不快害虫の生存戦略

ゴキブリはどうしてあんなにもおぞましいのか、考えた事はないだろうか。考えずにはいられないだろう。あのあまりの恐ろしさ・おぞましさは心理的暴力のようにさえ感じる。

しかし実際、どうしてあんなにも恐ろしいのだろうか。

良くありがちな説明はこんなところだ。「病原菌を媒介するので人間はああいう虫に恐怖を感じるようにできている——。」僕はこれにずっと違和感を持っていた。それではあの過剰なまでの恐ろしさの説明にならない気がするからだ。ムカデなど毒のある昆虫ならともかく、事実上無害なゴキブリに対して、この嫌悪感はあまりにも行き過ぎていて、どう考えても釣り合いが取れない。

結論を先に書いてしまうと、「ゴキブリの方が人間の恐怖を煽る形状のド真ん中へと、わざわざ狙って進化したから」ではないかと思っている。そこが最も適応的だったから、だ。

一目見てそれと分かるあの黒光りのする立派なボディ。スピードとパワーの両方を兼ね揃えた異常な運動性能。物陰を慎重に忍び歩くというより、その動きはむしろ大胆かつ挑戦的だ。ヤツに遭遇した瞬間の行動を考えてみてほしい。まず逃げないだろうか。人間の方が。その一瞬の隙にゴキブリは安全を確保することができるだろう。ほんの十数秒でもゴキブリが逃げ切るには十分な猶予だ。現代でさえ、殺虫剤を探している間にヤツの姿を見失ってしまうなんて良くある事なのだ。

つまりゴキブリは現に、人間をびっくりさせ、恐怖を与えることで生存確率を高めているという事実がある。あの姿と動きが、事実上、警戒色(標識的擬態)と似たような・或いはそれ以上の効果を上げる点に注目すべきだ。むしろ目立とうとするかのようなあのパワフルで無駄の多い動きも、こう考えた方が辻褄が合う。

そう、人間を驚かせて追っ払い、逃げ切るという戦略だった。人間にここまで毛嫌いされているのにたくましく生き延びているというより、人間に嫌われるような心理効果を持っているからこそ、ここまで生存してこれたのだろう。人間がゴキブリに恐怖するよう進化したのではない。ゴキブリの方が、人間に恐怖を与えるように進化した——。つまりこれが真相ではないだろうか。

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もちろん、意図的にそうしようとしてそうなったのではなく、他の生物と同様、あくまでも選択と淘汰によって、ただ結果的にそうなったに過ぎない。ゴキブリの場合には、人間と生活圏が近かったために人間の影響を受けた、本質的にはそれだけのことだ。

人間の住居に侵入すれば餌がある。しかし人間に見つかると殺されてしまう。この罠のような構造で単純な淘汰圧がかかり続けた。進化の歯車は不幸にも噛み合ったまま、何千世代にも渡る不作為の品種改良が行われたのだ。農耕の始まりに図らずも栽培種を生み出した過程とちょうど同じように。ゴキブリ自身も(そして人間自身も)それと気付かないまま。

動きの遅いゴキブリはみんな殺された。速いものだけ生き残った。生き残った個体が子を残す。こうして速いものばかりになる。或いはついに “盲目の時計職人” によって、人の意識の穴が探り当てられてしまう。不快害虫の占めるべきニッチ(生態的地位)は現実世界にではなく、人間の意識の中にこそあったのだ。より激しい嫌悪感を喚起した個体の方が、そうでない個体よりも有利に生き残った。次の世代も、そのまた次の世代も、とりわけおぞましい個体が有意に生き残り子孫を残す。こうして世代を重ねるたび、不快害虫としての性質に磨きがかかっていったのだろう。

他でもない人間自身が、ゴキブリをそう進化させてしまった。人がゴキブリに恐怖し、怯んだがゆえに。「よりによって」「最も恐れていた形に」自ら育て上げてしまったのだ。

これから先も、人間が毛嫌いすればするほどそれが強い淘汰圧になり、恐怖すればするほど、それが意図しない選択に繋がってしまうだろう。ゴキブリは更に進化し、洗練されていく。人間の恐怖が生んだモンスター。恐れれば恐れるほど更にパワーアップするだなんて、まるで少年漫画のラスボスのようだ。究極生物の呼び声高いゴキブリだが、確かにそう謳われるくらいの資格はあるように思えてくる。

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