シン・ミニヨンに勝手に便乗、後出しクロス・レビューその2.Bill Bruford:「Feels Good To Me」、U.K.「Danger Money」

 ということで第2弾です。もう少し枚数稼げるかなと思ったら、それぞれマニア根性からの余計な説明から無闇に長くなってしまったので、今回は2枚だけです。なおミニヨン本誌ではU.K.~Bill Brufordの掲載順になっていましたが、関連するバンドで制作順、また私が聴いた順番的にもBill Bruford~U.K.とした方が流れが良くなりそう(どっちにしろ無駄に細かくて読みにくいとか言わない!)だったので順番を入れ替えさせていただきました。ということで前回に続き個人に寄せた放談モードで長々とお送りします。お付き合いいただけ、多少なりとも楽しんでいただけましたら幸いです!

Bill Bruford : Feels Good to Me


 いうまでもなくイエス~キング・クリムゾンで名を馳せ、プログレッシヴ・ロックにおける数多いドラマーの中でも代表格中の代表格と目されるビル・ブルフォード(ブルーフォード表記にはどうにも違和感が残る)のファースト・ソロ作。今の視点から見ると本作はポスト初期NATIONAL HEALTHとプレU.K.の半分の性格を持ちつつ、それらの両バンドとも異なるブルフォードのリズムとメロディを同居させつつ、ノリとか揺れを排した個性的なバンド・コンセプトと作曲家としての面が開花した記念すべき傑作であると同時に、U.K.の後にリーダー・バンドとして結成するBRUFORDの原型でもある重要作と思います。

 個人的な話に移ると、本作を入手したのは高校時の後半で、まあ当然ながら当時すでにイエスもクリムゾンも知っていたのだけれども、ブルフォードがそれらのバンドでは(インプロや共同作において連名でクレジットされていたとはいえ)作曲面にはほぼ関わっていなかったこともあって、その流れでの興味はさしてなく、むしろ本作直後にブルフォードがクリムゾン時代の同僚ジョン・ウェットンと共に結成したUKのファーストを聴いて、そこでのギタリスト、アラン・ホールズワースのギターの常道から大きく外れつつ圧倒的に流麗かつなにか独特の美意識や理論が背景にありそうな特異な奏法に圧倒され、また惹かれたのがきっかけだった。ということで、ほぼ同時期にそのホールズワースの「I.O.U.」、SOFT MACHINEの「Bundles」などの関連作品を中古屋回りしながら入手している(この段階でカンタベリー系はほぼ知らず、HATFIELD AND THE NORTH~NATIONAL HEALTHについては名前ぐらいは聞いたことあるかな、という感じだったので本作の裏の要的存在であるデイヴ・スチュワートについてはノーマークだったし、多分彼については本作で初めて意識したような気がする)のだが、その中にあって、本作でブルフォードが展開したリズムとメロディが同居した多分にジャズ/フュージョンにも影響を受けつつ、そのジャンルで重視されるノリや揺れを極度に排した構築型の楽曲という特異なコンセプトは衝撃的であり、U.K.以上に夢中になった記憶があるのでした。

  まあ、よく知られているように本作制作に至るまでは結構な紆余曲折があって、まずはクリムゾン時代の相方、ジョン・ウエットンと、全盛期にさしかかったYESにおいてスター・プレイヤーとしての地位を確立しながらも本人の好みではなかった「海洋地形学の物語」を最後にYESから独立、ソロ・キャリアを大成功させていたリック・ウェイクマンとの頓挫したスーパー・バンドや、その後のやはりウェットンと組み、ロバート・フリップを呼び戻してのやはり頓挫したキング・クリムゾンの再編という二つの大きな没企画を経ての作品が本作であり、実際、本作の頭2曲となる”Beelzebub”、”Back to the Beginning”はその頓挫したウェットン/ウェイクマンとのトリオで試みられた曲であるとはジャケ裏の解説文にも記されている通り。もっとも本作での演奏は見事に参加メンバーの個性に合わせてリ・アレンジされているので、そのトリオでどう演奏されていたかを想像するのはかなり難しいように思うし、特に派手な装飾音を多用するウェイクマンがこれらの曲にどうアプローチしていたかについては全く見当がつかないというのが正直なところではある。

 とりあえず遅ればせながら本作の参加メンバーをまとめると、キーボードは前記NATIONAL HEALTHからデイブ・スチュワートを迎え、数曲作曲にも絡ませるなどアンサンブルの中でも要的なポジション(そもそもブルフォードは作曲の要領をスチュワートに教わっていたそうなので、ブルフォード曲にも多分に影響はありそうでもある)に抜擢。ギターはSOFT MACHINE~TONY WILLIAMS NEW LIFE TIME~GONGなどを経て、知る人ぞ知る凄腕としての地位を確立しかけてきたアラン・ホールズワース、ベースはデモ・テープ製作段階ではやはりNATIONAL HEALTHからニール・マーレイを迎えながらも(なので制作当初においてはポスト初期ナショナル・ヘルスという性格も強かったようにも。とはいえブルフォードが在籍し、またEGGからのベーシスト、モント・キャンベルも重要な作曲者に名を連ね、ある意味本作に通じる構築型ジャズ・ロックの先駆的音楽性を有していた初期NATIONAL HEALTHとしては作品が発表できなかったのでその音楽性はライブやラジオでしか聞かれることなく、その実体が知られるには90年代半ばの未発表音源集「Missing Pieces」の発表まで待たなくてはならないのだが)最終的にはアメリカ人ジェフ・バーリン(これはYESつながりのパトリック・モラーツのソロ作での起用が契機だったりする?)を迎えていわゆるプログレ界隈でも有数の技巧派集団をコア・バンドにて制作されることになった。なお、この面子の中ではスチュワート、ホールズワースに比べてバーリンが言及されることは(その技巧面以外ではことに)あまりないように思うが、ブルフォード曰く、当時のイギリスでは誰一人として可能ではないレベルの演奏が可能であったバーリンの参加は本作の音楽性を形成する上で極めて重要だったとのことで、確かに、アドリブ志向が強く、楽曲のテーマをそのまま弾くということを必ずしもよしとしないリード・ギタリストのホールズワースに代わってバーリンがメロディ・パートを担当することも多く、このファンク的なノリを排した几帳面で込み入ったリズム構成の楽曲が多い本作においてその役割をこのレベルでこなせるベーシストが当時何人いたかと考えると確かに本作においてのバーリンの存在価値はスチュワートやホールズワースに比肩するものがあると思われますね。
 それらコア・メンバー以外だとヴォーカリスト、アネット・ピーコック(の唱法は好き嫌いが分かれるのはわかる。個人的には大好き)、フリューゲルホーンでケニー・ホイーラーの参加は本作にのちのBRUFORD作品にはない色気やふくらみを与えているように思う。また、一曲だけリズム・ギターにBRAND Xのジョン・グッドソールが参加、ファンキーなカッティングを披露しているが、そういえば本作の正ギタリスト、アラン・ホールズワースはいわゆるギター然とした演奏をとにかく避ける人で、リフでのコード弾きは時折聴かせつつ、そうしたカッティング的なプレイは確かに聴いた記憶がないのだけれども、アルバム中の一曲のごく一部だけにわざわざ別のギタリストを起用する必要が発生しているのは、まあ彼らしい頑固さの発揮で面白いなと。
 まあ、そのコア・メンバーから本作はブルフォードが解雇されたホールズワースとそろってUKを脱退して組んだバンド、BRUFORD(字で書くとややこしいな)の雛型になっているのは有名ですが、楽曲にEGGやNATIONAL HEALTHのモチーフも導入するなど、よりデイヴ・スチュワート色が強まったバンドBRUFORDの作品よりも、本作の方が前衛ジャズ方面でも名を馳せていたアネット・ピーコックの詩人肌の朗読的歌唱が醸し出す色気や、英ジャズの重鎮、ケニー・ホイーラーのフリューゲルホーンとアコースティック・ピアノがメランコリックな風情を醸し出す場面などもあって、よりビル・ブルフォードの個人作としての自由度が高い印象があり、それゆえに完璧にすぎて時に閉塞感すら感じさせてしまうバンドBRUFORDの傑作「One of a Kind」と比べても個人的には本作が好みだったりします。まあ本作を「One of a Kind」よりも好みとするのは、やはり個人的には70年代末から80年代頭のスチュアートがポリフォニック・シンセで選択する音色があまり好みでなく(NATIONAL HEALTHの「D.S.Al Coda」での音色もちょっと……という感じだったし)、そのシンセを塗り込めるように多用した「One of a Kind」よりも、まだエレピやオルガンの比重も結構高い本作の方がよりしっくりくるというのもあったりするのだけれども。

  以後は完全に余談なのだけれど、本作のCD(全種聴いたわけではないのだけれでも)は音質的に恵まれない感があって、初期のEG/Virigin Japan盤はもともとのLPでもややハイ上がりだったのがさらに強調されてシンバル類がカシャカシャうるさい上に薄っぺらい感じの音になっていて、2005年くらいに出たVoiceprint盤も(そのCDをマスターにしたのか)それが踏襲されていて、およそ好ましい音とはいいがたかったのだが、2017年のBoxリリースの際にリミックスがなされてそこは改善されたものの、今度は全体に引っ込んだ感じのおとなしすぎる音傾向にされた上に、元LP制作時の場面によって(おそらくは意図的に)大胆にヴォーカルを際立たせたり、左右の広がりを使ったミックスの特徴を消してしまっていて、個人的にはこちらもあまり好ましい音ではなかったので、現状だと依然として本作を聴く上での個人的最適解は高校生時分に中古で買った英EG盤LPだったりします。オリジナルミックスのきちんとしたリマスター盤があるといいのですが、制作45年経過したアナログマスターの状態というのもあまりいいとは期待できないでしょうし、色々難しいだろうなと。とはいえ、2017年のリミックス版には(ホールズワース)マニアには見逃せない長所があって、こちらのバージョンの方が”Either End Of August”のエンディングが35秒ほど長くなっているのでここでフェード・アウトにかかっているホールズワースのギター・ソロがそれだけ長く聴けるのはマニア的にはありがたくはあったりは。完全に重箱の隅案件ではありますが、それを言い出すとこの文章自体が自分語りと重箱の隅の混交という話はあるのでまあ。
 
 

U.K. :Danger Money


 上のビル・ブルフォードの項目で書いたように、高校生時分にファーストを聴いていたU.K.なのだけれども、このセカンドを聴くまでには結構間があって、20歳は超えてからようやく聴いたと記憶しています。やはり上で書いたように、そのU.K.のファーストを聴いて最も惹かれたアラン・ホールズワースが脱退したトリオ編成になってしまっているという情報を先に得ていたこと、また、本作収録曲のうち、”Randevous 6:02 ”と”Nothing to Lose”だけをラジオ(とそこから落としたテープ)で聴いていて前者のロマンティックなバラードから中盤のノーブルな雰囲気を保ちつつ、想像を広げるようなキーボード・パートに流れるつつ、あくまでも弾きすぎず、コンパクトにまとめたアレンジには感じるものはありつつ、まあポップだし、後者は当時のがちがちなマニア心理的には半ば許しがたかったASIAの原型的要素が強く感じられていたこともあったので、しばらくはスルーしていたのでした。

 で、そうした頑なさからどうして意志が変わったかというと、その頃に第一期U.K.のライブ・テープ(のちに正規CDも出たボストンのラジオ音源)が回ってきて、本作収録曲のうち、”The Only Things She Needs”、“Carrying No Cross”、”Ceaser’s Palace Blues”を4人バージョンで聴いたからですね。相変わらずごりごりの頑なで心が狭いマニアだったので、”Ceaser’s Palace Blues”については感心しなかった(しかもウェットンが途中で歌詞を飛ばして適当にララライェーイとかなっているバージョンだった気がするし)けれど、残りの2曲は普通に格好いいじゃん!となって、本作を中古で買うに至るわけでした。というわけで本作収録6曲のうち3曲はオリジナルの4人編成時代から演奏されていて、それプラス第一期U.K.が分裂したもう片割れにあたるBRUFORDの「One of a Kind」に収録されることになる”Forever Until Sunday”(BRUFORD版のイントロのヴァイオリンはノークレジットでジョブソンが弾いたり)、”Sahara of Snow”(パート2にはジョブソンも作曲クレジットに)もが4人U.K.のライブ・レパートリーだったというのは今となっては発掘音源を通して広く知られているわけですが、当時的にはへええとなる新情報だったりしたのでした。まあ、そもそもこの5曲、ファースト・アルバムを録音し終えつつまだ発表に至らない78年初頭、ツアーをやるにあたってアルバム1枚では曲が足りない(結局ファーストのラスト2曲は当時ライブ演奏がなされなかっただけになおさら)とツアー前のリハーサル中に急遽書かれた新曲群で、それらは78年3月からの英国ツアーの段階で全部そろっていたということもあり、78年末から79年頭にかけての「Danger Money」制作段階では結構古い曲であったわけですね。もちろん当初の段階では4人編成向けでアラン・ホールズワースのパートがあったのと、ブルフォードと新任のテリー・ボジオの演奏スタイルも全然違うので、かなりのアレンジ変更が必要とされたわけですが、ともあれトリッキーなリズムが際立つ”The Only Things She Needs”、ドラマティックな大作的構成を持つ“Carrying No Cross”あたりは基本的には演奏重視のプログレ・スタイルのバンド向けに書かれた曲で、3人編成になってからの歌を中心にしてスタープレイヤーとしてのジョブソンを際立たせる形で書かれた前記”Randevous 6:02 ”と”Nothing to Lose”といった小曲とはかなり毛色が違うわけで、そういう意味ではアルバム全体が継ぎはぎめいたものになってもおかしくなかった所なのですが、むしろメンバー間の指向性がずれていてその拮抗が(大部分いい意味での)緊張感につながっていたファーストよりも「Danger Money」の方がアルバムとしてはまとまりのある好盤に仕上がっていたあたりは創作の不思議なところですし、本編成3人それぞれの力量の高さを示して余りあるところとは思います。そうしたドラマティックな“プログレ”志向とヴォーカルを中心にしたわかりやすい構成が非常に旨く噛み合ったのが、やはり新曲の一つであるタイトル曲”Danger Money“であるところにもこの3人編成のポテンシャルの高さはうかがえますし。
 そういう意味では先にビル・ブルフォードとテリー・ボジオでは演奏スタイルが異なるという話が出ましたが、トリオ編成においては派手に手数多く、かつパワフルなボジオの方がブルフォードよりも適任であったというのも大きい気はします。
 ということで、しばらくは食わず嫌いで避けていた本作なのですが、いざ聴いてみたらこれはこれで格好良いし魅力的じゃん!と普通に好きになったのだから、まああんまり先入観で頑なになるものでもないなと反省したり。とはいえそういう意味のない頑なさや変な意地が個人としての嗜好を形作る上でかなり重要ではあるので一概に悪いこととも思わなかったりはするのですが。

 以下余談です。本作のうち半分は先に書いたように78年3月からの全英ツアーを前のリハで書かれたわけで、4人U.K.時代のレパートリーというのは(その時々の演奏時間の都合で飛ばされる曲はありつつ)同年11月の4人編成の崩壊まで全く変わらないまま進むわけですが、実は3月の全英ツアー時点での演奏だけは6月から11月にかけての(複数の)全米ツアーとはかなり質感が違って、ジャズ・ロック的な音使いのアドリブ・パートが全体を通して適宜挟み込まれていたりしたのですね。U.K.関係はBoxなどで未発表ライブ音源は複数正規化されつつ、それら公式化されたライブ音源は全てアメリカツアー以降のものなので(これは3月の英国ツアーで知られている音源が少なく、またいずれも音質的にブートとしては聴けるの域を出ないという事情が関係していそうな?)ここの部分は見えにくいのですが。ともあれ、第一期U.K.崩壊の主因は基本的に曲として決まっているものの演奏はソロも含めて日々同じように演奏したいエディ・ジョブソンと、ソロはもちろん、テーマ部分でさえも曲の構造上必要不可欠な部分以外は日々その時々のインスピレーションでアドリブをいれたがるホールズワースの音楽的対立が埋められないまま広がり決裂した結果、かなり早い段階で(既に秋まで決まっているツアーはこなすものの)ホールズワースの解雇が決定されたゆえであるのですが、この3月段階の英国ツアーの音源を聴くと、案外とエディ・ジョブソンもジャズ・ロック的なアドリブを挟み込んでいたりするので、この感触がその後のアメリカ・ツアーでも持ち越されていたら、4人U.K.の崩壊はなかったか、まあどう考えてもいずれは崩壊するにしてもそれがもう少し遅くなって、4人編成のまま”The Only Things She Needs”、“Carrying No Cross”、”Ceaser’s Palace Blues”、”Forever Until Sunday”、”Sahara of Snow”でセカンド・アルバムを作っていた可能性もあり得たのかな、とか歴史のifに思いを馳せたりもします。とはいえその形でアルバムが作られた場合、ファーストでのぎりぎりの均衡も保てないちぐはぐなものにしかなり得なかったような気はしますし、またその場合、「Danger Money」、「One of a Kind」の2作品共に存在し得なかったことを思えば、やはり4人U.K.崩壊から3人U.K.への転換はあのタイミングで起きてよかったのだなとも思いますけれど。

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