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さんふらわあ こばると乗船記(前)

 2023年2月3日、大阪南港コスモフェリーターミナル(以下「コスモFT」)にやって来た。この日の目的は「さんふらわあ こばると」(以下「こばると」)。フェリーさんふらわあの大阪-別府航路(以下「別府航路」)に就航しているフェリーだ。

さんふらわあ こばると

 1998年4月8日、関西汽船(当時)の別府航路に就航してから25年、4月13日別府発の便をもって、新造船に後を託し、引退することが決まっている(※1)。

※1 乗船時点の時系列で記述していきます。


別府航路とさんふらわあ

 時刻は17時半、ひとまず乗船手続きは済ませたものの、18時半の乗船開始までは少し時間がある。というわけでATC内にある「さんふらわあミュージアム」を見学して時間を潰すことにした。
 1月にオープンしたばかりの新しい施設で、船舶模型や年表、データベース端末等が設置されている。とりわけデータベース端末は凄まじい情報量で一見の価値ありのシロモノだ。

さんふらわあ

 ミュージアムの中でひときわ目立っているのが、この初代「さんふらわあ」の模型だ。1972年2月に日本高速フェリーで就航した「さんふらわあ」は、紆余曲折を経て、1984年12月に姉妹船「さんふらわあ2」とともに関西汽船(当時)へと移り、別府航路に就航した。今ではすっかりお馴染みとなっている別府航路の「さんふらわあ(ブランド)」の歴史はここから始まったのだ。

さんふらわああいぼり
「さんふらわあ2」の代船として1997年12月に就航。

 そんな「さんふらわあ」「さんふらわあ2」の後継として就航したのが、これから乗船する「こばると」と、その姉妹船「さんふらわあ あいぼり」(以下「あいぼり」、2023年1月引退)だった。

さんふらわあくれない
「さんふらわああいぼり」の代船として2023年1月に就航。

そして今年2023年、そのバトンは「あいぼり」「こばると」から新造船「さんふらわあ くれない・むらさき」(以下「くれない」「むらさき」)へと託されることとなった。

至高のデラックスシングル

 ミュージアムの展示に見入っているうちに、気が付けば時刻は18時半。乗船開始の案内放送とともに長い人道橋を通り抜けて船内へ向かうと、まずはエントランスが出迎えてくれる。

案内所とエントランス

最近の新造船によく見られる吹き抜けのエントランスに比べると、こじんまりとした印象を受けるが、これはこれで味があって私は好きだ。
 さて、今晩の寝床はデラックスシングル、案内所で鍵を受け取り、ひとつ上の階にある部屋へと向かった。

デラックスシングル
風呂もトイレも完備。


 デラックスシングルの部屋には、広いベッドに大きな窓、さらに風呂やトイレまで備わっており、まるでビジネスホテルの一室のような雰囲気だ。その気になれば、乗船から下船まで部屋から一歩も出ずに過ごすこともできそうなぐらいの充実ぶりである。
 最近の新造船では各社ともシングル個室が充実してきているが、ここまで設備が充実しているシングル個室は他にないように思う。新造船すら凌駕するレベルの個室を25年前に設定していた関西汽船、その先見性には驚くばかりである。
 しかしこの程度で驚いていてもらっては困る。なんと今からおよそ30年前、1992年に別府航路に就航した「さんふらわあ こがね・にしき」(以下「こがね」「にしき」)にも同じような1人個室が設定されていたという。関西汽船、恐ろしい子…。

出港

 19時40分、出港15分前を知らせる銅鑼の音が聞こえてきた。それでは出港を見るためにデッキへ向かうとしよう。デッキに上がると背後にはATCや咲州の綺麗な夜景が広がっていた。
 別府航路がコスモFTへやって来たのは2008年7月のことだった。それ以前はすぐ近くの大阪南港フェリーターミナル(以下「南港FT」)から発着していた。

かつて関西汽船が使用していた大阪南港F1岸壁。
南港FTに今も残る「関西汽船」の文字。

 コスモFTへ移転してから15年になるが、今も南港FTの建物内の壁には「関西汽船」の文字が薄っすらと残っている。

 閑話休題、話が少し脱線してしまった。19時55分「こばると」は定刻通りATCを後にした。明朝の別府国際観光港まで約12時間の船旅の始まりだ。

レストラン(閉店後に撮影)
夕食バイキング
茶色のは私の好みです、ちゃんと野菜もあります。

 出港を見届けたところで、お腹も空いていたのでレストランへと向かう。バイキング形式のレストランでは、ちょうどこの時「お試しスモールバイキング」が実施されており、少しお得に利用できた(現在は終了)。「スモール」と銘打っているものの、どこがスモールなのかわからないぐらいにボリューム満点で大満足だった。
 ちなみに、現在はバイキング形式だが、就航当初は一品ごとに提供するカフェテリア形式だったそうだ。レストランにも歴史あり、と言ったところだろうか。

神戸と別府航路

 出港から約1時間、「こばると」は神戸の沖合を快調に進んでいる。今でこそ沖合を通過するだけの神戸だが、かつては別府航路の寄港地のひとつだった。

中突堤

 神戸を代表する波止場のひとつである中突堤。客船時代から2005年9月まで別府航路はこの中突堤に寄港していた。

中突堤に今も残る「別府航路」

 ここで「こばると」が寄港していた当時(2003年4月)の時刻表を見てみよう。この頃、中突堤に寄港していたのは「あいぼり」「こばると」が担当する下り寄港便(※2)で、南港FTを21時ちょうどに出港した同便は、22時15分に中突堤に到着し、20分後の22時35分に出港するというダイヤだった。神戸の夜景を背に出港する様子はさぞかし美しくロマンチックなものであったことは想像に難くない。

※2「こがね」「にしき」が担当していた上り寄港便は、中突堤ではなく六甲アイランドに寄港しており、上りと下りで寄港地が異なっていた。なお、2003年4月に上り寄港便でダイヤモンドフェリーとの共同運航を開始する以前は、上下便とも中突堤に寄港していた。 

神戸ポートターミナル

 2005年9月から寄港地を中突堤から神戸ポートターミナルへと変更した下り寄港便。しかし、ポートターミナルへの寄港は長く続かず、2008年1月の航路再編により寄港便は廃止され、別府航路は神戸から姿を消した。 

Wikipediaの画像がちょうどポートターミナル時代のものだったのでリンクしておく(※3)。

※3 夕方の写真のようなので、別府航路ではなく坂手季節便の復路で寄港していた際のものだろうか。

須磨の夜景と明石海峡大橋
気分はさながら夜景クルーズだ。

 そんな縁深い神戸の夜景を横目に見ながら「こばると」は明石海峡へと差しかかった。ライトアップされた明石海峡大橋の姿がどんどん近付いてくる。2月ということもあり、かなり肌寒い日だったが、多くの人がデッキに出て明石海峡大橋を楽しんでいた。

デッキから望む明石海峡大橋。

 明石海峡大橋が開通したのは1998年4月5日、「こばると」就航の3日前のことだった。明石海峡大橋の開通により、関西汽船は四国へのフェリー航路(神戸-高松、大阪ー徳島)から撤退し、航路の集約を進めている最中に就航したのが「こばると」だった。
 「こばると」の側からすると、色々と思うことはあったかもしれないが、ほぼ同時期に生まれ、同じ時を過ごし、幾度も顔を合わせてきた明石海峡大橋とも別れの時が近付いてきている。

長くなりそうなので一旦ここまで。
後編につづく

参考文献・サイト

・世界の艦船別冊(2008年)『日本のカーフェリー その揺籃から今日まで』海人社
・関西汽船海上共済会(1994年)『関西汽船の船半世紀』
・山中廸生(1985年)「「さんふらわあ」ファミリー変遷記」『世界の艦船』350号
・池田良穂編(1998年)『フェリー・客船情報98』船と港編集室
・株式会社商船三井フェリー関連事業部(2023年)『Casual Crise Time』Vol.08
・カジュアルクルーズさんふらわあ(2019年)「栄光の別府航路 #3
・関西汽船パンフレット、時刻表各号
・関西汽船公式ホームページ(Webアーカイブ)


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