒頭に出てくる砂嵐の話が好き 「ある場合には運命というのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている.君はそれを避けようと足取りを変える.そうすると嵐も君に合わせるように足取りを変える.」 「それが繰り返される.なぜかと言えば,その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な何かじゃないからだ.そいつはつまり君自身のことなんだ.君の中にある何かなんだ.」 「だから君にできることといえばあきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ,砂が入らないよ

          日記:稲荷ずしを作る

          いっぺんにたくさん炊いて保存していた白米が全く消化できないでいたので 稲荷ずしを作ることにした. 本当は炊き立てのご飯で酢飯を作ったほうがいいんだろうけど気にしない. 最近は良い世の中だ.かんたん酢なんてものが売っていてこれをご飯に混ぜればそれこそ簡単に酢飯ができあがる. 薄く輪切りにしたきゅうりに塩をふってよく絞る. ピンク色の新ショウガは薄切りにしておく. 2合分のご飯をレンジで温めてかんたん酢を加えて混ぜる. あらかた混ざったところで塩もみしたきゅうりとピンク色の

          日記:稲荷ずしを作る

          もうMDは聞けない

          亡くなったじいちゃんの家を漁って、ようやく目当てのMDを見つけた。 なのに、だのに、もうMDを聞く媒体がない。 じいちゃんは眠る前に大好きなクラシックを聴いていた。 私と兄貴が二人で泊まりに来た時にも欠かさなかった。 ガチャガチャと小気味よい音を立てながらMDやカセットテープをラジカセが吸い込まれていき、明るい音色が暗闇の中に充満する。 流れなければ流れないで別にどうということもない。 でもクラシックギターの明るい音色が満ちた暗闇の中では、いつも恐れていた宇宙人、殺人鬼や

          もうMDは聞けない

          今もそこら中に吐き戻されたパイがある

          「泣いていないこと」と「悲しんでいないこと」「悲しみが癒えたこと」が一緒じゃないとはっきり気付きだす。 3年位前に「A Ghost story」という映画を見た。 ホラー映画ではない、というのは、パッケージからうかがえた。 シュールなゴーストの外見がどんと中央に据えられいて愛らしさと切なさを感じる。 淡々と進んでいくストーリー。寂しい景色。孤独、愛情、哀切。 オバケになってしまった夫、その存在に気づくことのない妻。 一番強く記憶に残っているのは「パイのシーン」。 映画を見

          今もそこら中に吐き戻されたパイがある

          母語ゆえの不自由さ

          「砂漠が街に入り込んだ日(グカ・ハン)」を読んだ。 ここ数年、作者の母語じゃない言語で執筆された小説に惹かれる。 多和田葉子がわざわざドイツ語で書いた小説を読んだ。 「白い紙/サラム(ネザマフィ)」もそうだった。 こういう小説は静かだ。 静かな風景の描写があるわけではない。 読んでるわたしの心が静かになる。 乾いた、とか、淡々と、とか、幾つかバリエーションがあれどどれもきっとわたしが感じてることに近い。 読んでいて心地よい、肉迫してこない、厚みのない平面 村上春樹の書く

          母語ゆえの不自由さ

          じいちゃんが死んでしまった

          いよいよじいちゃんが死んでしまった。 人生に訪れるのは「急なピンチ」ではなく、「穏やかな低退」といってたのはどの漫画の主人公だっただろうか。 そういう言葉を思い出したり、「いよいよ」という言葉を使ってしまうくらい長い時間をかけてじいちゃんは生きることを静かに止めていった。 じいちゃんが私を忘れたのはもう大分昔のことだ。 少年期の辛い時分、いつもおだやかにそこにいて、突然やってくる私たちに「おう、きたか」と声をかけてくれたじいちゃん。 孫の中でもいっとうなついていた兄貴のこと

          じいちゃんが死んでしまった

          ただしさ、出口のない円

          自分のしていることは正しいのだと頭の先から爪先まで微塵も疑っていないひとと衝突した。 大変に疲れた。 実際その人のやったことは、正しいか、正しくないかでいえば正しいし、 その態度は、ルールというものを遵守しようとする高潔なものだと思う。 ただ私は、彼のその姿勢・言動のあまりの正しさに追い詰められてしまう人がいるんじゃないかと、諸手を挙げて受け入れることができなかったのだ。 彼の発言に恥をかく人のことを思うと、まるで自分が傷つけられたかのように鼻の奥がうずいてしまったのだ。

          ただしさ、出口のない円

          日記: じいちゃんが眠っていた

          じいちゃんが私を忘れてから3年、意識を失ってから半年がたった。 硬直した手首を胸元にぴったりくっつけている姿はティラノサウルスみたいだった。 自力で閉じることのできない開けっ放しの口を覗き込むと、舌の上にからからに乾いた結晶塩のようなものがこびりついていた。 枕もとでクラシックギターの静かな曲を3曲流し病室を後にした。 流している間かちかちになってしまった右手をそっと撫でた。 もしかしたら、幸せな夢をずっと見ているのかもしれない。 少年の日に戻って母親のひざ元でまど

          日記: じいちゃんが眠っていた

          言葉の代わりに歌を

          学校が嫌いな高校生だった。 指折り数えて待った卒業のその日は解放感に包まれていた。 一言ずつみんなの前でお別れの言葉を、と言われ何人かの女子生徒が涙ぐみながら、時折言葉を詰まらせながら別れを述べた。 担任の教師が期待しているのは、おそらくそういう光景だったんだろうな。 「私は高校生活が苦痛でたまらなかった」という旨を図々しくも晴れの場ので表明した私は、どう映ったんだろうか。 やっとこの忌々しい環境から解放されるんだという思い、誰にも話せなかった「学校が苦痛だった」という思

          言葉の代わりに歌を

          日記:恋人たちの夢

          たちの悪い夢をみた。 細かい筋は覚えてないけど、10代の終わりから長いこと付き合っていた昔の恋人がでてきた。 恋人という言葉に漂う甘美な香りは夢の中の私たちの間にはない。 その人の隣で、今の恋人のことを思い出してひたすらに罪悪感を感じていた。 昔の恋人は相変わらず、自由気ままに寝ていた。 あれもしなくちゃこれもしなくちゃとせかせか動き回っていたあの頃の私はそういうのんきさにだいぶ救われていた。 甘美なものはなくても、ここには他の誰との間にもなかった心地のよさがある。私は、

          日記:恋人たちの夢

          独りで海を見たことがあるか

          25歳の春にとった写真と詩には満たないようなつぶやきをまとめます。 誰かと一緒に海を眺めることを幸福と呼ばずしてなんと呼ぶのか 木の陰に座っていろんなことを考えた。研究のこともそうでないことも。 『風は最も柔らかい化石、太古から吹く物語』、そう書いてる本が手元にあった。風が吹いてた。遠くのひだまりでまどろむ幸福そうな恋人たちの姿がすごく愛しかった。 今日のこの一時間のことはきっと死ぬまで忘れない。 誰かの楽しそうな声が聞こえる。 若い恋人たちがひだまりの中で寝転がってい

          独りで海を見たことがあるか