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どこだれ⑯ 蚕に教わったこと


今年も蚕を飼っている。
昨年「かいころく」という養蚕にまつわる演劇を作り、長野県の大桑村と兵庫県の豊岡で上演した。その脚本を書く際に、蚕の生態をこの目で見たいと思い、自宅で飼ってみたのだ。その子たちが産み残した卵を保管していたら、今年は春先に急にあたたかくなったのもあり、わらわらとあっという間に孵ってしまった。昨年は、最後の脱皮を終えそこそこ成長した状態の蚕を飼った。夏だったので人間が寒く感じるほどの温度設定にして飼育した覚えがある。今年は種から、春の蚕、いわゆる「春蚕(はるご)」を育てることになった。

「蚕種(さんしゅ)」といわれる蚕のたまごは黒々として植物の種のようで、昔は蚕種だと偽って植物の種を売りつける詐欺もあったらしい。それほど小さく、本当にこの中から蚕が出てくるのか冬を越すまでずっと疑問だったのだが、ある日覗くと、欠けたシャーペンの芯さながらの小さな黒い線が動いているのが見えた。…孵ってる!
動きやすい場所に移し、人口飼料を与えてるとパクパク食べ、ぎりぎり見えるくらいの小さな糞をする。脱皮を繰り返すたびに身体は黒色からしろ色に変化していった。芽吹き始めた桑の葉を与えると食欲はますます増し、ぷくぷくと太っていく。
虫嫌いなひとには理解されないと思いつつも、蚕の名誉のためによくこんなことを話す。蚕は本当に害がない虫で、刺さないし、噛まないし、動きがゆっくりしている。しろい身体はふわふわもちもちで、ひんやり冷たい。持ち上げると「うわ~」と言うようにゆっくりと身体をのけぞらせる。足先は吸盤のようになっており、人間の指や桑の葉をきゅっとつかむ。食べ物でいうとマシュマロか雪見だいふくといったところだ。
その「飼いやすさ」=「人間にとっての都合のよさ」がこれまで人類が蚕に行ってきた品種改良のたまものだということもまた、複雑な思いを抱かせる。

去年は繭になってから蛹を取り出し、カイコガになるまで世話をした。交尾をして寿命を全うするまで見守った。「今年もきっと立派なカイコガになってほしい」と世話をし続け、数頭が先駆けて繭になっていくのを見ながらわくわくしていた矢先、事態は急変した。
突如、蚕たちの中に病気が発生したのだ。昨日まで元気だった蚕が急に桑の葉を食べなくなり、動きが鈍くなる。身体が徐々に黒ずんで、そのままぱったりと死んでしまった。調べたところ、繭をつくるための糸を吐けなくなる病気らしい。
もちろん治療法なんてないので、「あっ病気だ…」と気づいたが最後、本人の命尽きるまで見守るしかない。しろくふわふわだった身体がどんどん黒くなっていくのは見ているこちらもつらく、糸が出ないにも関わらず懸命に首を振って繭をつくろうとしている姿は健気で悲しかった。しかし、この子たちのためにできることは(そして病気になっていない個体のためにできることは)環境を清潔にすることしかない。できるだけ新鮮な桑の葉をやり、こまめに糞を取り、空気を入れ替えることに務めた。病気にかかった個体は苦しいのか上に上に登っていくので、いくら補強しても目を離した隙にぽとりと蚕箔から落ちた。明け方にその微かな音に気付いて飛び起き、もとの場所に戻してやるということが続いた。こと切れた個体はやわらかい布につつんで近くに埋めた。手を合わせながら、「養蚕」という営みのことをよくよく考える。
世の中のメジャーな生き物にはいろいろな治療法があるのに、蚕という虫にはその方法がない。昔から大量に飼われ、産業のために犠牲になってきた家畜ならではの状況だ。
ただ、養蚕のことを調べていると、「家畜」という言葉だけでは片づけられない様々な記述もあった。蚕の病がはやって硬くなってしまった身体を泣きながら埋めたという人。埋める際に土をかけるのがかわいそうだと言って、川に流して供養した人。昔からこの国にはそんな人が沢山いたのだろう。全国に「蚕塚」があることからも、人間が蚕をただの家畜と割り切らず暮らしてきたことが察せられる。

それでも元気に育っている蚕もたくさんいて、彼らは誰に教わったわけでもないのに時が来ると糸を吐き始める。器用にまぶしを登り、身体のなかから液体を出して糸をつくり、丁寧に自分を包む繭を形作っていく。その手さばきは何度見ても感動する。どこでそんなに素晴らしい技を覚えたのか。この生物に対する尊敬の念はやまない。
つらい別れの多い今年の養蚕だが、昨年「かわいい」と感じて育てていただけでは気づけなかった、蚕に対する申し訳なさと尊敬の気持ちを抱き始めている。それは蚕に対する畏敬の念と同時に、そんな彼らと共に生きてきた先祖たちに思いを馳せる機会にもなっている。

さて、昨年上演した「かいころく」だが、まだまだ書ききれていないこともある。今年はその続編に向けて、ゆっくりと動き出していけたらと思っている。