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世界を変えたのはいつも、音楽だった。ーー『ミュージカルと黒人差別』前編

お久しぶりです。noteのオススメに選ばれたことを理由に(?)焼肉を社長に奢ってもらったところ、書きたいネタはあるのにnoteに手が伸びなくなったクソ野郎ことN村です。
ご褒美目当てに書くと達成された途端書けなくなりますね。ンンっ……駄目人間。

と、ふざけた導入ですが、今回は多分真面目な話。いや、推しじゃない俳優がエロいって話も真面目なんだけど。
ミュージカルとか、エンターテインメント作品において、多分この先も永遠に大きなテーマになるであろう、差別の話。

差別と聞くと何が思いつくだろうか。
人種的なもの、セクシャル的なもの、あたりがメジャー(本来メジャーとかあってはいけないんだけど)だと思うんだけど、この辺りのものはよくミュージカルでもテーマになる。

2017年、わたしが観た作品の中で、差別がテーマの1つだった作品がいくつかあって、その中から2つ、人種差別を描いた作品についての話をしたい。

――もう2018年も終わるって言うのに、2017年の話である。時が経つのは早い。

演劇と黒人差別

さて、みなさんはブラックフェイス問題をご存知だろうか。
2017年の年末だったか、ガキ使スペシャルでダウンタウンの浜田雅功さんが顔を黒く塗るメイクでエディ・マーフィのモノマネをして話題になったのを覚えている方もいるかもしれない。

この、肌を黒く塗り、黒人の外見を真似ることというのは、全世界共通でタブーに近い。というかタブーである。

かつて、まだ黒人差別が常識のように欧米でまかり通っていた時代、ミンストレルショーというものがあった。
白人が顔を黒く塗り、当時言われていたような黒人のように振る舞うショーである。
黒人を差別したり馬鹿にして笑いものにするような内容だったそうだ。

さて、現代では当然黒人に限らず人種差別をすれば批判炎上待ったなしだし、批判や炎上されなくとも、してはいけないと思ってる人が大多数だ……と信じたい。
そして、それは演劇やエンターテインメントの世界でも当然そうなのである。

先に述べたミンストレルショーの影響もあって、ある人種を演じるならその人種の人が演じるべき、という考えが演劇の世界では広まったらしい。
要するに黒人の役は黒人が、アジア人の役はアジア人が、それぞれ演じるべきだーーーということである。
その考え自体は多分、かつて白人が黒人を侮辱するような形で演じたからで、ステレオタイプなイメージに囚われて変な風に演じられ、差別を助長するのを避けるためだ。

そのような流れから、黒人を演じるのに、黒人以外の人が顔を黒塗りにして演じる、というのは演劇やエンターテインメントの世界においてタブーとなった。

日本国内の演劇

欧米の国は歴史的要因から、多民族国家である。
いろんな人種の人間がたくさんいる。
その辺が日本より多様なのは当然なことである。
近年ではグローバル化も進んで海外の方も日本にたくさんいるけれど、日本国内ではどうしても日本人やアジア系の所謂黄色人種が多い。

さて、では日本国内の演劇では、いろいろな人種の役をどのように演じているのだろうか。

国内で上演する作品は当然国内の役者が演じていて、ほとんどが日本人の役者になることは想像に難くないだろう。
もちろんハーフの人、他国籍の人、たくさんいるけれど、一般的に。

で、昨年わたしが観たミュージカルの中で、黒人の登場人物がいた作品が2作品ある。ミュージカル「パレード」と「メンフィス」だ。

話の内容が違うから当たり前なんだけど、どちらも「黒人が差別されていた時代」の話でありながら、対照的な黒人の描かれ方をしていた。

ミュージカル「メンフィス」ーー黒人音楽を流行させた白人DJ

1950年代、アメリカのメンフィスで、黒人差別によりタブーとされていたブラックミュージックをラジオやテレビで紹介した実在の白人DJの反省を描いた作品。

日本に住んでいると、そこまで黒人差別…というものに対して意識を置くことは少ないと思うけれど、今からたった数十年前、デパートではブラックミュージックなんてかけられないし所謂白人がブラックミュージックを聴けば奇異な目で見られていたーーらしい。

わたしは実際そうだったことを見ていないから、「そんな音楽でガタガタ言われるの!?」という気持ちになるけど、実際そういうことはあったようだ。

DJのヒューイ(演:山本耕史)はブラックミュージックを広めるために、働いていたデパートやラジオ局で勝手にブラックミュージックをかけていく。
もちろん、"普通の"大人達には怒られるんだけど、そこで初めてブラックミュージックを聴いた若者たちはそのかっこよさにどんどん気づいていく。

ラジオで流れたことでブラックミュージックの人気が出たことで、ラジオ局はヒューイをDJにし、さらにヒューイと知り合った黒人女性フェリシア(演:濱田めぐみ)は夢だった歌手としての成功への道を歩き出す。

メンフィスの中で、黒人を演じているのは基本的に日本人(1人だけ、ヒロイン・フェリシアの兄を黒人演歌歌手のジェロが演じているが)だ。

それ以外の黒人役は全員多分日本出身の日本人である。
そして、全員がタブーである"黒塗り"をしている。

わたしがこの作品を観たとき、偶然にもアフタートークがついている回で、その黒塗りについて役者たちが話していた。

「黒塗りをするかは迷ったけれど、黒人差別がひとつのテーマで、実際にそれがあった時代を描くために、やることを決めた」(大意)

※1年前の記憶なので若干違うと思うけどこんな感じ

「黒人の方のめちゃくちゃかっこいい肌の質感を出すために、ゴールドのパールを入れたり、ファンデーションにこだわった」

彼らの表現にはどこまでもリスペクトが感じられた。

まとめーー表現を差別たらしめるもの

あってはいけないことだったけど、差別は実際に存在して、日本のような多民族国家ではないような国において、あの作品をやる時に、白人役と黒人役になんの違いもなかったら、「肌の色の違い」ただそれだけで差別され、理解を得られず、そんな彼らの苦しみが、わたしたちにどれだけ伝わったのだろうか。

ミンストレルショーのように、差別しようとするものが使うからこそ差別になりうるんだというのをわたしは感じている。

このミュージカルのポスターに書いてあったコピーが、わたしはずっと心に残ってる。

世界を変えたのはいつも、音楽だった

あるワンシーンで、街だったか公園だったかーー白人の若者たちと黒人の若者たちが大勢登場する。

流れる音楽。
踊り出す若者たち。

最初は肌の色で分かれて踊っていた彼らが、次第に、そんなもの関係なく踊り出す。

あの瞬間、彼らの世界は変わったのだ。

世界を変えたのはいつも、音楽だった。

次回予告『ミュージカルと黒人差別』後編

1本で書く予定だったけどほぼ半年くらいかけてこれを書いたので、残りは後編として後日公開します。多分。がんばる。むりかも。

次回は黒人差別と南北戦争後の反ユダヤ主義について。
メンフィスの時代よりも40年ほど前に実際に起きた冤罪事件「レオフランク事件」を元にしたミュージカル「パレード」の話。

一応表現とか書き方には注意を払ったつもりなんですが、もし何かあれば遠慮なくご指摘くださいませ。

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