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18年越しのありがとう。大人気芸人さんへ

遡ること約20年前、わたしが中学生の頃、いわゆるお笑い第5世代(Wikipediaで調べた)でお笑いブームの全盛期でした。
当時はエンタの神様、爆笑オンエアバトル、爆笑レッドカーペットなど、とにかくお笑い芸人のネタ番組が多かった。
コント番組も多かったですよね。余談ですがわたしはコント番組だとメンBという番組が大好きだったけど、共感してもらえないことが多いです。

周りの友達がジャニーズにハマる中(時はKAT-TUN全盛期)、Myojoではなくお笑いポポロを読み、ゴールデンタイムのお笑い番組をくまなく視聴し、お笑いの魅力にズブズブ埋もれていきました。

特にエンタの神様が大好きで、毎週土曜の10時、リアルタイムで観ながら、同じくお笑い好きな友達と実況中継&感想を送り合ったあと、その日1番面白かったネタを録画で繰り返し何度も見ました。多分、今見ても冒頭でどのネタか大体分かると思う……。
当時、au同士で使えるサービスで、Cメールという今でいうショートメッセージみたいな1円でできるメールがあって、そのメールは受信・送信ボックスともに保存できる件数のマックスが50件だったんです。エンタの日は、放送1時間の間に受信も送信もその日送りあったメールでいっぱいになった。Cメールは100文字制限だったから、1つの感想を伝えるのに何通も送らないといけなくて。でもメールだとパケ代が高いので、頑なにCメール。パケ代って、どのくらいの年代までが知っている言葉なんだろう。
当時は今みたいにSNSでの情報収集はできなかったので、新聞や録画の番組説明で出演者をチェックして一喜一憂していました。ラテ欄も、もう死語なのかなぁ。

そのうち、周りの友達がKAT-TUNを生で見たい!と思うように、わたしも生でお笑いを見たい!と思うようになり、お笑い好きの友達とルミネtheよしもとに行きました。
初めてライブでお笑いを見た時は、誇張ではなく、本当に笑いすぎて涙が出た。特に感動したのが、こっちのリアクションに演者が反応してくれること。今までテレビに向かって一人で笑っているだけだったから、笑い声に反応してくれたり、はじめる前に会釈をしてくれたり。同じ世界線で生きている人がこんな面白いことをやってくれてるんだ、と思ったら、私ももっとその面白い世界に関わりたい、面白い人が作るお笑いの世界にもっと近づきたい!と思ってしまったのです。

当時中学生。お金もないし、異性に感じる「好き」ではなくリスペクトに近い「好き」だったので、追っかけをしたい!とは思わず、わたしが選んだ近づき方は「ラジオにメールを送って読んでもらうこと」でした。
熱意が伝わったのか、多少の嘘を織り交ぜた成果が出たのか、大好きな芸人さんのラジオでよく読まれるようになり、「あ、●●ちゃんね」と認知されたときは震えました。
あのまま頑張ってメールを送り続けていたら、ハガキ職人からの構成作家さんになれる未来も、めちゃくちゃ努力すればあったのかな、と思うと自分の継続力の無さに悲しくなります。完全にただの自慢なんですけど、よくある「ラジオで読まれるともらえるステッカー」みたいなやつ、当時友達にあげるくらいメール読まれてたんですよ。あげないでしょ普通!嬉しくて!でもあげてたの!もらいすぎて!感じ悪い13歳!

そんな中、事件が起きます。
なんとわたしの地元に、推しの芸人さんがロケに来たのです。

平日のド昼間だったので、わたしがそれを知る術はなかったのですが、当時の母の職場の方がたまたま発見し、「●●ちゃん好きでしょ?今ロケに来ているみたいよ!」と母に電話をくれたのです。日頃から娘の好きな芸人をシェアしてくれていた母に感謝。
とりあえず娘のためにサインを!と、画用紙を持って走り、緊張しながら彼らに声を掛けてくれた母。ボケの方に声をかけ「娘が大ファンなのでサインを書いてもらえますか?」と伝えると、わざわざ少し離れたところにいたツッコミの方を呼んでくれたとのこと。サインを書いてもらう間に、「娘がラジオを聞いていて、メールもたくさん読んでもらっていて、●●っていうんですけど」と話した母。当時絶対に忙しかっただろうに、ボケの方はそんな母の言葉をちゃんと聞き、少し考えてから思い出したように「あ〜●●ちゃんか。●●ちゃんのお母さんだって」と相方に言ってくれた、と母から聞き「そんなんもう一生応援するじゃん!!!!!」と大興奮したわたし。イチラジオリスナーのこと覚えててくれるの!
ラジオでお礼を伝えるか……いやもうこれは直接伝えたい……いやでもどうやって……?と思っていたある日、彼らが写真集の出版記念イベントを池袋で行うという情報を手に入れたのです。

とりあえず行こう。でも今までイベントに参加したことなんてないし、その場でお礼を伝えることなんてできるのかな?緊張して上手く話せないかもしれないし、上手く伝えられずに変な雰囲気になったら嫌だな……。
なんて思いながら迎えたイベント当日。とりあえず、サインを持っていくことだけ決めて、友達と緊張しながら並びました。ドキドキしながら自分の順番を待ち、遂にいつも見ている彼らが目の前に!
先にツッコミの方と話し、勇気を出してサインの話をしました。
「あの、いつもラジオ聴いてます。この前母がサインを貰いに行ってくれて…(サインを見せながら)これありがとうございました!」
「いつもありがとうございます!」
とても笑顔で対応してくれたけど、正直絶対に覚えてないな……という反応でした。子供ながらにすぐ分かってしまい、仕方ないけど切ない気持ちに。でも、一応もう1回伝えようと思い、意を決して同じことをボケの方にも伝えました。
「この前はサインをいただきありがとうございました」
すると、なんとなく思い出そうとしてくれているような、考えている様子で黙ってしまった。思い出してくれようとするのは嬉しいけど、考えさせちゃったせいで会話が続かない!失敗した!悲しい!もっと話したかった!
大好きな二人に会えた嬉しさはもちろんあったけど、どうしても残念な気持ちが勝ってしまう。去り際にイベントの行列を見て、こんなにたくさんの人に応援されている人気者だから仕方ないか、とトボトボ歩いていたその時。ボケの方がわたしの後ろ姿に向かってこう言ったのです。
「あー、▲▲▲(わたしの地元)の」
あ、思い出してくれたんだ。そう思ったら嬉しくて嬉しくて。正直、振り返ってからどうやってお礼を伝えたか忘れてしまった。でもその時、誤魔化さないで考えてくれたこと、ちゃんと思い出してくれたという事実は、わたしにとって一生忘れない嬉しい記憶となりました。

ここまで引っ張ることでもないけど、その芸人さんは当時はねトびはじめバラエティ番組で大活躍していたインパルス。色々あって二人でのネタを見る機会が減ってしまったけど、二人のコントの面白さったらとんでもない。今見ても、声出して笑っちゃう。本当に天才コンビの1組だと思います。単独ライブのDVDも、何回見たか分からないくらい最高だから。またお二人のコントを生で見られるといいな。

板倉俊之さん、あの時は母に、そして子供だったわたしに真摯な対応をしてくれて本当にありがとうございました。(もちろん堤下さんも)

これは5年前、実家でサインを見つけて家族に当時のエピソードトークを酔っ払いながらした後のわたし。26歳くらい。今はもう31歳です

#お笑い #お笑い芸人 #芸人 #インパルス #吉本


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